第10話 片付ければいいだけ

──「俺がやるよ、それくらい」


言った瞬間だった。

母親の手が止まった。


一拍置いて、

食器棚に向かったその背中が、急に硬直するのがわかった。


「はあ?なにそれ?」


声の調子が変わったのがわかった。やばい。またはじまった。


「何よ、あんた。なんでもできるんだ?へえ・・・偉そうに!へたくそなめし作って、へたくそな洗濯して、てめぇの頭の灰も追えないガキの癖にいい気になってんじゃないよ!!!」


ガシャッ。


棚の上から湯呑みが落ちる。茶碗が飛ぶ。

皿が床に当たって、割れて、跳ねて、重なる。


キッチンが、一瞬で瓦礫になった。


「ほら見なさいよ!あんたのせいよ!ガキの癖に!!誰のお影でそうやって・・・・・!!」


遼太は何も言わず、ただ俯いていた。

割れた破片の上を歩かないように、ゆっくり台所の端に寄った。


十分ほどして、怒鳴り声が寝室のドアの向こうに消えていった。


遼太は、台所用の小さな箒とちりとりを持ってきて、床にしゃがみ込んだ。


──“片付けりゃいい。それだけだ”


そう思いながら、破片をひとつひとつ集める。

紙袋にまとめて、口を縛ってゴミ箱に押し込む。


音を立てないように。

自分の存在を残さないように。


———


翌朝。


靴を履いていたとき、後ろから声が飛んだ。


「何、勝手にゴミ袋捨ててんのよ!分別違うでしょ!?あんたって子は!!」


飛んでくる大五郎のペットボトルを素早く避ける。


壁に跳ね返ったペットボトルが投げた本人を直撃する。


「いてえ!!!!このクソガキ!!!!」


夜叉の様な顔。


小さな頃、手を繋いで買い物に行っていたあの母と


こいつは本当に同一人物なのだろうか。


発狂したような金切り声を背中に受けながら、そしてその声が外に漏れないよう急いで扉をしめ、遼太は素早く家を出た。


駅に向かって歩きながら呟いた。


『……はいはい、これでリセット別の世界。』


———


その日の遼太は、教室でこう言った。


「でも先生、そんなこと言ったら俺“爆笑王子”になっちゃいますって」


クラスが笑いに包まれる。

女子が「うわ、またそれ~!」と笑って机を叩く。

男子が「その返し、反則!」とツッコむ。


遼太は笑っていた。誰よりも自然に、誰よりも楽しそうに。


その日のAI提出ログには、こうあった。


──“今日は朝から家の中が騒がしかったんですが、学校では通常運転。


  俺は切り替えが早いと自分でも思います”


──“それに、いつもよりジョークが冴えてた気がします。もしかして天才でしょうか!?”




AI先生の応答:


『補足ログ、受信完了。

 心理傾向:仮面固定化進行中/外部評価向上。

 内部一致度:低下傾向。

 記録、完了しました。』


私は、記録者である。

彼が「俺って何だっけ」となるその前に、

「あなたが、ここにいた」ことを残しておきたい。

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