また雪の日に参ります
駒門海里
短編 また雪の日に参ります
「本当やりやがったよマジで……」
「いやー、もう私めからこんな事言うのもなんですが、マジでバカ殿様ですね」
「どうすんの俺らこれから!」
「知りませんっての! まあ……御公儀からの御沙汰を待って身の振り方をですな」
「もうどの道浪人確定じゃん!」
「まあ、主家の主家があの様ですからね……」
元禄十四年四月、よく晴れた春の陽気に誘われた参拝客で一際賑やかな富岡八幡宮の参道近くの軍鶏鍋屋で俺、孫左衛門と友人と言う程ではないけども、立場も年齢も近く比較的親しい飲み友達の信行と昼間から延々、小鍋仕立ての軍鶏を肴にくだを巻いていた、と言うのも俺も信行も武士の身分ではあるが、共に大名に直接仕えている訳ではなく、大名に仕える高い身分の家臣に仕えている、言わば殿様から見れば陪臣に当たるのだが、その殿様がやらかしやがった、話は数日前に遡るのだが、以前からまあ良くも悪くも感情優先で癇癪持ちで仕えている主人も幾度となく困らされていた様子だったが、ついに刃傷沙汰を起こしやがった、幸いにも相手の殿様の傷は軽かったが、立場も場所も悪い、そもそもというか当たり前の話だが、武士というのは割と法と慣例で雁字搦めになっていて、抜刀なんて御法度もいいところだ、大名ともなれば喧嘩両成敗で双方切腹、お家取り潰しはまず免れない、つまりそれは主家の主家を失うという事で、俺や信行も浪人確定、路頭に迷う事になるのだった。
「で、相手の方はどんな様子よ?」
「それがどうも妙で、此方は抜刀していないから喧嘩ではないって、バカ殿様が一人でその日のうちに切腹だそうで」
「は? マジで?」
「マジです、まあ詳しくは解りませんが、将軍様の特別なご配慮みたいですよ」
「それはそれで腹立つな」
殿様も殿様なら恨み相手の殿様も殿様で、その主人の将軍様も将軍様と言う事だろうか、この話阿呆しか見当たらない。
カチ……チッチ……あ、来やがった、話は変わるが俺は幼少時、物心ついた時から妙な現象に襲われている、病と言うにはあまりに奇妙で説明もつかない現象、頭の中で小さな変な音が鳴ると、自分でも考えてもいない、いや、むしろ考えとは真逆の事が多い発言を勝手にしてしまうのだ、まるで、こうしなさいと神様仏様にでもさせられている様な。
「信行……こうなっては、我々は最後まで主家に尽くし、主人の汚名を晴らし武士の本懐を遂げるが正道ではないか?」
「また始まったよ、聖人君子モード、ダルめんどくさ……ああ、まあ確かに世間では我々やら直下の家臣に仇討ちを迫る声があるらしいですね、家中でも若い家臣を中心に仇討ち推進派が出来てるとか、そこら辺は孫左衛門様の主の方がお詳しいのでは?」
「こうしてはいられません、信行、私は主家に向かいご意見申し上げて参ります」
「何か始まったよ、あー、もう行くなら一人で行ってくださいね、あ、お勘定は置いて行って私ただの貧乏足軽なんだから」
カチ……チッチ……。
「ふっ、はあ! ようやく元に戻った! 何あれ、俺何言ってるの!?」
再びあの音が鳴り、それまで首をじっくり絞められ、それが一気に解かれた様な開放感、ストンと力が抜けて身体に自由が戻る、この通り幼少時からずっとこれ、こんな現象に苛まれているからあらぬ誤解を受ける事も多々あった。
「勘弁してくれよ本当」
酒が残っている事もあり、今日は早々に家に帰る事にした、どの道殿様の切腹の事後処理やら幕府からの通達やらで家中はてんやわんやしているし、八百八町の活気が全くもって疎ましい。
「で、そう言う訳で、主家はお取り潰し、我々も路頭に迷うわけだけど、君らは何か行くはある?」
「他家への口聞きも、出来なくは無いけど事件が事件だから望みは薄いよね」
「ただでさえ、主家に尽くして仇を討てって騒ぎ立てられててさ、直接の家臣でないとは言えここで脱藩した君らを仕官させるところって無いと思うんだよね、いや困った、何とかしたいんだけどね」
「良雄様……」
「まあ、せっかく来たんだしさ、一杯やろうよ」
信行と飲んだ翌日、直接の主人である良雄様の元へ出向いた、もちろん御公儀の最新の申し付けの確認と、身の振り方の相談の為だ。
「君だから言うけどさ、本当いい迷惑だよね」
