第七話 ドワーフのお婆さんと魔法の糸車
穏やかな午後のひとときは、しかし、突然の来訪者によって破られることになった。
ドンドン! ドンドン!
まるで攻城兵器か何かのように、工房の頑丈な扉が、遠慮なく叩かれたのだ。エリアーナは、飲んでいたハーブティーを危うく噴き出しそうになった。
「エリアちゃーん、いるかい? ドルダだよ!」
扉の向こうから聞こえてきたのは、やけに張りのある、快活な老婆の声だった。
ドルダ。
エリアーナは、思わず顔をしかめた。工房の隣人――といっても、お互いの家が見える程度の距離は離れているのだが――である、ドワーフの老婆だ。彼女は、かつては名の知れた(らしい)冒険者で、引退後はこの辺境の地で悠々自適の暮らしを送っている。そして何より、エリアーナの祖父、フィンブルとは古い飲み仲間だったとかで、エリアーナがこの工房を引き継いだ当初から、何かと世話を焼こうとしてくる、有り難くも少し……いや、かなりお節介な人物なのである。
エリアーナは、そっと息を潜めた。居留守、という手もある。人間不信、もとい外界不信のエリアーナにとって、ドルダのような陽気でパワフルな存在は、少々エネルギーを消耗するのだ。
しかし、扉を叩く音は止むどころか、ますます激しくなる。
「いるのは分かってるんだよ! さっき、あんたんちの煙突から、いい匂いの煙が出てたからねえ!」
さすが元冒険者、観察力が鋭い。どうやら、先ほどのクッキーの匂いがバレたらしい。こうなっては、居留守も通用しまい。
エリアーナは観念して、重い腰を上げた。足を引きずりながら扉に向かう。小さな同居人は、突然の大きな音に驚いたのか、エリアーナの後ろに隠れるようにして、不安げに扉を見つめている。その耳が、警戒するようにピンと立っていた。
「……はいはい、今開けますよ」
やれやれ、と溜息をつきながら閂(かんぬき)を外すと、扉の向こうには、思った通りの人物が立っていた。
背は低いが、肩幅は広く、がっしりとした体つき。編み込まれた銀髪の髭(ドワーフの女性にも髭はあるのだ)が立派で、目元の皺は深いが、その瞳は悪戯っぽくキラキラと輝いている。腰には、年季の入った戦斧――もちろん今は使っていないだろうが――をぶら下げているあたりが、元冒険者らしい。
「やあやあ、エリアちゃん! 元気そうで何よりだねえ」
ドルダは、太陽のような笑顔で言った。そして、エリアーナの後ろに隠れている子供の姿を認めると、大きな目をさらに丸くした。
「おやおや? なんだい、この可愛いお客さんは! ふわふわの耳と尻尾……キツネ族の子かね? エリアちゃん、いつの間に、そんな可愛い子を!」
ドルダの遠慮のない視線に、子供はさらにエリアーナの後ろに隠れてしまった。エリアーナは、慌ててドルダと子供の間に割って入る。
「い、いや、これは、その……ちょっとした成り行きで、預かっているというか、なんというか……」
自分でも何を言っているのか分からない。しどろもどろになるエリアーナを見て、ドルダはからかうようにニヤニヤと笑った。
「はっはっは! まあ、細かいことはいいさ! それよりね、エリアちゃん、頼みがあるんだよ」
ドルダは、本題に入った。腕組みをして、ふむ、と一つ頷く。
「あんたのお爺さん、フィンブルが作ってくれた、あの『魔法の糸車』がさ、またご機嫌斜めでねえ。ピクリとも動かなくなっちまったんだ」
『魔法の糸車』。
エリアーナも、その存在は知っていた。祖父フィンブルが、ドルダの長年の冒険者稼業で凝り固まった指でも楽に糸紡ぎができるように、と特別に作ったカラクリだ。羊毛を投入口に入れるだけで、自動で綺麗な毛糸を紡ぎ出してくれる、という触れ込みだったが、いかんせん祖父の作品だ。時々、というか頻繁に、妙な動きをしたり、暴走して工房中を毛糸だらけにしたりと、なかなかの「お転婆マシン」であるらしい。
「またですか……。あれは、扱いが難しいですからね」
エリアーナは、遠回しに断ろうとした。正直、面倒事はごめんだ。
しかし、ドルダはエリアーナの言葉などお構いなしに、言葉を続ける。
「そう言うなよ、エリアちゃん。あんたなら、お爺さんの作ったもんだ、ちょちょいと直せるだろう? それに……」
ドルダは、エリアーナの後ろで様子を窺っている子供に、ちらりと視線を送った。
「この子も、なんだか興味がありそうな顔をしてるじゃないか。ねえ、坊や?」
ドルダに声をかけられ、子供はビクッと肩を震わせたが、その瞳は確かに、ドルダの語る『魔法の糸車』という言葉に、好奇の色を浮かべていた。機械やカラクリと聞けば、黙ってはいられない性分らしい。
「ほら見な。頼んだよ、エリアちゃん!」
ドルダは、有無を言わさぬ笑顔で、エリアーナの肩をバンバンと叩いた。
こうして、エリアーナの意向などお構いなしに、新たな修理依頼――という名の、厄介事――が、工房に舞い込むことになったのである。
やれやれ、今日はもう、穏やかな一日は望めそうにないな。
エリアーナは、空を見上げて、もう一度、深々と溜息をついた。
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