第2話 始まった不思議な関係

 傘を差してまたあの道へと行くと、彼は昨日のようにベンチに座っていた。

 濡れるのを分かっていて同じことをするなんて、何を考えているのだろうか。

 私の足音に気づいたのか、彼は私の方に視線を移した。

「思雨ちゃん。やっぱり来てくれたんですね」

 柔らかみを帯びた笑みで彼は私に近づいてきた。

「.......いつから......待ってたんですか......?」

「さあ。いつからでしょう」

 そういうと彼はまた私の手をとって歩き出した。

「....え....あの......手......別に掴まなくても.... 」

 優しく掴んでくる彼の手が心地よくてそう拒んだ。またあの感覚が残ってしまいそうだったから。

「雨、嫌いなんですよね?」

 彼は一言そういうと静かに私を連れて歩みを進めた。

 僕が雨を好きにさせる。そう言っていたけど、これはそういうことなのか?

 こんなことをされたって好きになるわけがないのに。

 昨日は彼の背中を見ていたから廃校舎までの道は短かったと思っていたけど、意外と距離がある。

 この廃校舎の話は一度だけ母に聞いたことがある。

 ここは廃校舎といっても、離れの図書館として使われていたらしい。母が現役のときは本好きの生徒がちらほらと借りに来ていたらしいが、母が卒業してから五年後に閉鎖されたらしい。それ以降取り壊しもなく、いつしか肝試しの場として使われるようになったのだそうだ。昨日は雨音さんへの衝撃で感じなかったけど、改めてみるとこの校舎は雰囲気がある。

「......じゃ、入りましょう」

「え?!入るんですか.......?」

「......だって雨嫌いなんでしょ?」

 彼が元から入るつもりでいましたかのように自然と私を招き入れようとしたからびっくりしてしまった。彼が言うように私は雨が嫌いだ。大嫌いだ。けど、怖いところも嫌いなのだ。薄暗い雰囲気的に絶対幽霊が出る。何年も前の校舎とか、生徒の霊が出てきそうではないか。もし出たら私はしばらくぐっすり眠れないだろう。

「大丈夫です。.......幽霊は怖くないですから」

 彼は今度はしっかりと私の手を握って校舎の扉を開けた。怖いけど、彼のおかげで少し怖さが軽減しそうだ。

 中は案の定薄暗く、ところどころ蜘蛛の巣が張っていて雨漏りもしている。

 かなり立派な図書館だったのだろう。本棚が何台も置いてあって部屋も広い。ここを何かに利用すればいいのにと思った。例えばカフェとかにすれば、高校も近いわけだから繁盛するだろうに。

「ここに座りましょう」

 彼は低い本棚の近くを指さした。そこだけ他の場所より綺麗な絨毯が敷かれていた。

 私たちは並んで座った。

 暗い空間に二人きり。外で降っている雨の音と、上から垂れてくる雨の音に耳を塞ぎたくなる。

 左で膝を伸ばして座っている彼の横顔は、暗いけど綺麗な輪郭であることははっきりと分かる。目を閉じて雨の音を感じているようだった。少し長い前髪が彼のミステリアスさを際立たせている。

 そんなにじっくり私が見ていたものだから、彼は目を開いて瞳だけを私に動かした。

 私は見ていたと思われるのが悔しくて瞬時に目をそらした。

「怖いですか?」

 彼の言葉に肩がびくっと動いた。やはり見ていたのがばれていたみたいだ。

「......い......いえ......」

「.......でも、まあ仕方ないですよ。僕に対しての不信感もまだ拭えてないでしょうし」

 そう言うと彼は体勢も私の方へと向け、優しく微笑んだ。

「僕のこと、雨音って呼んでください。そして敬語じゃなくていいです。その方が親しくなれるでしょう」

「......いきなりそんなこと言われても」

「だから僕も思雨ちゃんのこと思雨って呼んでもいいですか?対等に話したいです」

 声の感じ、雰囲気、目線から彼は悪い人ではないと分かる。だけど初対面の人といきなり打ち解けるのは私には難易度が高い。それに私は男性を呼び捨てにした経験がないから普通に恥ずかしい。

