たま爺さんの百物語

宇地流ゆう

あぶぶの目玉奉行


「目玉欲しいか、欲しいかえ……

  血ぃが欲しいと、目玉奉行……」


 西日に焼けた穂先の向こう、田んぼの横でわっぱたちの鞠が跳ねる。


「銭が欲しいか、欲しいかえ……

  血ぃが欲しいと、目玉奉行……」


  畦道あぜみちを、籠を肩に担いできた母らが言った。


「日が暮れるよ、帰っといで」


「またその妙な唄、やめとくれよ」


 1人の童は名残惜しそうに鞠を拾い上げたが、隣の童は唄をやめず、女らを通り越して大声で歌った。


「命が惜しいか、惜しいかえ

  血ぃが欲しいと目玉奉行……」


 ニヤリと目を見開く童の額には、大きな黒子ほくろがあった。まるでそれが目のように見えるんで、村の者らは彼を「三つ目」と呼んで気味悪がった。


 三つ目は尚も大声で歌い続けた————何故なら、この唄を途中で止めると、奉行様に怒られてしまう。


「あぶぶ唱えて通りゃんせ

  吸われたくなきゃ通りゃんせ

喉があるうちゃ声を出せ


 あぶぶ あぶぶ

  血ぃがつかえて声が出ん


 ほれ、目玉奉行がやってきた

  後ろの正面だ〜あれ」


 ピタリと止まると、小僧はにぃっと目玉をまん丸くして、女らの後ろを指差した。


「ひぃっ」


 途端、背が冷たくなった気がした女は悲鳴をあげて隣の女にしがみつく。


「やめなやめな!悪ガキめ、ほら帰った!」


 と、隣の女は手拭いを鞭のようにはたいてしっしっと野良犬を追い払うようにした。三つ目はきゃっきゃっと、笑い声をあげて夕闇を駆けて行く。


「あん小僧、ほんに気味が悪い!」


「しぃっ、婆の子や、祟られるよ」


「おっかぁ、腹減ったよ」


「うるさいね、今度あの坊と遊んだら飯抜きだよ」


「いやだいやだ!」


 童達はそう声を上げながらも、おっかぁ達についていった。かなかなかな、と蜩が鳴きながら、夕の帷を降ろしていった。




「よーい婆っちゃん、帰ったよーい!」


三つ目の家は村はずれの山の中にあった。この坊に父や母はない。十五夜の夜、山の社に捨てられていたのを、婆っちゃんが拾ったのだ。


 赤子が野に捨てられていれば、人々はその泣き声で気がつくものだが、三つ目は一声も泣いていなかったらしい。婆っちゃんが見つけていなかったら、朝には獣に喰われていたろう。


