第二話 男 一

 声がしたほうを見ると、男が立っていた。

 手入れをさぼるために短くしているような髪型と、その下にある穏やかな瞳。

 服は普段着で、戦闘用の機能や加護は施されていないように見える。

 腰に長剣を下げていなければ、ただの”中年のおっさん”にしか見えない。

 しかし、クリスティエはその見た目でも警戒を解かなかった。

 なぜなら、男が声を上げるまで誰もそこに彼がいることに気づかなかったからだ。

 坊主頭も同じらしく、

「お前、いつからそこにいた?」

と、殺気のこもった声で言う。

 つまり、男は坊主頭の仲間ではないということになるのだが、クリスティエにとって”要注意人物”であることに変わりはなかった。

 中年男はゆっくりとした足取りでクリスティエに向かって近づいてくると、その間合いの外側で向きを変え、坊主頭と対峙した。

 自身の剣の間合いの内側で守ろうとしないのは、クリスティエの実力に敬意を表してのことだろう。

 彼女は苦笑すると、後ろに下がって状況を中年男に任せることにした。

 中年男は相変わらずの長閑な口調で、話を続けた。

「あんたがリーダーかい?」

「だったらどうする?」

「止める。おまえらではこのお嬢さんには勝てない」

「お前なら勝てるのか?」

「分からん。ところで、質問口調ばかりで話すというのは決断力がないことの裏返しだぞ」

 坊主頭はにやりと笑う。

「いや、今すぐお前を殺すことを決断し……」

 言葉の途中で、坊主頭は横倒しになる。

 中年男が一瞬のうちに間合いを詰め、剣を鞘に収めたまま頭を殴ったためである。

「だから、決断力がないって言ってるんじゃないか」

 そう言いながら周辺をゆっくりと見回す。

「なあ、どうするんだ? 別にこの男の部下という訳でも—―」

 そこで不自然な間が開く。

 中年男は、地面の上に伸びている坊主頭を改めて見ると、それから空を仰ぎ見て大きなため息をつきながら、話を続けた。

「はあっ。気が変わった。お前ら全員逮捕する」


 そして、中年男の身体がクリスティエの視界の外へと動く。

 一般人には消えたように見えるその動きを、クリスティエは目は捉え、追っていた。

 中年男はまず、一番近いところにいた槍遣いに向かう。

 槍遣いも一応はスキル持ちなのだろう。

 反応して槍の穂先を水平に保とうとしたが、中年男のほうが早い。

 槍の苦手な懐に入ると、剣で槍遣いの顎を叩く。

 さほど鋭い動きではなく、むしろ軽い打撃に見えたが、槍遣いの身体は中年男の頭の上まで飛んだ。

 中年男は槍遣いの隣りにいた剣士を無視して、さらに向こうに駆け出す。

 その先には魔法遣いがいた。

 口が動いている。詠唱だ。

 魔法遣いの周囲に魔素が集中する揺らぎが見えたが、遅かった。

 中年男は魔法遣いの頭を側面から叩く。

 魔法遣いは横に飛び、魔素の揺らぎがたなびいた。

 そこに仲間の魔法遣いの火焔球ファイア・ボールが飛んできたが、既に中年男の姿はない。

 男は走りながら足元の石を拾って、空高く投げる。

 そして、クリスティエのほうを見て微笑むと、高い木に向かった。

 よく見ると、太い枝の上に弓使いがいる。

 弓使いは正面から向かってくる中年男に狙いを定めていたが、急にバランスを崩して枝から落ちた。

 さっき投げた石が当たったのだ。

 正面から向かっていったのは、弓使いが狙いを定めるために動かなくなることを狙ってのことだろう。

 中年男は落ちてくる弓使いに目もくれず、先のところで棒立ちになっていた、火炎球を放った魔法遣いの背後に回り込む。

 中年男の唇が「森で火を使うな」と動いたのを、クリスティエは見逃さなかった。

 魔法遣いの頭を軽く叩くと、魔法遣いはくたりと倒れた。

 それで、残りは近接戦闘系の剣士三人と盗賊二人になる。

 剣士と盗賊は密集して、全方位警戒の体制をとった。

