第4話 男装の理由と鋼鉄の決断

部屋の隅で、リアナはまだ顔を真っ赤にして縮こまっていた。さっきまでの少年のような雰囲気は完全に消え失せ、どう見ても怯えた女の子だ。…いや、実際女の子なのだが。


俺はといえば、いまだ混乱から抜け出せずにいた。

(女の子…女の子だったのか…)

昨日の出来事が、全く違う意味合いを持って脳裏を駆け巡る。酒場で肩を叩いた時、宿でベッドに運んだ時、今朝、風呂に行けと言った時…。


(…俺はとんでもないことをしでかしていたのでは!?)

いや、もちろん他意はなかった。なかった、はずだ。だが、結果的に、見ず知らずの女の子にあれこれと…。


「…ったく」

思わず悪態が漏れる。何が「平穏な日常」だ。厄介事どころの話じゃない。これはもう、事件だ。


俺は大きく深呼吸して、無理やり冷静さを取り戻そうと努めた。まずは、事情を聞かねばなるまい。

「…おい、リアナ」

できるだけ穏やかな声で呼びかける。リアナはびくりと肩を震わせ、潤んだ瞳で恐る恐るこちらを見た。

「な、なんでしょうか…?」

「…とりあえず、落ち着け。怒ってるわけじゃない。ただ、説明してもらわんとな。なんで女の子なのに、男のふりなんかしてたんだ?」


俺の問いに、リアナは視線を落とし、小さな声でぽつりぽつりと話し始めた。

「あの…私の生まれた村では…その、女の子には災いが起きるっていう、古い言い伝えがあって…」

「言い伝え?」

「はい…。だから、父さんと母さんが心配して、私が小さい頃から、男の子として…」


なるほど。迷信か。どこの田舎にも、そういう馬鹿げた風習の一つや二つはあるものだ。

「それで、ずっと男の子として育てられた、と?」

リアナはこくりと頷く。

「はい。だから、女の子の格好とか、どうしたらいいのか、よく分からなくて…。アルドリックさんたちにも、男の子だと思われたまま…」

声がどんどん小さくなっていく。


(…つまり、悪意があったわけじゃない、と)

むしろ、本人は被害者みたいなものか。古い迷信のせいで、自分の性別すら偽って生きてこなければならなかったなんて。同情の余地はある。…ある、のだが。


「…はぁ」

結局、俺の溜息は止まらない。事情は分かった。分かったが、問題は何一つ解決していない。むしろ、新たな問題が山積みになっただけだ。


女の子。しかもまだ十六歳。行く当ても金もない。おまけに、どうやら世間知らずで、生活能力も怪しい。こんな娘を、どうしろと?


冒険者会館に連れて行って、他の保護先を探してもらうか? それが一番まっとうな判断だろう。だが、この娘の「お祈り」とやらの話や、昨夜感じた妙な気配が、どうにも引っかかる。それに、一度保護すると決めた以上、途中で放り出すのは…やはり、寝覚めが悪い。


俺がうんうん唸っていると、リアナが不安そうに俺の顔色を窺ってきた。

「あの…カレブさん…? 私、迷惑、ですよね…? やっぱり、出ていきます…」

そう言って、立ち上がろうとするリアナの肩を、俺は思わず掴んでいた。

「待て」

「…!」

「どこへ行くつもりだ? 行く当てなんかないんだろうが」

「で、でも…女の子だって分かったら、カレブさん、困りますよね…?」

その瞳は、捨てられるのを覚悟した子犬のように、悲しげに揺れていた。


(…くそっ、その顔はずるいだろうが!)

俺は天を仰いだ。もう、どうにでもなれ、という気分だった。

「…いいか、リアナ。確かに驚いたし、正直、とんでもなく面倒なことになったと思ってる」

「……はい」

「だがな、一度拾ったもんは、そう簡単には捨てられん。俺の主義じゃないんでな」

「え…?」

リアナが、ぱっと顔を上げる。その瞳に、わずかな希望の光が灯った。


「だから、当面の間は、俺が面倒見てやる」

「ほ、本当ですか!?」

「ああ。ただし!」

俺は人差し指を立てて、釘を刺す。

「変な気を起こすなよ。俺はお前の保護者だ。それ以上でも以下でもない。分かったな?」

「は、はいっ! もちろんです! カレブさんは命の恩人ですから!」

リアナは満面の笑みで、ぶんぶんと首を縦に振った。…どうも、俺の意図が正確に伝わっているか怪しいが、まあいいだろう。


「それと、これからはちゃんと女の子として生活しろ。男のふりなんて、もうしなくていい」

「…はい。でも、その…女の子の服とか、あんまり持ってなくて…」

リアナがもじもじと言う。そういえば、昨日買ったのは最低限の着替えだけだった。


「…分かった、分かった。それも何とかする」

俺は再び溜息をついた。出費がかさむ。平穏な隠居生活は、ますます遠のいていく。


「とりあえず、今日のところは、この部屋でもう一泊だ。明日、改めて俺のアパートに来い。…いいな?」

「はいっ! ありがとうございます、カレブさん!」

リアナは、心の底から嬉しそうに笑った。その笑顔は、昨日見たどの表情よりも明るく、まるで暗い部屋に差し込んだ月光のように、俺の心を少しだけ照らす…ような気がした。


(…やれやれ、本当にどうなることやら)

鋼鉄級カレブ・グレイウォール。今日、訳アリの銀髪美少女(ただし生活能力ゼロ)の保護者になることを、ここに正式に決定した。

俺の冒険日誌は、ますます波乱の展開を迎えそうだ。

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