イヤだと言えないのなら、言えないままでいい社会に

渡貫とゐち

戯れ言のはじまりはじまり……


「その時、その場でどうして嫌だと言えないんだ? だって嫌なんだろう? 嫌だと言わないと今の苦しみがずっと続くんだぞ? なのに、どうして嫌だと言わないんだ?」



「お兄さん、言わない、のではないのです。言えないのですよ。そこを勘違いしないでくださいな。強いお兄さんには考えられないことかもしれませんけど、弱い立場の人間は嫌だったとしても嫌とは言えないのです。だって……嫌と言ったらそのあとでなにをされるかわかりませんし……報復が怖いんです……」



「報復が嫌だから、今の苦痛をがまんする――と? それ、解決になるのか? おおごとにしたくない気持ちも分かるが、それで困るのは自分じゃないか。嫌なら言った方がいい、じゃないと、嫌なのに嫌ではなかった、と受け取られて誤解される。今後、どんどん行動がエスカレートしていくことになるぞ? そうなったらもう止まらない。なにをしても『こいつは嫌がらないやつなんだ』って思われたらカモにされるだけだ。だから絶対にその場で嫌と言った方がいい……それが無理でも、当日、翌日に警察に相談するなり週刊誌に持ち込むなりできるはずなんだ……。なのに、なぜそれをしないんだ? しないやつが多いのだろうか……。

 これは俺の確認不足で申し訳ないのだが、嫌だと言えないってことはもしかして、猿ぐつわでもされていたり、クスリを打たれて身動きが取れなかったから……なのか? 物理的に言えなくなっていたのならば俺が悪かった……勝手なことを言ってしまった……申し訳ない。批判をするべきじゃなかったな。……どうなんだ? どうなのだろう……。実際、拘束されていたから嫌とは言えなかった……?」



「お兄さん、そうじゃないです。拘束はされていませんが、気分的には、拘束されているようなものなんです」



「それはズルいよ、後だしジャンケンじゃないか。言える状態ならば嫌だと言わないと。察してくれ、っていうのは難しいよ? それに――気分的な拘束で、仕事に影響するから嫌だと言えないのなら、それは天秤に乗せた結果、嫌なことを嫌だとは捉えなかったってことだよな? 本当に嫌ならなりふり構わずすぐに言うはずなんだ……仕事がどうとかそんな場合じゃなくない? まずは今だよね? ……嫌なのに嫌と言わなかった……それって、理由があれ、なりふり構わず言わなかった時点で、実は嫌じゃなかったんじゃないのかな?」



「お兄さん、それは酷い感想ですよ」



「ごめんごめん、でも、思うんだよ……嫌なら言うはずなんだよ。どうしたって、人間ってのはそういう生き物なんだから。なのに言わないのは、整理がついて受け入れたから、としか思えないんだ。そして、告発者はどうしてか長い年月をかけてから告発している……まるでその時間、コールドスリープしていたみたいに。

 だったら分かるけどね。だってずっと寝ていたんだから、翌日に告発したつもりが実際は十年も経っていたわけだから納得できる。……でもさ、不思議な話だよ。嫌な目に遭ってからも普通に生活していたはずなんだよな……なのに数年も経ってから急に告発をする? 悪いけど、別の狙いがあるとしか思えない。

 告発者を守ってあげたいんだけど、数年後に告発する人はちょっと、ね……なんか金の匂いがするんだ。後々回収するために温存していた、と思われても仕方ないと思うよ。周りの風潮に流されて告発したのだとしても、周りに影響されている時点で告発者には芯がない。そんな人を……悪いけど、個人的には味方をしたくはないなあ……」



「お兄さん……。お兄さんのこと、嫌いになりそうです」



「え、嫌だ、嫌いにならないで」



「つーん、ですよ、お兄さん」



「――とまあ、このように、嫌なら嫌と言えるんだよね。難しいことはなにひとつない。口が塞がっていなければ言えるんだよ……。まあ、銃口を向けられていたり、家族が人質に取られていたりしたら話は別だけど。それとも告発者は当時……そんな事件に巻き込まれていたりしたのかな!?」



「…………」



「違うよね、と否定もできないよね。だとすると…………本当の本当に、嫌なのに嫌だと言えないのだとしたら――そういう状況に追い込まれていると言うのならば。そうだな……逆にした方がいいのかもしれないね」



「逆? お兄さん……?」



「うん。逆だよ。。嫌だったらなにも言わないでいい――黙っているだけで『私は嫌です』という意思表示になる。たとえ拘束されていても、黙っていれば嫌だと相手に伝わるでしょ? ぐっとがまんしなくていいんだ」



「お兄さん、それ、いいかもしれませ、」



「でも、嫌じゃないです、と無理やり言わせることでクリアする人もいるかもしれない……、うーん、じゃあその改善案を……どうしようか。難題だね。

 ともかく、課題はあるけどさ、黙っていることが嫌であることの表明になっていれば、みんなは嫌と、その場で表明できるのかな? 数年前の出来事をあらためて告発する、なんてこともなくなるのかな……」



「というかですね、お兄さん。告発されるようなことをしないのが正解ですけど……」



「それが分かれば苦労しないよ。よかれと思ってやったら実は嫌がっていた、なんてその時に言ってくれないと分からないし」



「お兄さん……それ本当に?」



「え、だって分からないでしょ」



「お兄さんがわたしにしたこと、覚えてます?」



「小説の朗読をさせたことだよね。仕事の練習でさ。

 喉が枯れるまでやったけど、嫌だって言わなかったじゃないか」



「だって声が枯れてるんですよ、お兄さん!」



「枯れる前に言えたはずでは? でも言わなかったからね……まさかこんなことでいまさら告発されるとは夢にも思わなかったよ……、もしかしたら夢かもしれないけどね。

 なんて、そんなわけないか……嘘みたいな現実だ。炎上もしっかりしてるしね……まったく、なんなんだよ、この裁判は……」



「わたしは嫌だったんです!」



「じゃあその時に言ってよもう。なんで十年も経ってから……ずっと声が枯れていたわけでもあるまいし。やっぱり、声を上げないことで嫌だと表明する社会じゃないとダメなのかな……でも、そこまでしないといけない? なにもできない?

 なんだか人を馬鹿にした超過保護社会だね……、なーんか、人間がどんどん弱くなっていってる気がする……昔の人の方がもっと強くて、立派だったよね?」



「お兄さん、だって時代が違いますから」



「じゃあまた戦争する? もう一度、戦後の尻上がりの先進国になれば、この国はまた強さを手に入れられるかもしれないよ?」





 そして、その男は有罪となった。


 なぜなら戦争をするべきだ、と公の場で発言をしたからだ。


 どんな理由であれ、この国は戦争はしないのだ……もう二度と。



 一度だって、あってはならないことなのだから。





 … おわり

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