「婆っちゃん、あれを話してよ!」


 いろり鍋の吸い物をぺろりと平らげた三つ目は目を輝かせて言った。


「またかい、あんたはほんに好きだねぇ」


 この小さな山小屋に住む婆は、スズと言った。時には「山姥やまんば」といって恐れられたが、彼女の薬草や手当てで命拾いしたものはひっそり「薬師」と感謝する者もいた。


 婆は、三つ目が全ての夕仕事を終えたら、褒美にいつもはなしを聴かせてやった。


 夜の囲炉裏の炎の真ん中、婆っちゃんはにんまりと笑う。「むかぁ〜しむかし」としわがれた声で一つ言い、ゆっくり、ゆっくりと話し始めた。



———あれは、婆っちゃんがまぁだうら若い娘じゃった頃のはなし。


「そりゃ見当つかん」


「これ遮るでねぇ、いつも言うとるじゃろが!」


「信じられんもんは信じられんじゃ!」


「阿呆、噺とは信じるためにあるんじゃろがい!」


 すぱぁん、と平手が飛んできたが三つ目はそれをひょいと躱し、「すまん、続けておくんなし」と頭を床につけた。


 コホン。————その昔、たいそう酷い戦があったそうな。人の首は豆のように飛び、血は雨のように降ったという。


「婆っちゃん、前はカブじゃ言うとったよ」


「はん?」


「豆じゃなくカブやと。その前は芋のように転がっとったって言うた」


「どれも野菜じゃ、黙って聞きな」


「へい」


 ————戦に敗れた武者たちは、命からがら逃げおおせ、徒党を組んで山に潜み、旅の人を襲ったそうな……


 あれは、ぜんまいの季節じゃった。みなの大好物じゃて、わしゃそれを摘みに山に入った。赤玉山あかどやまはぜんまいのたんと採れるいい山じゃった。


 緑のぐるぐるが小籠いっぱいになった頃。さあ山を下りるといったときじゃ、突然ざざっと茂みが揺れ、毛深い者どもが現れた。泥つきの手にゃきらりと光る刃が見え、獣のように黒い目がじわりとわしを囲んだ。


「輩じゃ輩じゃ!『あぶぶ』になるで!」


 三つ目はとびっきり目を輝かせて、足をバタバタさせた。


「先走りするんじゃないよっ!」


「婆っちゃん、早く襲われてくれや」


「今襲われるところじゃろうに!」


 ————相手は5人だったじゃろうか、山越の旅人から奪った刀やらをこちらに向けて、にやにやと笑い、じゅるり、と涎を垂らしながらちこようてくる。


 どこにも逃げ場はなかった。ただ殺られるだけならよいが、奴らの目はギラついておった。殺られるだけじゃすまんような気がしての。


 ふいに後ろの男に肩を掴まれ、あたしゃどさりと倒れてもうた。籠のぜんまいも、ぶらばらと散った。


 もう恐ろしくて声も出ん。かたかたと震えるだけで、足もすくんで動かなんだ。観念じゃ、もう観念じゃというとき———


「その時じゃった。ヒッヒッヒ、とどこからともなく、声が響いた」


「このおたんこ坊主!1番いいとこ攫うんじゃないよ!」


すぱぁん、と頭にしゃもじが飛んで来たが、三つ目は真剣白刃取りで受けた。


 ————そう、それは木々のざわめきのようじゃった。輩達はみな、頭上を見上げたが、そこには誰もおらなんだ。ヒッヒッヒ、という甲高い鳥のような声だけが響いておった。


 すると、目の前の男の1人が突然、鮮やかな血飛沫を吹いた。


 びしゃり、とわしの顔に生温かいものが飛び散る。


「あぶぶ、あぶぶ……」


 ————そう、男は”あぶぶ……ぶぶ”と呻いて自分の首を掻きかき、目をギョロギャロさせて、ゆらりと揺れたかと思うと、わしの足先にどさりと倒れた。


 それを見た男どもは一斉に、刀を構え直して必死に辺りを見回した。


「何やつ!出てこい!!」


 ————おお、三つ目、あんたいい芝居するねい。


「任せろじゃい」


 ————しかしその不気味な笑い声の主が姿を現した時は、もうひとつの叫び声が響いておった。


「ぎぃやあああぁぁ」


叫び声を上げた2人目の男の首に、妖怪のような動物のようなものが齧り付いておった。


 見た目は小柄な爺じゃった。山伏の成れの果てか、あるいは山の魔か。黒ずんだ法衣ほうえをまとい、腰にぐるりと荒縄、肩には千切れかけた結袈裟ゆいげさをぶらさげておった。


 その者は両の足に履いた一本下駄で、大男の腰をしかと挟み、山犬のような真っ白な牙で、分厚い首ねっこを引き裂いた。


「あぶぶ……あぶぶぶ……」


2人目の男も、目から口から血を滲ませてどさりと倒れた。


 3人目の男がその妖怪に斬りかかろうとしたが、そいつは蝙蝠かむささびのようにふわりと宙に舞ったかと思うと、男の背中にぴたりと張り付き、その首筋に噛みついた。


「あぶ……あぶぶぶ……」


輩は必死に暴れ回り、そいつを振り解こうとしたが、その黒衣くろごろもはヒルのように吸い付いて離れん。男はついに顔を青くし、ごぼごぼと自分の血で息を詰まらせ倒れちまった。


