第8話 床上一センチの世界
──冷蔵庫の音だけが、生きていた。
家に帰ると、母はリビングのソファで寝ていた。
テレビは消えていたけれど、電気は点けっぱなし。
カーテンも開いたまま、コップの中に、氷が半分溶け残っていた。
「……ただいま」
声に出したが、返事はない。
起きているのか寝ているのかもわからなかった。
ただ、アルコールの臭いがぷんぷんする。すっかり慣れてしまった空気感。
靴を脱ぎ、鞄を置いて、キッチンの流しを見た。
シンクに重なる皿。
食べかけのサラダ。
火を使うのはやめて、パンを焼いた。
バターを塗って、冷蔵庫から紙パックの紅茶を注ぐ。
母のカップには触れない。
テレビをつけることもせず、音のないまま食べ終え、 流しに積まれた食器を全て洗う。
床を埋め尽くさんばかりのゴミの山をまたぎながら自分の部屋に入る。
寝る前に、制服のワイシャツと靴下洗わないとな。明日の昼飯どうしよう・・・・
そういえば肌着は・・・・・・
まるでやもめ男のように、頭の中で「家事リスト」をピックアップする。
「俺、結婚したらいい旦那さんになれそう」
床のゴミの山から一センチぐらい浮いたような気分でひとりごちてみる。
その夜、AI提出ログは無記入だった。
でも、タブレットの記録には、こう残っていた。
──“入力画面 起動:19:42/終了:20:21
操作回数:0/視線認識:有
非言語ログ:『長時間無入力状態』として保存”
AI先生の応答は、表示されなかった。
だけど、それでよかった。
遼太は、ベッドに体を倒して天井を見た。
目を閉じる前に、心の中で、ひとつだけ呟く。
『……明日も、“センパイ神”やんなきゃな』
それは、まるで小さな予告編のようだった。
明日は、また笑っている予定です。
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