第一話 花と石 五

 エリアと別れて大通りを歩いていくと、大通りの終わる手前、南門が目前の街角に地面に布を置いて細々とした商品を売っている老婆がいた。

 かなりの高齢に見える。

 布の上に置かれていたのは老婆と似たところのある古ぼけた装飾品のたぐいで、それほど価値のあるものには見えない。

 クリスティエは一瞥して立ち去ろうとしたが、視界の端に引っかかったものに目を引き付けられた。

 黒くて丸い、小さな金属の装飾品らしきもの。

 黒いのは表面に錆が浮いているからだろう。

 それよりも目を引いたのは、その形状である。

 これほど綺麗な丸は見たことがない。

「あの、これ、ちょっと触ってもよいですか」

「あ、ああ、いいですよ。よくご覧になってくださいね」

 クリスティエは装飾品を手に取ると、丸の表面を見つめた。

 表面に何か装飾が施されている。

 錆でよく見えないところがあるものの、その金属加工技術のこまやかさには驚かされた。

 昔、母が拾ってきたものの中に、貴族の令嬢が落とした装飾品があったが、あの高価な品物に施されていた装飾よりもさらに数段細かいように思う。

 そして、その表面の模様を、どこかで見たような気がしてならない。

「これはどうやって手に入れたものでしょうか」

「ああ、それね。もう十五年以上も前になるかしら。この町に行商に来た時に途中で拾ったものなのよ。昔は綺麗に光っていたから、たいそうなものと思って大切に保管していたのだけれど、いつのまにか黒くなってしまってね。だから、売ろうと思ったのよ。私が持っていても、もう先は短いからね。誰かに託すほうがいいかなとも思ったしね」

 ゆっくりとそう話す老婆の顔に、懐かしそうな表情が浮かんでいるのを見たクリスティエは、こう言った。

「私に託していただけませんか」

 丸い装飾品の値段は五百ゴルドだったが、クリスティネは、

「私は、貴方の思い出にはもっと高い価値があると思います」

と言って、恐縮する老婆に五千ゴルドを渡した。

 本当はもっと支払いたかったのだが、あまりに高額な金銭を渡してしまうと、宜しくないやからが現れる可能性もある。

 だから、目立つ手前の、ぎりぎりの額でしか支払えなかった。

 そのことを悔やみながら、クリスティエは南門を出た。


 *


 帰りは行きと同じ道なので、小高い丘を越えるとアルドレイアは見えなくなる。

 昼過ぎの陽光が畑の若葉に、成長を促す優しさで降り注いでおり、行きよりも緑が力強く見える。

 気のせいかもしれないが、クリスティエは少しだけ気分が前向きになった。

「あの老婆に次に会った時には、また他の物を買おう」

と考えると、自然に足取りが軽くなった。

 南の森の入口が見えてくる。

 彼女は目を細めると、背に負っている荷物の紐を少しだけ緩めた。

「まったく、せっかくの気分が台無しじゃない」

 そう言いながら、彼女の頬には笑みが浮かんでいる。

「これはもう、責任取ってもらうしかないよね」

 南の森は昼間でも薄暗い。

 人の手が入っていないところは、高いところの木々の葉が密集して生えているからである。

 そのため下生えが貧弱で、しかも白の月の前に枯れた草は、まだ生い茂る前だった。

 クリスティエはゆっくりと歩みを進める。

 すると、それに同期するように森の中で茂みが動いた。

 彼女は小さくため息をついた。

「ふっ、連携が取れていないじゃない」

 視覚、聴覚、嗅覚を少し鋭敏にするだけで、周囲の状況は手に取るように分かる。

 木々の葉のざわめきが長めなのは、槍を持っている者の特徴であり、土を踏む足音が鈍いのは、大きな楯を持っている可能性を示している。

 それ以外の近づいてくる気配は剣士か盗賊のものだろう。

 ただ、楯を持った者の前に槍を持った者がおり、その周辺に剣を持っているらしき者がいるのはおかしい。

 少し離れたところにいて近づこうとしない、気配のおかしな者は遠距離系の魔法遣いだろうが、その攻撃の軸線上に引っかかっている者がいる。

 連携が取れていない集団なのに、武器や態勢がそこそこ充実しているということは、軍での統率の取れた作戦行動を経験したことはないが、集団戦闘あるいは集団暴行の経験だったらあるということだろう。

 素人ではない。

 クリスティエは荷物を背中から降ろした。

「こそこそ動き回られるのは迷惑なんだけど」

 大きな声でそう言うと、周囲のざわめきが一瞬消えた。

 つまり、少なくとも魔獣討伐のような、気配に気を配りながらの集団戦闘の経験はあるということだ。

 ただの野盗ならば、もう少し慌てた挙動が伝わってくる。

 烏合の衆ではないが連携が取れていないということは、集団を形成してからさほど時間がたっていないということだ。

 だとすれば、全体の指揮をするために首謀者本人がここにいるはずである。

 すべてを託せるほどの信頼関係はまだないだろう。

「代表者はいないの?」

 さらに声を張る。

 左前方で木々の葉がざわめき、坊主頭の大楯持ちが姿を現した。

「お嬢ちゃん。随分と落ち着いているな」

「まあね。慣れているから」

「それは虚勢の張り過ぎというもんだ。見たところ、まだ十五にもなっていないんだろ?」

「十四だよ」

「やっぱり。成人もしてないじゃないか。ただの無鉄砲なガキだな」

「そうかもね」

 そう言いながら、クリスティエは両のこぶしに手早く布を巻き付けた。

 大楯持ちの目が細くなる。

「近接戦闘系の盗賊シーフか? 冒険者資格がまだないんじゃ、見習い以下だろ?」

「そうかもね」

「まったく。金さえおとなしく渡せば、手荒なことはしないというのによ」

「私のほうが手荒な真似がしたいのよ。さっきから舐めたことばかり言ってるけど、やる気あるの?」

「まったく、風邪を引いた犬みたいな見境のなさだな」

 坊主頭が右手を上げる。

 すると、周囲の気配がクリスティエに向かって移動し始めた。

 坊主頭も、大楯をぶらぶらさせながら近づいてくる。

「近接専門が集団戦? 頭がどうかしているぜ」

 確かに近接戦闘の得意な盗賊は、狭い空間に相手を誘い込んで各個撃破するのが常套戦術である。

 森の中のような、木々の幹がありこそすれ見通しの良いところでの戦闘では不利だ――よほどの実力差がなければ。

 クリスティネはほくそ笑むと、つま先に重心を移す。

 同時に、森の中に長閑のどかな声が響いた。

「待て待て。こんな森の中で何やってるんだよ」

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