第5週【魔】

寺の本堂の奥、住職の私室。月明かりだけが障子越しに差し込み、静寂の中にわずかな虫の声が混じっていた。


住職・井波宗徳は、机に広げた用紙に目を凝らしていた。


《真島 優馬 28歳男性》

《藤沢 真白 26歳女性》

《○月○日、当神社を訪問。以前から相談されていた2人で、友人の○○様より「言動がおかしい」という相談を受け、○月○日に訪問して頂く。》


《推定:極度の共依存。持ち込まれた『歯』は明らかに小石を細工して作られた物で、おそらく男が女を怖がらせるために作ったのでは?と推測。なぜか2人は不審者からの届け物と信じている様子でもあった》


《なぜか2人ででは無く、どちらかの一方だけよく寺へ訪ねてくる。興味深いのが、男は彼女の母親について熱心に語り、女は男の不審な言動について話していた。家に起きている“現象”は話ついでに聞かせてもらえた。》


《ただ、2人の病状は日々悪化していくのが話す度に見てとれた。お香の配合や精神薬の強度を上げてみたが、効果は一時的なものである。男の言動の攻撃性が上がってきたのが懸念》


(ただ、もう一週間以上顔を合わせてない。どちらの連絡もつかないし、もしかしたらここの本当の姿に気づかれたのかもしれない)


住職はフーッと溜め息をついた。

『救えない者もいる』そんな焦燥感と、自身の力不足を実感した。“あのまま除霊をしても、それこそ事態の悪化を招くだけ”と、2人から感じる“何か”は自分の力ではどうしようないと気づいていた。


「…ん」

開いているパソコンからチカチカとメッセージが届いているのがわかった。


神父である旧友からのメールだ。こういった“こちら”ではわからないケースは、向こうの知識を借りる時もある。念の為に優馬と真白の件は報告してあった。


件名には、短くこうあった。


《警告》


内容は短く、しかし震えるような事実がそこに書かれていた。


「お前の言っていたケース…それは“つがい”の悪魔だ。これは人の絆、特に夫婦や恋人に宿り、同調して精神と肉体を侵す。いわば共依存を利用した寄生型の悪魔だ。宿主は破滅に導かれ、周囲の不幸を媒介に繁殖する。…気をつけろ。彼らから目を離すな」


その文面を読んだ瞬間だった。


カタリ、と机の上で何かが動いた。


見ると、真白たちが以前に渡してきた“歯のようなもの”が、勝手に転がり、パチリ、と音を立てて揺れている。次の瞬間、どこからともなく声が聞こえた。低く、喉の奥で笑うような──獣の唸りにも似た、言語にすらなっていない音。


住職の身体が凍りついた。すると背後で、何もないはずの空間に、何かが立っている。


    やばい


逃げようと立ち上がった瞬間、何かが脚をつかんだ。空気のはずの床下から、何本もの“手”が現れ、住職を乱暴に引きずり上げていく。


「南無阿羅耶観自在如来にて結縁せしものよ縛せられし魂を解き放て無間の闇より離脱せよ金剛焔心裂魂輪にて穢れを絶つべし──」


必死に念仏を唱えるが、効く素振りもない。懐に忍ばせていた札などを投げてみたが空を切るだけであった。


「う、うわぁぁぁ!」

ズルズルと、彼の身体は畳の上を滑る。引っ張られる先は、本堂の裏──全国各地から預けられる呪物を秘かに保管している、誰も知らぬ地下の保管庫だった。


「助けてくれ!誰か!」

悲鳴を上げるが当然誰もいない。いくら暴れてもその“何か”は決して住職を離そうとしなかった。


ギィーっと扉が自然と開き、彼の身体は中へと投げ込まれる。


「うう……!悪魔め……」


住職は懸命に声を振り絞った。


手元にあった数珠を掴み、震える声で再度念仏を唱える。しかし、その言葉は空間に溶けるだけで、悪魔には一切届かない。


「……」


冷や汗が滲む。日本の仏教では対処できない存在──それを彼はようやく理解した。


その瞬間、封印されていた呪物の一つがパチン、と弾けるように開封された。続けて、別の呪物も。次々と、棚の中から物たちが勝手に解かれ始めた。


「ひいっ!」


住職が振り返ると、全ての呪物を入れた箱が開かれている。どこからとも無くひそひそと声がした気がした。


「いやだ……!」


バタン!と倉庫の扉が閉まった。

光が遮断した誰も入れぬ保管庫の底から──まるでこの世のものでない断末魔が、こだまするように響き続けていた。


そして、数日後──住職は失踪扱いとなり、寺は一時閉鎖されることとなる。


彼の遺体が発見されるのは、さらにその後。呪物保管庫の存在が偶然判明し、中にあった棺のような箱の中から彼の身体が見つかったのだ。


その身体は、頭部を日本刀のようなもので貫かれ、内臓も眼球もすべて抜き取られていたという──ただし、その情報が世に出ることはなかった。


住職が最後に見たものが何であったのか、それを知る者は、もういない。

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