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惑星
今日はありがとうございました、もしよければまた。
結局、二丁目で朝まで一緒に過ごした彼は、ようやく解放されるという顔色を隠さないでそう言った。不思議な話だ。二丁目に行こうと言ったのは、あなたの方なのに。
今回も絶対に『また』なんてなくて、連絡を取らないラインのともだちがうようよと増殖していくばかりなのだろう。もっとも連絡がきても、応じる気なんてこちらにもないのだが。
僕は連絡の来なくなった人たちは死んでしまったのだと思うようにしている。積もっていくラインのアイコンたちは、さながら遺影みたいなものか。僕の人生に一瞬だけ関わって、交通事故みたいに死んでしまった人たち。
だから僕は、もう会う気のない相手に『また』なんて言わない。これから死んでしまう人に、『また』なんて言葉をかけることはない。
彼と手を振り合い別れ、動き始めている地下鉄に乗り込んでガラガラの席に座って一息つく。
「俺、二丁目の店で働くことにした」
結局太陽はインカレのサークルをすぐに辞めてしまって(理由は未だによくわからない)、それでもなぜか僕にはときどき連絡をくれていた(なぜ僕だったのかもよくわからない)。そんな中、太陽は二十歳になって、大学も辞めて二丁目で生きていくことを決めた。
止めようかと思ったときにはすでに退学届は受理されていたらしいし、何か言うには僕と太陽の関係はほんの少し遠かった。太陽がそれをきっかけに親との関係が悪化したという話も小耳に挟んだ。しかし、何より僕自身就職活動を意識して忙しくなり始めた頃で、僕は出版社、出版関係を受けようとずっと前から思っていたから、ほとんど針の穴みたいに細い門になんとか割り込もうと必死で、他人の人生に関わっている余裕が無かったのだ。
それからしばらく、僕は自分がゲイであることも忘れるくらい慌ただしく過ごした。就職活動、説明会、数え切れないほどの面接、卒業論文、ゼミの友人たちとの卒業旅行という息抜きもあったが、就職してからは仕事を覚えるのに必死で、セックスどころかオナニーすらまともにしない日々が続いた。
太陽のことはずっと気がかりだった。太陽は、ちゃんと生きているだろうか? なんとかやれているだろうか? 最初の頃に届いた『ここで働くから来いよ!』という店のアドレスが載ったメッセージにはなんとか返信だけはしたものの、実際に行くこともできていなかった。その後も(就職活動の、もしくは仕事の合間に)定期的に出演するイベントのフライヤー画像(太陽が半裸でポーズを決めているもの、逞しい男に後ろから抱きしめられているもの、など、など)が届いたけれど、それらには返事もできていなかった。
それでも太陽は、頻度こそ減ったものの定期的に僕に連絡をくれていた。
最新のフライヤーは一ヶ月前のイベント。そこの太陽の紹介文のところにツイッターのアカウントが掲載されていた。僕はそのアカウントにアクセスする。表示すると、そのつぶやきからさまざまなイベントに忙しなく参加していることが伺えた。いろんな人と酒を片手に肩を組み合ったり、顔を寄せたりする写真をアップしている。こういう世界もあるのだなと僕はなんだか感心してしまった。とてもではないが、僕はここでは生きられない、そう思った。しかし、そんなことは今は関係ない。
太陽の参加する次のイベントの日程は、ちょうど今日だった。僕はその場所と時間をスマートフォンにメモをして、家を出る。
――彼と僕は、住む世界が違っていたのだ。
久しぶりに彼に会って、そう思ったのを覚えている。きらきらと輝くスポットライトの光を浴び、汗を輝かせながらみだらに踊る彼は、心の底から楽しそうだった。
きっと彼は僕のことなんて忘れてしまっているだろう。そう思ったけれど、彼は意外にもステージの上で僕に気づくと、ウィンクをしてきた。そのまま僕を見つめたまま、体に手を這わせてくねくねと踊った。僕はなんだか恥ずかしくて、手を小さく上げて振ってみせた。
彼らの出し物が終わって、もう帰ろうかと思っていると「惑!」と声がかかった。先ほどステージで着ていた、水兵を模した衣装の太陽だった。
「久しぶり」
「久しぶり。……連絡できなくてごめん」
「ああ、気にしてないよ。今日は来てくれてありがとう」
そう言って太陽は右手を差し出した。僕もその手を握り返す。
「お前は? 最近どうなの」
「ああ、出版社で校閲の仕事をしてる」
「コーエツ? って?」
「出版物の誤字脱字を調べたりとか、事実誤認がないか確認したりとか」
「ああー。なるほどね。お前、本好きだったもんなあ」
まあ、そうだ。でも、僕は最近仕事での校閲作業に疲れてしまって、自分の読書なんてほとんどできていない。だけれどそんな事情を説明するほど、僕と太陽には時間がないことはわかっていた。
「あっやべえ、俺もう行かなきゃ。せっかくだから、最後まで楽しんでってくれよな!」
その日をきっかけに、再び太陽から連絡が来るようになった。
初恋もどきと別れ、家に帰って一息つくと、太陽からメッセージが届いていた。今度出るイベントもよろしく、そう言われて、僕は考えてしまう。僕たちの関係に名前をつけるとしたら何なのだろう。
友人でも知り合いでも、僕はその表現を訂正したくなる。
校閲という作業は、部屋に入り込んだ小さな虫を潰そうとあがく行為に似ている。目の端に見え隠れする違和感を殺す仕事だ。僕と太陽の関係の間には、常にそんな名付けられない違和感が存在していた。
そして同時に校閲は、正しさを求める仕事だった。それは僕のような生き方を間違えたと思っている人間にとって、まるで救いみたいなものだったのかもしれない。
しばらくの時が経ち、僕はある日太陽からずっと連絡が来ていないことに気がついた。太陽からこんなに連絡が途絶えるのは初めてのことだったので、どうしたのかなと思っていたが、こちらから送る話題も特に無かった。パーカーを着ていても肌寒くなり始めた頃、太陽からのメッセージが届いた。内容を読んで驚く。
『病院にいて暇だから、何か持ってきてくれないか』。
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