あの子の背、のびたね

夏の終わり、男は久しぶりに実家へと戻った。

母から「妹の様子がおかしい」と連絡があったのだ。


妹は小学六年生。まだまだ子どもだと思っていたが、玄関を開けて出てきた彼女は、驚くほど背が伸びていた。

「もう中学生みたいだな」と言うと、妹は笑わずに首をかしげた。


「でもね、お兄ちゃん。夜は静かにしててね。あの子、怒るから」


誰のことか聞こうとしたが、母が台所から出てきて話を遮った。

「あの子のことは気にしなくていいから」

それだけ言って、目を合わせようとしなかった。


夜中、妙な音で目が覚めた。

廊下の先、妹の部屋から“コンコン、コンコン”と壁を叩くような音が聞こえる。


「……お兄ちゃん、起きてる?」


障子越しに妹の声がした。

だが、声は妙に低く、息が混じっていた。

目の前の障子の影には、背の高すぎる人影が映っていた。妹の背丈ではない。


息をひそめていると、影はふっと消えた。


朝になって確認すると、妹はいつも通りだった。

「あの子、いるでしょ?」

そう聞かれたが、返事はしなかった。


母に問いただしても、「あの子に関わるな」と繰り返すばかり。

気味が悪くなって、その日は早めに眠ることにした。


だがその夜。家の外で、奇妙な声が聞こえた。

「……おーい、こっちだよぉ……」

女のような、高く引き伸ばされた声。

窓の外をちらりと見ると、田んぼの向こうに白く長い何かが揺れていた。


次の朝、妹がいなかった。

母は無言で、玄関先の土間に正座していた。

「妹は?」と聞くと、ただ一言。


「……また、連れていかれた」


「また?」と問い返すと、母はゆっくり顔を上げた。

その目は泣き腫らしていたが、どこか遠くを見ていた。


「小さいころも一度、いたのよ。背の高い、あの子。あの子はね、帰ってきたがるの。でも、間違えるの。うちの子と」


男は、その日を境に家を出た。

妹は数日後、田んぼの真ん中で発見された。

泥だらけで、裸足のまま笑っていた。


背は元に戻っていた。

ただ、しばらくの間、何も話さなかった。


秋になり、妹からハガキが届いた。

「また、あの子が遊びに来たよ。夜の壁を、背伸びして覗いてる」


その夜。男の部屋の窓にも、見慣れぬ長い影が映った。

妹の声がした。


「お兄ちゃん、背、のびたね」

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