 攻撃が直線的な魔獣の討伐であれば、それも有効な手段だったかもしれないが、格上の剣士相手には愚策である。

 密集したことにより、剣を振る時に隣との間合いを意識する必要があるからだ。

 中年男はゆっくりと男達に近づくと、向かってくる相手の頭を順に叩く。

 剣士の長剣を受け流して、ぽん。

 盗賊が両手に持った短剣をはじいてから、ぽん。

 もはや戦闘というよりは作業で、全員が昏倒するまでさほど時間がかからなかった。


 だらしなく地面に伏した男たちを、中年男は右の腰に下げていた袋から縄を取り出して、適当な長さに切り分けながら縛り上げてゆく。

 その鮮やかな手際を見つめながら、クリスティエは考えていた。

 なぜ、この男は鞘に入った剣で頭を叩き続けたのだろうか。

 殺す気がなかったといえばそうなのだろうが、相手は悪党だし、自分の命を狙っている。

 確実に仕留めるためには剣を抜いたほうがよいはずだ。

 そして、その剣の使い方もおかしい。

 鞘のまま軽く叩いているように見えるのに、相手は吹っ飛んでいた。

 まるで拳闘士が使う気術のような威力で—―

 そこでやっとクリスティエは気がついた。

 男は剣を拳のように使っていたのだ。

 剣の一番力が乗っているところをピンポイントで当てて、効率よく伝えていたのだ。

 剣はそもそも刀身の範囲内にあるものをぐための武器なのに、その機能を封じて一点突破のみで押し切ったのだ。

 それは、よほどの実力差がないとできないことであり、しかもこの中年男は実力の殆どを出していない。

 それが証拠に、戦闘が完了した時に男の息は乱れていなかった。

 不埒ふらちやからを縛り終えると、中年男は立ち上がってクリスティエを見た。

「待っている必要はなかったんだけどな」

 そう恥ずかしそうな顔で言う。

 その姿を見て、クリスティエも少し恥ずかしくなった。

 確かに彼の言うとおりである。

 武術のたしなみのない普通の少女ならば、恐れをなしてその場を早々に立ち去っているだろう。

 興味深く成り行きを見守るはずがない。

「その、助けてもらったお礼をまだ言ってなかったから」

 クリスティエの苦し紛れの言い訳に、中年男は微笑むと言った。

「いや、むしろすまなかったな。いらぬお節介だったろう?」

「そんなことは――」

「隠しても無駄だよ。複数の男を前にして、重心をつま先に移動させる少女は普通いないし、無詠唱で火焔球ファイア・ボールを対消滅させられる氷槍スノー・ジャベリンを出せる奴も、そうそういない。しかも、その魔法を使わずに、あくまでも盗賊で押し通そうとするなんて、何をかをいわんやだぜ」

 クリスティエは赤面した。

 やはり、火焔が森を焼く前に消したところを見られていたのだ。

 ドルトは苦笑いして話を続ける。

「ただ、君が彼らに手を出してしまったら、討伐隊の詰所で話を聞かなければいけなくなるんだ。そういう決まりなんでね」

「討伐隊?」

「そう。こいつらは王都ギルドの魔獣討伐隊募集に応じて、ここまで来た連中なんだよ。それで、俺がその討伐隊のまとめ役の一人なんだ」

 そこで中年男は、右手を前に出しながら言った。

「俺の名はドルト。白銀シルバー級冒険者だ。討伐隊のことで何か困ったことがあったら、俺に言ってくれ」

「あ、はい。私の名前はクリスティエです」

 そう言いながら握ったドルトの掌は、予想外に硬かった。

 握手の後、その硬さの意味を考えていたクリスティエに、彼が言った。

「そろそろ帰ったほうがいい。誰がか通りかかると説明が面倒だからな。俺は荷車が通りかかるのを待って、町までもっていくのを手伝ってもらうつもりだが――説明が面倒だな。拾ったというわけにもいかんし」

 困った顔をするドルトに、クリスティエは微笑みながら頷く。


 まあ、ママならば人であっても「こんなものを拾ったの」と平気で言うだろうな。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る