第5話:ゲーセンの幽霊と、予測不能な挑戦者

ゲーセンの幽霊と、予測不能な挑戦者


蝉の声がアスファルトの照り返しと共に襲ってくる、うんざりするほど暑い夏の日。俺、ケンタは、マサルに引きずられるようにして、近所の寂れたゲームセンターにいた。クーラーの効きはイマイチだったが、外よりはマシだ。


「よっしゃあ!ケンタ、勝負だ!」

マサルは、ホコリをかぶった対戦格闘ゲームの筐体に陣取り、100円玉を叩き込む。こいつの格ゲーは、ある意味で予測不能だ。いや、予測はできる。どうせロクなことにならない、という予測が。


「マサル、お前さあ…」

案の定、試合開始早々、マサルは奇声を発した。

「くらえ!波動けーん!」

画面の中のマサルのキャラクターは、どう見ても回転しながら蹴りを繰り出すモーション。竜巻旋風脚だ。


「おい!技名と全然違うじゃねーか!しかもそれ、波動拳じゃなくて昇龍拳のコマンドだろ!」

俺のツッコミにも、マサルはコントローラーをガチャガチャさせながらケロッとしている。

「いやー、なんかさ、口で言った方が気合入るっていうか?それに、相手も一瞬ビビるだろ?『え、波動拳って叫んでるのに足技!?』って。その隙を突く、高度な心理戦だよ、ケンタくん」

「ただのインチキだろ、それ…」


そんなくだらない攻防を繰り返していると、ふと、ゲームセンターの奥の方から、今まで気づかなかった異様な気配がした。いや、気配というより、音か。

チーン…チーン…と、どこか古めかしい、しかし澄んだ音が、一定のリズムで鳴っている。まるで、誰かが一心不乱にコインを投入しているような。


「ん? なんの音だ?」

マサルも手を止め、首をかしげる。

その音は、一番奥にある、誰も見向きもしなかった古い格闘ゲームの筐体から聞こえてくるようだった。その筐体は、電源が入っているのかいないのかも怪しいくらい、薄暗く、画面も真っ暗だったはずだ。


俺とマサルは顔を見合わせ、そっとその筐体に近づいた。


「……!」


そこに、一人の少年がいた。

俺たちと同じくらいの年だろうか。白いTシャツにジーンズという簡素な格好だが、異様に肌が白く、どこかこの世の者ではないような雰囲気を漂わせている。そして、その目は、真っ暗だったはずの筐体の画面に釘付けになっていた。


画面は、今まさに起動したかのように、バグったようなノイズ混じりのメーカーロゴを映し出し、やがて、見たこともないキャラクター選択画面へと移行した。少年は、まるで長年連れ添った相棒を扱うかのように、慣れた手つきでレバーとボタンを操作している。


「お、おい…あのゲーム、動いてたのかよ…」

マサルが小声で囁く。俺もゴクリと唾を飲んだ。このゲーセンには何度も来ているが、あの筐体が稼働しているのを見たのは初めてだ。


少年は、まるで背中に目がついているかのように、俺たちの存在に気づくと、ゆっくりと振り返った。その目は、どこか遠くを見ているようで、焦点が合っているのかいないのか、よく分からない。


そして、無言のまま、対戦相手を選ぶかのように、2P側のコントローラーを指さした。


「……え? 俺たちと、やるってことか?」

マサルが、なぜか少し嬉しそうに前に出る。こういう時、こいつの能天気さはある意味で武器だ。

「おう、いいぜ!俺が相手になってやるよ!ただし、俺は『波動拳!』って言いながら『竜巻旋風脚!』出すけどな!」

少年は、マサルの言葉に何の反応も示さず、ただ静かにキャラクターを選んだ。選ばれたのは、そのゲームの中でも特にトリッキーで、使いこなすのが難しいとされるキャラクターだった。


試合が始まった。

マサルはいつものように「波動けーん!…からの、ソニックブーーム!」などと意味不明な技名を叫びながら、滅茶苦茶なコマンド入力で攻め立てる。だが、


「うおっ!?」


少年のキャラクターは、マサルの攻撃を、まるで未来予知でもしているかのように、最小限の動きで全てかわしていく。そして、反撃。

それは、俺たちが知っている格闘ゲームの常識を覆すような動きだった。

通常では繋がらないはずのコンボが、当たり前のように繋がる。キャラクターが、一瞬ワープしたかのように画面の端から端へ移動する。マサルが「波動拳!」と叫んで竜巻旋風脚を繰り出すのが「禁じ手」だとしたら、少年のそれは、もはやゲームのプログラムそのものを書き換えているかのような「神の領域」だった。


「な、なんだよ今の…バグか?チートか!?」

マサルは、あっという間にパーフェクト負けを喫し、コントローラーを握りしめたまま呆然としている。

「……おい、ケンタ。こいつ、ヤバいぞ…」


俺は、固唾を飲んで少年のプレイを見ていた。その指さばきは、人間離れしていた。まるで、指そのものが意志を持っているかのように、正確無比に、かつ超高速でボタンとレバーを叩いている。


「……次、俺がやる」

俺は、何か得体の知れないものへの好奇心と、ほんの少しの恐怖を感じながら、100円玉を入れた。


結果は、言うまでもない。マサル以上に手も足も出なかった。

少年のキャラクターは、まるで俺の思考を読んでいるかのように動き、俺が繰り出そうとする技の発生前にカウンターを合わせてくる。画面の端に追い詰められ、見たこともない連携技で体力を削り取られていく。


「……お前、一体…何者なんだ?」

KOされた自分のキャラクターを見ながら、俺は思わず呟いた。


少年は、初めて表情を変えた。ほんの少しだけ、口元が緩んだように見えた。そして、静かに、しかしはっきりとした声で言った。


「……まだ、フレームの最適化が甘いな」


「は?フレーム…?」


その言葉の意味を理解する前に、少年はふっと筐体の前から離れ、音もなくゲームセンターの出口へと向かった。俺たちが呼び止める間もなく、真夏の強烈な日差しの中に溶けるように消えていった。


後に残されたのは、再び静まり返った古い筐体と、呆然と立ち尽くす俺とマサルだけだった。筐体の画面は、何事もなかったかのように、真っ暗に戻っていた。


「……なあ、ケンタ」

マサルが、青ざめた顔で俺を見る。

「今のって…もしかして、このゲーセンに住み着いてる、格ゲーの幽霊とか…?」

「……さあな」


俺は、走り去った謎の代理スラッガーを思い出し、そして今、目の前で起きた超常現象のような出来事を反芻する。

「(フレームの最適化、ね…まるで、ゲームのキャラクターそのものが、自分の性能を調整しに来たみたいじゃないか…)」


隣でマサルが「あーあ、俺の100円…返してくんねーかな、あの幽霊…」とぼやいているのを聞きながら、俺は乾いた笑いを浮かべた。


「(やれやれ、今度はゲームの世界からかよ…)」


"...A new fighter has entered the ring..."


俺たちの、このクソ暑くて、奇妙な出来事ばかりが起こる夏は、どうやらまだまだ新しい挑戦者を、それも人間じゃないかもしれない挑戦者まで呼び込もうとしているらしかった。


(第二話 了)

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