 4人目の男はもう脚がすくんで動けなんだ。そうこうしているうちに、5人目の男も、みんな同じように首を掻き切られ、真っ赤な目をしてどさりどさりと息絶えた。


 わしゃ声すら出せずに見ておった。5人の男どもの血臭が漂う中、ぴょん、と目の前にそいつが降りた。


 爺は、とん、とんっと両の足を揃えてしゃがんで跳ねてきた。わしのすぐ鼻先まで来ると、いやに飛び出た目玉をギョロギョロさせて、にやぁり、と口が裂けるかの如く不気味に笑った。


「あやあやあや、お嬢ちゃん、驚いたろぉう」


 —————三つ目、あんたほんに、目玉奉行様の真似が上手いやね。


「何を隠そう、このオイラが目玉奉行様であるぞ」


「千年早いわい!」


 —————わしゃもう、その妖怪に喰われて死ぬと思っとった。しかし妖怪はわしの首に噛み付かんかった。


「おお、ぜんまいが美味そうじゃ」


「そげなこと言っとらんわ」


 “お嬢ちゃん、よかったけぇねぇ、わいはこの赤玉山が気に入ったでな”


 その目玉の飛び出た妖怪じいは、ヒッヒッヒ、と気味悪く笑って言った。ざあっと風が吹き、倒れていた男の口からごぼごぼっと血が溢れた。


 “あ、あの……貴方は…?”


 わしがおそるおそる震える声で聞くと、その爺はうんうん、と何度か頷いた。


“お奉行さまよ”


 にやぁり、と笑ったその口が、真っ赤に濡れておった。


 “お奉行さま……?ど、どなたのお仕えに……”


 ヒーヒッヒッヒッ!と一際甲高い声が耳をつんざき、高い一本下駄がかたかた揺れた。

 

 “血ぃが欲しいお方のじゃ”


 爺はそう言って笑うと、ぴょん、と空に飛んだ。笑い声がまだ耳ににこだまするようじゃった。


 もう奉行様の姿は見えなんだ。5人の男の血が、山の斜面を、小川のようにじわじわと流れていっとった……





「……へぇ、面白い」


 東城聖とうじょうひじりは最後まで聞くと、ふっと目を細めて笑った。


「そうじゃろ?」


 にやぁり、と笑いながら、三つ目は怯えて震える少女を覗き込む。


「ぜんっっぜん面白くない!怖いから!!」


 少女はぶんぶんと首を振っている。が、隣の青年にぴったりとくっついて無意識にその服の裾を掴んでいる姿が可愛らしい。


「嬢ちゃん、血ぃが欲しいお方の、そんな側にちこう寄って、ええんかの?」

 

「え?」


 と、少女はふと我に帰ったかのように隣を見る。その距離の近さに今更気づいたのか、途端に顔を赤くして離れる。


「ち、ちちち違うし!」


 ヒッヒッヒッヒッと三つ目は笑った。


「目玉が欲しいか、欲しいかえ?

  血ぃが欲しいと、目玉奉行……」


「やめてやめて、その歌やめて!」


「歌い出したら最後まで歌わないと呪われるらしいぞ」


東城がにやり、と横の一花に不適な笑みを向ける。


「なんで悪ノリするの!?」


「命が惜しいか、惜しいかえ

  血ぃが欲しいと目玉奉行……」


「銭が欲しいか、欲しいかえ……

  血ぃが欲しいと、目玉奉行……


 あぶぶ唱えて通りゃんせ

  吸われたくなきゃ通りゃんせ

喉があるうちゃ声を出せ


 あぶぶ あぶぶ

  血ぃがつかえて声が出ん


 ほれ、目玉奉行がやってきた

  後ろの正面だ〜あれ」

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たま爺さんの百物語 宇地流ゆう @yuyushirokuma

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