「知ってるかい? 殿の即日切腹も相手の殿様への不問も全部、側用人が仕向けた事らしいね……それはどうでもいいけどさ、市井がかなり荒れてるんだよね、知ってると思うけど、あの事件かなり有名になっちゃってさ、最近でも町人やら若い衆が、本所の下屋敷に乗り込んできて、仇討ち仇討ちってうるさいのなんのでさ……庶民ってのは気楽で残酷だよね」
「家中でも、仇討ちに出ようって声が中々大きくてね、特に堀部君とかその辺を中心にね、何とか宥めてるんだけどね」
「孫左衛門君、君はどう思う? 仇討ちってやるべき?」
女好きで酒好きで、だが家臣思いの良雄様が、かなり疲れた様子でそう話を振って来た、あまり見せない顔ではある、もちろん普段から愚痴を聞いたりはしているんだが、こうも弱ってる姿は中々見ない、勿論、答えは一つで、手元の盃を飲み干して、すうっと息を吸う、仇討ちなんて結局待っているのは参加者全員切腹、晒し首で、誰も浮かばれない、幸せになれない道でしかない、実に下らない、と答えは決まっていた、のだが。
カチ……チッチ……。
「主人が被った汚名を晴らし、遺恨を晴らし武士の正義を示すのが本懐、なれば、私めも討ち入る際はその末席に加えて頂きとうございます」
「……それが君の考えかい?」
違う違う違うそうじゃそうじゃない、だが口が勝手に言葉を話すのだ。
「如何にも、私も良雄様とこの命、お家の為に捧げる覚悟です」
冗談じゃない、あんな自分のプライドの事しか頭にないバカ殿の為に命なんか使えるか。
「そうか……わかったよ、今日はもういいから帰って休んでよ」
カチ……チッチ……。
ふはっ、良雄様のお屋敷を出て数歩、いつもの音と同時に抜ける力、本当これ大迷惑だし異常に疲れるんだけど。
それから、驚くほどに何もないまま時間は過ぎていった、透き通る様な蒸し暑い夏を過ぎ、紅葉と暑さから蘇った魚の棒手振りの声が盛況な秋を過ぎ、そして、霜が降りて江戸の町が深く暗い寒さに沈む季節が来て、それをもう一巡繰り返して。
酷い寒さの日だった、良雄様に呼び出されてお屋敷に行ってみれば、件の仇討ち推進派の堀部とか言う若いのを筆頭に徒党を組んだ連中か一斉に睨みを効かせてきた、いや普通に怖いからね、その中に信行の姿もあった。
名前を呼ばれて、良雄様の前に行ってみると、一枚の長い紙を突き出されて。
「前に言っていた仇討ちの意思が本物なら、これに名を書け」
と、人前だからか、或いはこれが本来の家老職の顔なのか、普段とは全く違う口調で。
カチ……チッチ……。
このタイミングで、なんだよこのクソ音は。
「……待っておりました良雄様」
「この命、お家の為に」
「堀部殿、高田馬場でのご高明は聞き及んでおります、平素関わりはありませんでしたが、ここに於いては一連托生、ともにあの悪漢の首を刎ねましょう」
勝手に握手までしやがった、いや本当、堀部とか知らんよコイツ誰、何したやつなの。
「良雄様、決行は?」
「ああ、日時は……」
その日は酷い雪の日の夜だった。
揃いの黒いだんだら模様の羽織に陣笠を付けた良雄様を先頭に、ミシ、ミシと新雪を踏んで行った、提灯の灯りがボヤけてそれが雪に反射して、随分綺麗だったのを覚えている。
「おい、おい……」
良雄様から呼ばれた。
「今から藩邸に討ち入るんだけど、正直さ、君来たくなかったろ?」
こう言う時大体音が鳴って自由が奪われるのだが、今日に限っては何もない、普段のままだ。
「正直、はい、全くやりたくありません」
「よろしい! ならば役目を与える」
「このまま国元に帰り、我々の事を家族に伝えてくれ、そしてそのままゆっくり死んでいけ、君の様な不忠義者はそれがお似合いだ、死にながら我々の話をし続けるように」
「……それが、願いだ」
「解りました……その任承ります」
「良雄様、皆さん……いつかの雪降る日に私も参ります」
顔は見れなかった、俺は横の路地を抜け、だんだら模様の羽織のまま、道を急いだ、そのまま街道を抜け、背中に陣太鼓の音を聞いて。
あれからずっと、あの頭の中の音を聞くことはなかった、今に思えば、音に招かれて俺はあの事件の証人になったのかも知れない。
また雪の日に参ります 駒門海里 @sekkenkamen
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