第4話 愛の半減期
時計は狂い、記憶が溶けていく。
私は食堂のテーブルに置かれたチョコレートを手に取った。表面には微細な時計の歯車が刻印されている。これを分析すれば、何か手がかりが得られるかもしれない。
「青木さん、このチョコレートを」 振り返った時、私は息を飲んだ。 青木の姿が、ゆっくりと透明になっていく。
「私の時間が...消えていく」 彼の声が遠くなる。 「実は私も...15年前、大切な人を失ったんです。その人も...時間を売ったのかもしれない」
完全に消える直前、青木は微笑んだ。 「瞬さん、彼女を...見つけてください」
私は一人になった。 スマートフォンは「12:00」を指している。残り時間は刻一刻と減っていく。
チョコレートを分析してみると、通常の10倍ものテオブロミンが検出された。そして、その分子構造は螺旋を描いていた。まるで、DNAのように。時間そのものを組み換えるための配列か。
突然、床が大きく揺れ始めた。天井から埃が降り注ぎ、壁にひびが入る。 建物が、時間の重みに耐えきれなくなっているようだった。
私は地下へと急いだ。 最下層には、巨大な機械が うなりを上げていた。その中心には、透明なカプセルがある。
カプセルの中で、藍が眠っていた。 15年前と変わらない姿で。
モニターが点滅する。
『時間管理システム起動 現管理者:如月藍 状態:臨界点突破 新管理者選定要請』
記憶が走馬灯のように蘇る。 いや、これは私の記憶だろうか?
私には見覚えのない数式の知識。 理解できるはずのない時間物理学の理論。 まるで、誰かの記憶が私の中に...
「気付いたようね」
振り返ると、そこに藍が立っていた。 透明な姿で。
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「私の記憶は、あなたの中にあるのよ」 藍が言う。 「15年前、私は時間を売って管理者になった。でも、それだけじゃ足りなかった」
スマートフォンは「06:00」を指している。 建物全体が軋むような音を立てる。
「人の時間を管理するには、膨大な知識が必要だった。だから私は...自分の記憶をあなたの中に少しずつ移していったの」
そう言えば、建築の仕事を選んだのも、数式に興味を持ち始めたのも、全て藍が消えた後だった。
「でも、なぜ僕を?」
「私にはわかっていたの。いつか時間の重みに耐えられなくなる時が来ることを。その時、私の代わりを務められるのは、あなたしかいないって」
カプセルの中の藍の体が、ゆっくりと崩れ始める。 時間という重荷に、彼女の存在が耐えられなくなっているのだ。
「選択肢は2つ」 藍が言う。 「私の代わりに時間の管理者になるか、それとも...全てを元に戻すか」
「元に戻す?」
「そう。15年前に戻り、私が時間を売ることを止めるの。でも、そうすれば...私たちの記憶も、この15年も、全て消えてしまう」
スマートフォンは「03:00」を指している。 選択の時間が迫っていた。
私は藍を見つめた。 彼女の透明な姿が、少しずつ光を失っていく。
「僕は...」
時計の針が、最後のカウントダウンを始めた。 この選択が、全ての時を決定する。
私は、深く息を吸い込んだ。
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「僕は、時間の管理者になる」
言った瞬間、部屋中の時計が一斉に止まった。 藍の顔に、安堵の表情が浮かぶ。
「本当にいいの? 私と同じように、時間という重荷を背負うことになるのよ」
「構わない。だって...」 私は藍に近づいた。 「誰かの時間を守れるなら、それは幸せなことじゃないかな」
スマートフォンは「01:00」を示している。 残された時間は、わずかだ。
「では、最後の手順を」 藍がカプセルに手を置く。 「このチョコレートを食べて。これが、私からの本当のバレンタインよ」
15年前のチョコレートを口に含んだ瞬間、世界が光に包まれた。 私の中に、無数の記憶が流れ込んでくる。 人々の時間の記録。 宇宙の摂理。 そして、藍との思い出。
「これが、時間の調停者の記憶...」
私の体が光り始める。 それは、新たな時間の管理者として選ばれた証。
藍が微笑む。 「ありがとう、瞬くん。私の時間を...受け継いでくれて」
彼女の姿が、光の粒子となって舞い上がっていく。 最後の最後まで、彼女は私に微笑みかけていた。
スマートフォンのカウントダウンが「00:00」を指す。 新たな時間が、動き出した。
私は深く息を吸い込んだ。 これから私は、人々の大切な時間を守っていく。 それは、藍から受け継いだ、愛おしい責務。
時計の針は、また新たな時を刻み始めた。
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