「......ごめんなさいね、いきなりすぎましたね」

 彼は目を三日月にして笑った。変に気を使わせてしまったようだった。

「...........でも、これからあなたに雨を好きになってもらうにはこれは必要なことなんですよ」

 笑みのこもった真剣な眼差しで彼はそう言ってきた。

 雨を好きにさせる。それはただの冗談だと思っていた。いまどきの高校生は臭いセリフを吐きたがるから格好をつけただけだと。だけど違っていたようだった。自分の役目を果たすための最初のミッションである。そう言われているような気がした。

「.......わかりました」

 渋々そう言うと彼はまた優しく微笑んだ。

 その表情のせいで私まで笑みを零しそうになる。

「......じゃあさ、毎日一つずつお互いのことを知っていこう。そうしたら毎日少しずつ仲良くなれると思うんだ」

「......ひとつずつ.... ?」

「そう。一つずつ。その日の話題にして、毎日お話しよう」

 ということは雨の中私は毎日ここに来なければならないということ。それも訓練ということか。尽く断りずらい内容を提案してくる人だ。でも嫌な気はしない。

「......それじゃ、今日は思雨の趣味について知りたいかな」

「.....趣味....」

 趣味と言われても特に思い当たらない。手芸が得意とか絵を書くのが得意とか言えたらどんなにいいだろうか。私にはそんなものない。

 でも何もないというのはなんだか悔しかった。だから何かないかと周囲を見渡したとき、一冊だけ古びた本が本棚に置いてあるのを見つけた。

「.......本....好き」

 咄嗟にそう言ってしまった。別に好きではないし、そんなに読んだこともないのに。だけど見栄を張りたくなる自分の悪い癖が出てしまった。

「そうなの?よかった奇遇だな。僕も本を読むことが好きなんだ。........本当に大好きなんだ」

 彼は少し悲しそうな顔をした。言動と矛盾している。そんなに大好きならもっとテンションが高くなるはずではないのか。

「.......そうなんだ.... 」

 うまく反応できなくてまたそっけない返事をしてしまった。もっといい反応をしてあげた方がよかったかな。

「......思雨」

 少し間を置いて彼が私の名前を呼んだ。

 私は顔だけ彼に向ける。

「......毎日ここに好きな本を持って来よう」

「.........え?」

 自分のついた嘘がよくない方向に進んでしまいそうだ。私は本を一冊も持っていない。漫画すらも持っていないのにどうしたらいいんだ。

「思雨の好きな本を僕も読みたい。それでここの図書館を僕と思雨の二人だけの図書館にしよう」

 なんて壮大な計画なのだろうか。

 でも横で語っている彼の顔は水を得た魚のように生き生きとしている。

「.......いいよ」

 そんな彼の顔を見ていたら、さすがに私でも断れなかった。なんとかなるだろう。

「思雨は優しいね」

「......違うよ」

「ううん優しいよ」

 彼はどこか遠くを見るような目で私を見つめる。私はそんな彼の瞳に自分の胸の鼓動が早くなるのを感じた。

「思雨も僕のこと、雨音って言ってよ」

「......それはちょっと...」

 恥ずかしくて言っていないのがバレていた。このままやり過ごせると思っていたのだが。

「そんなに雨のつく言葉を言うのが嫌なのか.... 。そっか。それを克服させるのが僕の仕事なんだけどな.... 」

 早く呼べという圧を感じる。呼ばない限りずっとこんな小言を言われそうだ。それもそれで面倒くさい。言ってしまえば終わるんだ。

「......雨音くん」

 







 







 

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どうか今日が雨でありますように。 @yuu1206

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