第四章 遠い空の下 ふたつの物語
その国の正確な位置について詳細な地図を掲げることはやめておく。
あえていうなら《フィリピンの都市ダバオの南・ベネズエラの都市カラカスの北》といったあたりにあると思っていただければいいだろう。
この国(仮にA国とする)の繁栄と衰退を語るには、日本から遠い空の下 ふたつの物語を語らねばならない。
A国はかつて広大な農業大国として栄え、とくにトウモロコシの栽培が盛んだったと言われている。またA国のトウモロコシだけを食べて育った牛は『ラキムボン』と呼ばれ高級牛肉として流通していた。
決して経済大国では無く国民たちも豊かな生活が送れたとは言い難いが、贅沢をしなければ生活に困ることはほぼ無く牧歌的で平和な空気に包まれていた。
ある時、一人の男がA国のB村に訪れた。
彼はコラウィットと名乗り、村はずれに建つ廃屋に一人で暮らし始めた。
この廃屋が曰くつきの場所で村民から通称『魔女の城』と呼ばれていた。
数年前まで呪術師の老婆が一人で暮らしており、煙突からは怪しげな煙がモクモクと垂れ流されていた。時には城の中で子どもの姿が見えると噂されたこともあり『魔女が煙で子どもたちをおびき寄せて捕まえて食べている――』そう言って怯える村民もいた。
コラウィットもかつての魔女と同じように城に引きこもり、窓から怪しげな煙を大量に吐き出していたのだが、数年後彼は城から出てきた。腕にトウモロコシのようなナニカを抱えて。
彼が抱えていた新たな穀物。それがマホガニである。
気候の変化にも虫にも強く栽培しやすいのはもちろんのこと、栄養価が高く何より美味しかった。
コラウィットのマホガニは瞬く間に国全土へと広がっていた。
マホガニを食べた人々はみるみる健康状態がよくなった。
身体の動きも良くなりいつまでも働ける気になった。
そう、寝る間も惜しんで働き続けることが出来るようになった。
ここで国の研究者たちは訝しんだ。
マホガニには何かいかがわしい成分が含まれていると。
しかし、その頃には国の主要輸出品となっており、もはや国王にも止めることは出来なくなっていた。
気付けばA国は世界有数の麻薬大国となりコラウィットは一財産を築くことが出来た。
あの男が現れるまでは。
スパポン・パッタナセッターノンは一人のトウモロコシ農家だった。
周りの国民と同じく貧しいながらもせっせと働く農家であったが、彼にはほかの家庭と違うところが一つだけあった。
それは一人息子の存在である。彼は重度のアレルギー体質であり、この土地で作られるものはほぼ食べることが出来ず、海外から取り寄せる食材に頼るしかなかった。
家計はひっ迫したが、スパポンはその分必死に働いた。
かつて一度心が折れて四か月だけ一人息子を遠くに預けてしまったこともあったが、今は我が子を絶対に手放すことは無い。自分が頑張ればいいのだ。彼は負けなかった。
彼にとって労働は美徳だった。これだけ働いている自分はいつか必ず報われるはずだ。報われなければならない。という考えがあった。
そしてトウモロコシをこよなく愛する彼は、この国からトウモロコシを奪ったマホガニのことを憎んでいた。
コラウィットが現れて以来、国の人間の労働力は格段に上がったが、それは一時のものに過ぎなかった。離脱症状がひどくマホガニがないと何も動けなくなっていった。
またマホガニに麻薬的な効能があることを聞きつけた各国のマフィアがこぞってA国に集結し闇取引に励んだため国全体の治安も悪くなり、かつての牧歌的で平和な姿はそこにはなく、あるのは暴力とクスリだけだった。
そんな現状を憂いたスパポンはクーデターを行うことを決意した。
一介の農家がクーデターを行うなど、通常であれば成功するはずが無いのだが、
彼に反対する者は既にマホガニ漬け、彼に賛同する者は健康な肉体を持っている。
スパポンはあっけなく国の代表になってしまった。
彼の改革は強硬的だった。
「かつてのA国を取り戻す」をスローガンにして、国民の八割を一次産業従事者へと変えた。
マホガニありきの生活に慣れてしまった者からは反対も多かったが、反対者は麻薬中毒者としてその場で死刑にした。マホガニを裏で流通させるために世界各国から流入したマフィアも、すべて殺すよう命令した。
こうしてスパポン即位からわずか三年で、マホガニに関わる者は全て命を落とすか国外に逃亡した。コラウィットも気付けばどこかに消えた。
そもそもコラウィットという名前すら偽名であることが発覚し、本当の名前も今どこにいるのかも、どこからやってきた人間なのかも誰にも分からなかった。
スパポンの人権などまるで無視するその手腕に嫌悪すべきものではあるが、結果として国内の治安は回復したのである。
だが当然のように反対の声は上がる。彼の強引すぎるやり方は日増しに国民からの反発を招き、退陣を迫る声が高まっていった。平和になりつつある国に彼のような暴君はもう必要なかったのだ。
時を同じくしてスパポン王政の牙城を崩す大スキャンダルが発表される。
彼の息子がマホガニ中毒者として逮捕されたのだ。
流石の暴君であっても息子を殺すことはできないだろう。と国民の誰しもが考えた。王は窮地に陥ったのだ。
――それが今日のことである。
これから王による世界に向けた声明が出される。
おそらく、退陣を決意する声明になるだろう。
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