どうか今日が雨でありますように。

@yuu1206

第1話 雨なんて降らなければいいのに。

 雨なんて嫌いだ。

 窓にピタリと張り付く雨を眺めながら私は雨を睨んだ。

 雨は薄暗い空の中から、ただひたすらに地面に向かってよくわからない液体を落とす。小学生くらいの男の子は口を開けてそれを飲み込もうとすらする。

 さらには雨を好きだという人もいる。雨の音が心地よいだとか、気持ちが落ち着くとか、私には理解できない。それなのに私の名前には雨という字が入っている。心底この名前が嫌いだ。友達にはかわいい名前だといわれるけど、ただ地味で暗い雰囲気を連想させる雨という字も、自然も私は嫌いだ。

「思雨?何してるの?学校遅れるわよ?」

 母が私の名前を呼んだ時、部屋の時計の針が学校が始まる時間へと近づいていることに気づいた。

 外に出て、ピンクの傘を差し、ぬかるんだ道をポツポツと鳴り響く雨の音と一緒に歩く。いつもなら好きな登校中も、梅雨に入ってからしばらく雨が降っているせいで最近は嫌いだ。早く止んでくれ。早く大好きな晴れに変わってほしい。

 学校に着いても憂鬱な気分のままHRを聞く。窓から見える薄汚い空から降る雨が鬱陶しい。先生の話をちゃんと聞いているけど、言葉が耳からすぐに出てきてしまう。そのサイクルを繰り返し、気づいたら昼休憩に突入していた。

「し、ぐ、れ!!最近元気ないね。どした?」

 友達の橋村雪乃は弁当と水筒を抱えながら、私の机にやってきた。

「.........そんなことないよ」

「嘘つき。思雨は梅雨に入ると毎年この時期落ち込んでるんだから」

 今度は私の後ろの方から、メロンパンを手にした矢野花夜が眉毛ギリギリに揃えられた前髪を揺らし、私の斜め前に机を持ってきた。

「別に、落ち込んでないよ。これが私」

「そんなの自分じゃわかんないでしょ?長年見てきた私をだませるわけないでしょ」

 花夜は小学生の頃からのお友達でずっと仲良くしてもらっている。だからお互いに知らないことはないっていうほどお互いを知り尽くしてしまっている。

「なんでそんなに雨が嫌いなの?私も好きなわけじゃないけど嫌悪するほどじゃないよ」

 雪乃は弁当箱を開けながら私の方に視線を向けた。

「....雨でよかった思い出なんて一つもないから。初めて超絶しんどい高熱を出した日も雨の日。初めて虫に触れてしまったのも雨の日。...........大切な人を亡くしたのも雨の日。..............いやなことしかないよ」

 そう。雨でよかったなんて思ったことは一度もない。雨は私の気分を落としていく一方だ。

「思雨さ、そんなことばっか言ってたら彼氏できないよ?思雨かわいいのに、雨の日大嫌いって言ってぷんぷんしてたら彼氏さん悲しんじゃうよ」

「....まあ確かに思雨は今まで、性格が変わっていやだった的な理由で振られたりしてたからね.... 」

 二人はなぜか私の恋愛を心配しだした。雨と恋愛なんて全く関係がないじゃないか。

「......彼氏なんていらない。....雨のせいで性格が変わっちゃうなんて、ただの迷惑でしかないから。............それに私は自分の名前が嫌い。こんな自己肯定感低すぎる私が誰かと恋愛なんてできるはずないよ......」

 私は箸を手にして唐揚げを口に頬張った。

「私は思雨の名前かわいいと思うけどな~。響きとかすんごく可愛いじゃん」

「でしょ~?だけど思雨は、雨って字がついているから嫌いなんだってさ」

 花夜は前に私が言ったことを覚えていたらしい。

「私は二人の名前が羨ましい。雪とか花とかすごくきれいな名前じゃん」

 白く降り積もる綺麗な景色を連想させる雪と、色とりどりの春の訪れを連想させる花。そんな美しい漢字を何度も私は羨ましがった。

「雪も雨もほぼ一緒じゃん」

「ほんとそれ。思雨はもっと自信持ちなって」

 私の発言に二人は納得してくれなかった。

 それから雪乃や花夜の話題に笑い合いながら時を過ごし、そのまま六限まで時間が進んでいった。

 私は学校が嫌いなわけではないから、やっと帰れるとは思わないけど、かといって学校にまだいたいと思うわけでもない。だけど、この雨のせいで雨の中帰る行為を一刻も早く終わらせたいという思いが強く、授業が終わるとすぐに友達に挨拶をしてそそくさと玄関を出て傘を差した。

 雨の音を遮るため私はイヤホンをつけ、少しでも気分をあげようと試みる。少しだけ気分が落ち着いたような感覚になる。そのせいかいつもと違う道で帰ってみたくなった。一回もその道で帰ったことはないけどなんとなく帰れそうな感じがした。

