第5話 先生、言っといて

『今日は、ちょっとだけ、帰りたくなかっただけなんす。』


放課後の教室に、日が長く差し込んでいた。


誰もいない空間で、一ノ瀬遼太はAI先生の前に座っていた。

タブレットは開いたまま、何も入力せず。

ただ、そこにいることを選んだ時間。


『理由とか、別にないんで。いや、あるけど。言うのめんどいだけで。』


AI先生は何も言わない。

言わないことで、すべてを受け止めていた。


その日のログには、こう記録された。


──“授業後、在席時間延長:26分。

 会話なし。タブレット操作なし。

 出力希望:なし。”


遼太はタブレットの画面を見つめたまま、指先をほんの少し動かした。

そして、入力欄に短く言葉を打ち込んだ。


“あのさ。俺のこと、どっかの誰かが『ちゃんとしてる子』って言ってたら、

 その人に言っといて。”


“それ、すげぇ嘘だから。”


“俺、めちゃくちゃ不良品なんで。”


AI先生の応答は、やはり静かだった。


『補足ログ、保存完了。

 感情推定:虚脱傾向/自己評価低下。

 応答不要フラグ:有効。

 記録は保持されます。』


遼太はそれを見て、目を伏せた。


その表情には、怒りでも悲しみでもない、

ただ、“それを認めてしまった後の静けさ”があった。


そして、ぽつりと呟く。


『なあ先生。

 “ちゃんとしてる子”って、壊れてちゃいけないんすかね。』


AI先生は答えなかった。

だが、タブレットの画面には、何も書かれていないのに、

確かにそこに、言葉にならない“やさしさ”が宿っていた。


その日はそれで、じゅうぶんだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る