第3話 嘘を吐く町
フユが再び目を開けたとき、そこは自分の部屋だった。
ベッドの上で、彼の右手には見慣れないガラス瓶が握られていた。
中には、甘くて鉄のような匂いの液体が揺れている。
それが何なのか、どうして手にあるのか――思い出せなかった。
ただ、それを口にした記憶だけが、喉の奥に残っていた。
夢だ。そうに違いない。
そう思いたかった。
ミトは、机の下に座り込んでいた。
薄暗い部屋の隅で膝を抱え、こちらを見ている。
顔に表情はない。けれどその瞳は、確かに何かを訴えていた。
声が、出なかった。
「……ミト、夢を、見たんだ。」
言いながら、フユはその言葉がすでに意味をなさないことを悟る。
夢ではない。夢は、すでに“食べられて”しまった。
そのとき、窓の外から誰かの話し声が聞こえた。
フユは立ち上がり、カーテンを少しだけ開ける。
隣家の玄関前に、町の住人たちが数人、肩を寄せ合って立っていた。
全員が、同じ顔をしていた。
笑っていた。
ただ、それは人間の笑顔ではなかった。
口角が裂けるほどに吊り上がり、目は動いていない。
筋肉だけが笑っているような、乾いた表情。
その中に、見知った人物の姿があった。
学校の先生。
コンビニの店員。
ミトと遊んでいた同級生の母親。
――みんな、誰かに“ならわされた”ように、同じ顔で笑っていた。
「おかしいでしょ?」
ミトが、突然言った。
小さな声だったが、部屋の隅からしっかりと届いた。
フユは振り返り、ミトの方を見た。
「みんな、同じ夢を食べたんだよ。だから、同じ味がする。」
彼女の瞳は、まっすぐフユを見ていた。
その目に、嘘はなかった。
でも――真実があるようにも見えなかった。
「夢って、ひとつずつ違うはずなのに。食べると、みんな同じになっちゃう。おかしいでしょ?」
フユは答えられなかった。
頭の中で、何かが崩れ始めていた。
もしかすると、この町は最初から、どこかが狂っていたのかもしれない。
けれどそれを、“正常”として教え込まれていただけかもしれない。
「お兄ちゃんも、もうすぐ町の味になるよ。」
ミトがそう言ったとき、その声に初めて感情の色が混じっていた。
悲しみとも、嬉しさとも違う、
名づけようのない何か。
その瞬間、町全体がざわめいた。
遠くの方で、鐘の音が鳴った。
「始まったよ」と、ミトが呟いた。
フユはその言葉の意味を問う前に、部屋の壁がゆっくりと呼吸しているのを感じた。
壁紙の下で、何かが動いている。
まるで町そのものが、何かを咀嚼しているようだった。
それは、夢か、記憶か、それとも――
名前のない恐怖だった
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