恒星
今日はありがとうございました。もしよければまた。
そう送るだけなのに、妙に緊張したのを覚えている。本当にこの文面でいいのか私は不安だった。この文面ではありきたりすぎないだろうか? もしよければなんて言って断られてしまったら? 年上だし、もっと強気な方が良いだろうか?
私は自分の中の不安な気持ちを最後まで拭い去ることができなかった。しかし他にもっと良い文面など浮かばない。次第に私はうんざりしてきて、最終的に自棄を起こして彼にメッセージを送りつけた。
意外なことに、彼は好反応だった。彼と私は相当に年が離れていたから、おそらく断られるだろうと思っていたのだ。出会ったとき彼は私の肉体を褒め称えていた。私のような体になりたい、私の年になるまでにそのような体を手に入れるにはどうすれば良いかと楽しそうに尋ねてきた。
私は、体を鍛えていて本当に良かったと思った。それによって価値を得、彼のような男の気を惹くことができているのだから。しかし、私のような肉体になるには、私のように金銭的に豊かである必要があることは間違いないように私には思えた。私はプライベート・ジムに通い、専門のトレーナーの下で筋力トレーニングと食事制限を行なっていた。私がそれを始めたのは二十代の時だ。彼は今二十代だが、その経済力があるようにはとても思えなかった。
次に会ったとき、私は彼を自分のトレーニング・ジムへと招待した。私はその時にはもう彼のためにこのジムを貸し切ることに何の抵抗もなくなっていた。それどころか、彼がもし「ここに通いたい」と口に出せば、その金額を援助するつもりでさえいた。私は彼が私のような肉体になることを想像した。その想像は甘やかで、まろやかな電気のような刺激を私の体に与えた。しかし、私のペニスが反応することは決してなかった。
私は、輝きたいと強く望んでいた。輝くことができるはずだった。輝いているはずだった。しかし私には、生まれつき欠けているものがあった。それを喪っていることは、私の人生に強い影を落とした。だから私は、余計に強く輝きを自分の中に求めたのだと思う。他の部分で価値のある存在になり、それを補ってあまりある光になれば良い。
しかし、高級車に乗ろうと、タワーマンションに住もうと、誰よりも鍛えられた肉体を手に入れようと、自分が輝いていると思えないのは、私に落ちたその暗い影と、おそらくそれによりパートナーと呼べる存在が今まで一人もいなかったことが大きな要因であった。
だから、私は彼を自分の横につなぎとめて置きたくて、三回目に会ったときに彼に告白をした。それは、二重の告白だった。
二つ目の告白をしたときには、私はまるで粗相をした子供が母親にそれを打ち明けたときのような感情だった。怒られる、呆れられる、私を見放す。私は勃起しないペニスから彼の手が離れるのが分かり、目を瞑り絶望の準備をした。
「いいよ」
だからそう聞こえたとき、自分の耳が信じられなかった。
私は五十四歳で、初めてパートナーと呼べる存在を手に入れた。それは、若く逞しく私にとってまさしく太陽のような存在だった。
私は彼が夜な夜なクラブで踊る有名人だということは、全く知らなかった。二丁目で働いているという風に彼は自己紹介をしていて、どういう商売か具体的に話すことはなかった。振り返ると、彼は多分「知っていて当然」だと思っていたのだろう。ゲイなら皆、俺のことを知っている。彼からはそういう自信が透けてみえることが時折あった。それは、私には持ちえないものだった。そもそも、そんな場所で踊る精神構造が実のところ全く理解の範囲外だった。幾度か呼ばれてイベントに顔を出したものの、男たちの直截的な欲望の渦巻くその空間は私には些か毒味が強く、すぐにその場を後にした。
私は、彼と一緒に住み始めたが、彼が私の金銭面だけを目的に付き合っているのだと、半ば気がついていた。彼は私個人のパーソナルな話に、ほとんど興味を示さなかった。私がどんな本を読むのか、私がどんな映画を好むのか、私の好きな食べ物、苦手な食べ物、何の仕事をしているのかさえ彼は私に尋ねてこなかった。
私は、輝くために手に入れたその自分の裕福さが私自身の枠を超え私を規定していることを呪った。私は確かにまばゆく輝いていたのかもしれない。しかしそれは、どこまでいっても求めている光ではなかった。
私は自分の宿命を呪った。私が可能だったら、私は挿入をし彼が挿入される、その相性まで問題ないのに、私にはそれができなかった。
