第5話 エピローグ~時を紡ぐ者たち~

あれから1年が経った。


私は今、都内の高層ビルの最上階にある「時間管理局」で働いている。表向きは建築コンサルタント会社だが、実際はここで人々の時間を管理している。


窓から見える夕暮れの空は、いつもより赤い。時間の歪みが強い日は、こうして空の色が変わる。人々は気付かないが、私には手に取るようにわかる。


「課長、新しい申請が来ています」 新人の佐藤が書類を持ってきた。彼女も「時を知る者」の一人だ。


申請書には、余命宣告を受けた子供の母親からの願いが書かれていた。 「娘の命と引き換えに、私の残りの時間を差し出したい」


このような申請は、週に数件はある。人は、愛する者のために自分の時間を捧げようとする。 それは尊い。 しかし、その代償も大きい。


「却下です」 私は書類に赤いスタンプを押した。 「代わりに、この申請者に会いたい」


数時間後、その母親が私のオフィスを訪れた。 疲れ切った表情の中に、必死の覚悟が見える。


「どうして...却下されたんですか?」 震える声で彼女は問う。


「あなたの時間は、お嬢さんにとって最も大切な宝物だからです」 私は優しく告げた。 「代わりに、これを」


私は小さなチョコレートの箱を差し出した。 中には特別な「時詠みチョコレート」が入っている。


「このチョコレートには、私の時間が込められています。お嬢さんに食べさせてください」


彼女は驚いた表情を見せた。 「でも、それは...」


「大丈夫です。これが私の仕事ですから」


母親は深々と頭を下げ、涙を流しながら去っていった。 後日、彼女の娘は奇跡的な回復を遂げたと報告を受けた。


私は窓際に立ち、夕暮れを見つめる。 ポケットには、藍が遺した懐中時計がある。 カチカチという音が、心臓の鼓動のように響く。


「瞬くん」 背後から聞こえた声に振り返る。 そこには、藍の半透明な姿があった。


彼女は時々、こうして私の前に現れる。 時間の調停者となった私にだけ見える、特別な存在として。


「また誰かの時間を分けたのね」 藍が優しく微笑む。 「でも、あまり無理はしないで」


「大丈夫さ」 私も微笑み返した。 「この仕事が好きなんだ。誰かの大切な時間を守れることが、僕には幸せだから」


藍の姿が、夕陽に溶けていく。 「また会いに来るわ」 その言葉が、風のように消えていった。


私は机に向かい、新たな申請書に目を通す。 この仕事に終わりはない。 人々の願いと時間が、途切れることなく続いていくように。


窓の外では、新しい夜が始まろうとしていた。 私は、懐中時計を取り出す。 針は、正確な時を刻み続けている。


時間は、誰もが平等に持って生まれる宝物。 しかし、その使い方は人それぞれ。 私にできることは、その選択に寄り添い、導くことだけだ。


藍が遺してくれた、大切な責務として。


明日もまた、誰かの願いと、新しい時が始まる。 私は、それを見守り続ける。 時を紡ぐ者として。

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時詠みのチョコレート 鳴海 靉 @ai_narumi

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