第二話 キツネっ子はガラクタがお好き?
さて、拾ってしまったものは仕方がない。
エリアーナは、キッチン――といっても、祖父が作った妙な自動調理器具(今はほとんど動かない)が鎮座する、工房の一角なのだが――で、あり合わせの野菜と干し肉を刻んでいた。滋養のあるスープでも作って飲ませれば、少しは元気を取り戻すだろう。もっとも、目を覚ました途端、ギャンギャン泣きわめかれたり、あるいは噛みつかれたりする可能性もゼロではない。獣人、それも子供となれば、何を考えているか、エリアーナには皆目見当もつかなかった。
「……まったく、なんで私がこんなことを」
包丁を動かしながら、またしても独り言が漏れる。聖職者だった頃の、いわば「お人好し」の残滓が、こんな形で顔を出すとは。自分でも呆れてしまう。
鍋を火にかけ、コトコトと煮込み始める。工房に、野菜とハーブの優しい香りが漂い始めた。それは、いつもの薬草の匂いとは少し違う、生活の匂いだった。エリアーナが、もう何年も忘れていた類の。
ふと気配を感じて振り返ると、毛布の上で小さな塊がもぞもぞと動いていた。
おや、お目覚めかな?
エリアーナは火を弱め、そっと様子を窺う。ゆっくりと顔を上げたのは、やはりキツネ族の子供だった。大きな、潤んだような黒い瞳が、不安げに工房の中を見回している。そして、エリアーナの姿を認めると、ビクッと体を硬直させ、毛布の中に潜り込もうとした。なるほど、警戒心はかなり強いらしい。
「……お腹、空いてないか?」
エリアーナは、できるだけ穏やかな声を出そうと努めた。我ながら、ぎこちないことこの上ない。聖職者時代は、もっとすらすらと言葉が出たものだが。
小さな訪問者は、毛布の隙間からこちらを窺うばかりで、返事はない。まあ、無理もないか。見知らぬ場所、見知らぬ相手。おまけに、自分はハーフエルフで、相手は獣人。種族の違いという壁も、案外高いのかもしれない。
エリアーナは仕方なく、出来上がったスープを木の器によそい、少し離れた床の上に置いた。「ここに置いておくから、飲みたかったら飲むといい」
それだけ言って、彼女は自分の席に戻り、読みかけの薬草に関する古書を開いた。下手に構うより、放っておいた方がいいだろう、という判断だ。
しばらく、ページをめくる音と、鍋が静かに煮える音だけが響いていた。
不意に、小さな物音がした。エリアーナは本から目を離さずに、気配を探る。どうやら、あの子は毛布からそろりそろりと這い出し、スープの器に近づいているらしい。クンクンと匂いを嗅ぐ気配。そして、ペチャペチャという、遠慮がちな音が聞こえてきた。
よしよし、飲んでいるな。
エリアーナは内心で頷いた。とりあえず、餓死させる心配はなさそうだ。
スープを飲み終えたのか、物音は止んだ。エリアーナがちらりと視線を送ると、子供は空になった器を前に、きょとんとした顔で座っていた。そして、その視線がゆっくりと工房の中を彷徨い始めた。壁にかかった奇妙な工具、棚に並んだ大小様々な歯車、天井から吊るされた鳥の形のモビール(もちろん、これも祖父のカラクリ仕掛けだ)、床に転がった金属の塊……。
その黒い瞳が、次第に好奇の色を帯びていくのが分かった。特に、キラキラと光る金属や、複雑な形をした機械部品に、強く惹きつけられているようだ。
やがて、その子はよろよろと立ち上がり、おぼつかない足取りで工房の中を探検し始めた。エリアーナは黙ってその様子を見守る。まるで、宝の山を見つけた探検家気取りだ。
ある棚の前で、彼は足を止めた。そこには、祖父が作りかけで放置していた、様々なカラクリの残骸が積まれている。尖った耳の子は、その中から埃をかぶった鳥の形の小さなカラクリ――翼が片方取れかかっている――を、壊れ物を扱うようにそっと手に取った。そして、近くの床に座り込むと、小さな指で、その構造を確かめるように、いじり始めたのだ。
「……ほう」
エリアーナは思わず声を漏らした。手つきがいい。ただの子供の好奇心というだけではない。何か、構造を理解しようとするような、真剣な眼差し。そして、驚くほど器用な指先。
もしかしたら、この子は……。
エリアーナは、祖父フィンブルのことを思い出していた。彼もまた、幼い頃からこうしてガラクタをいじり回し、やがて類まれなるアーティフィサーとなったのだ。もっとも、祖父はノームで、目の前の子供はキツネ族だが。種族は違えど、才能というものは、時に思いがけない形で現れるのかもしれない。
工房の新しい住人は、壊れた鳥のカラクリに夢中だった。エリアーナは、再び本に目を落とす。だが、その意識は、床で小さな背中を丸めて作業に没頭する、その姿に引き寄せられていた。
工房には、静かな時間が流れていた。外の雨はすっかり上がり、窓から差し込む光が、工房の埃をキラキラと照らし出している。
孤独な工房に迷い込んだ、小さな獣人の子供。
この出会いが、何かの始まりになるのか、それとも、ただの一時の気まぐれに終わるのか。それはまだ、分からない。
ただ、エリアーナの心の中に、ほんの少しだけ、凍てついていた何かが、カチリ、と音を立てて動き出したような、そんな予感がしたのである。
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