しかし仮に私に生殖能力が普通に備わっていたら、私はまったく違う人生を歩んでいただろうことは想像に難くなかった。私はそれだけで輝ける存在になり、あの血の滲むような努力をすることはなかっただろう。私は今ほど裕福でも、筋肉質でもない、どこにでもいるそこいらの中年のような存在になっていただろう。そうしたら、太陽と出会うことも――。
彼を見ていると自分が引き裂かれてしまいそうな気持ちになった。
それでも彼がふとした瞬間に私に微笑みかけると、それだけで様々な心の中の懊悩が吹き飛んでしまうのだ。
しかし、結局、彼と私はまったく違う世界に住んでいたのだと思う。
太陽は頻繁にスマートフォンをいじっていた。私が誰と連絡をとっているのか尋ねても、誰だかはいつもはぐらかされる。私は、彼が酒に弱いことを知っていたので、するりと飲める高い酒によって彼を酔わせて眠らせた。そしてインターネットで見かけたスマートフォンのロック解除の手順を真似することにした。幸いなことに彼のスマートフォンは旧型で、顔認証ではなく指紋認証によってロックを解除するものだった。私は眠った彼の指に、スマートフォンの認証部分を押し当てた。いともたやすくロックは解除され、普段決して見せることのない彼の内部が丸出しになった。私は自分が地球を飛び立つロケットに乗ったと思った。片道分の燃料しか備わっていないロケット。私はごうごうと過ぎ去っていく風の音を耳の中に聞きながら、緑色のメッセージアプリを開く。
たどり着いた先に、見たことない太陽が照っていた。
若く瑞々しい男たちと、軽口を叩くように性的な冗談を飛ばし合う太陽。友人にイベントの出演を告知する太陽。そして、私の知らない男と性行為の約束をする太陽。下世話なほど直接的な言葉で、太陽とその相手はやりとりをしていた。
それを見たとき私が思ったことは、当たり前だということだった。当たり前だ、彼は私のように不能ではないのだ。しかも彼は若かった。性欲を持て余すほどに持っているのだろう。私以外の男とそういう行為に及ぶのは当然のことだ。見た目に優れた彼はきっと簡単に相手を見つけ、そして行為に及ぶだろう。
私たちの関係に名前をつける必要なんてなかった。そこにはきっと何もないのだから。
私は、どうしようもないほど悔しかった。
太陽が翌日イベントにでかけるとき、顔を綻ばせてスマートフォンを確認するのを見た。
すぐにあの男と連絡をとっているのだと分かった。
広い家。太陽がいなくなった私は家に一人きりで、自分のペニスを弄っていた。悲しいことに、勃起しない私のペニスはそれなりに大きく、また睾丸に異常があるわけではないので精液が時折溢れ出すのだ。
これが勃起したら。私は何度もそう望んだ。夢に何度も見るほどだった。それはどんな大きさで、どんな硬さで相手を貫くだろう。
睾丸の正常な私には性欲も存在していた。医者はそれを理由に私には治療の余地があると言ってくれていた。しかし治療を始めてもう何十年も経つが、いまだに私のペニスは勃起しない。
私は医者に処方されたEDの治療薬を飲みながら、自分のペニスが勃起するように祈った。しかし、私の祈りも虚しくやはりその塔が天を衝くことはなかった。もう、年齢的にも限界が近いのは間違いなかった。私のペニスは、一生勃起を知らずに終わるのだ。
太陽は、夜にも朝にも勃起しているというのに。
私の脳内に、先ほどの太陽のはにかんだ顔が再生された。彼はイベントのあと、相手の男とセックスをするのだろう。それはどういうセックスだろう。激しいセックスだろうか、溶け合うようなセックスだろうか。いずれにせよそこには二本の幸福な塔が立っているのに違いなかった。
私は周囲を見回す。オーダーメイドの何百万とするテーブルの上に、太陽のマグカップが残っていた。当然のように太陽がそれを私に片付けさせようとしている事実に、私の頭の中が黒い物質でいっぱいになる。
私は台所に行き包丁を手に取ると、仕事先との打ち合わせの時に使う大きなビジネスバッグにそれを入れた。見慣れた仕事鞄の中に包丁がそのまま入っている異様な光景は、私を奇妙なおかしみに誘った。私はその鞄を抱きしめたままタクシーに乗り、新宿へと向かった。鞄を暖かく優しく感じた。
タクシーを二丁目の入り口で止めた。料金を支払うとき運転手が下世話な目で私を見ているのが手にとるようにわかった。どうでもよかった。
私は、太陽のいる会場へと向かった。
そして、永遠にも思える夜がやってくる。
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