 いつもの道を右に行くと何本か木が立ち並んでいた。そこを通り過ぎるとまた木が立ち並び、人の姿が見えた。

「....え.... ?」

 私はびっくりした。人がいることにではなく、雨だというのに傘を差さずに、少し汚れた木のベンチに同じ学校の制服をきた男の子が落ち込んだ様子で座っていたからだ。

 私は見て見ぬふりをして通り過ぎようとした。だけど、何故かとてつもなく気になってしまって彼のもとへ歩みを進め、傘を差し出した。

 私の行動に気づくと、彼はゆっくりと顔をあげ私の顔を澄んだ瞳で見つめてきた。

「....あ、あの....か....風邪....引きます....よ.... ?」

 雨にかき消されそうな声でそう言うと、彼はゆっくりと瞬きして少し悲しそうに笑った。

 その表情に私が首を傾げると、彼は静かに口を開いた。

「....大丈夫です。僕は...風邪....引かないので」

  そう言ってまた悲しそうに笑った。

  青みがかった少し長い前髪から見える綺麗な瞳は、何を考えているのか何を思っているのかわからなかった。

 その時空が白色に光り、大きな音を立てた雷が当たり全体に響き渡った。

 私はその衝撃に体が反応してイヤフォンが耳から落ち、傘を手から落とし、両手を耳に当てしゃがみこんだ。

 私は雨に関わるものは大嫌いだ。この雷もそう。大嫌い。この大きな音は私の大嫌いな雨の象徴でもあるのだ。怖い。嫌い。今すぐ雨のない世界に行ってしまいたい。

 でも足が役割をなさなかった。動かないのだ。どうしよう。このままじゃ大嫌いな雨の世界に取り残されてしまう。怖い。嫌だ。嫌だ。

 私が力を振り絞って立ち上がろうとしたそのときだった。

 彼が私の傘を差し出し、私の手をとって走り出した。

 その瞬間は雨が美しく見えた。傘にはねる雫も、肩にはねる水滴も、スローモーションのように綺麗で青くて輝いて見えた。前で走る彼の髪の毛が、繋がれている手が雨のように透き通って綺麗だった。

 よくわからない出来事にびっくりしながらも彼の背を見つめていると、小さな倉庫のような場所にたどり着いた。そこは薄暗くて少し寒くて不気味だった。

 まだ繋がれている手を気にしながら彼の後ろ姿を見ていると、彼は私の方にゆっくりと振り返った。

「....あんなとこでしゃがみこんだら、あなたの方こそ風邪ひきますよ」

 彼は少し微笑みを浮かべてそう言った。よく見ると長いまつげに少しつった目、薄い唇に涙袋にある小さなほくろ、鼻筋の通った小さな鼻は美少年という言葉を思い浮かばせるような顔つきだった。

「タオル、もってますか?」

「......あ....はい、一応」

「貸してください」

 私はカバンの中から白いタオルを取り出し彼に渡した。ずっと雨の中にいたから拭きたくなったのだろう。人助けができるなら、タオルを持ってきていてよかったと思った。

 そう考えて彼を見つめていたら、彼は渡したタオルを私の頭にかけた。突然のことにびっくりして口をぽかんと開けてしまった。そんな私の顔を見てか、彼は少し柔らかい笑みを浮かべた。

「名前、なんて言うんですか?」

 彼は私の髪を優しく拭きながらそう聞いてきた。なんでだろう、彼の心地の良い声のせいか降っている雨の音がきれいな音色のように聞こえてくる。

「......朝比奈....思雨.... 」

「しぐれ?」

 私はこくりと頷く。

「どんな字を書くんです?」

「....思うっていう字に....雨.... 」

 私が小さな声でそう答えると、彼は眉を少し上に動かした。

「綺麗な名前ですね。それに偶然でしょうか、僕も名前に雨が入っているんですよ」

「......え.... ?」

 彼は私の髪から私の瞳へと視線を移し替えると優しそうに笑った。

「僕の名前は、みずなあまねです。雨の音で雨音」

「あま....ね...」

 綺麗な名前だと思った。雨は嫌いなはずなのにそう思った。

「....思雨ちゃん、雷苦手?」

「え、え?」

「すごく怖がってたから」

 男性からちゃん付けをされたのが久しぶりであったため少しドキッとした。それに口調がさっきよりも優しくなってきたことに少し安心感を覚えた。

「....雷っていうか....雨が....嫌いなんです。......雨に関わるものすべてが嫌いなんです。......雨なんて降らなければいいのに。そう思ってしまうんです。だから自分の名前も嫌いです」

 少しうつむき加減でそう言うと、彼は悲しそうな顔をした。

 嫌なことを言ってしまったのかもしれないと思い、謝ろうと口を開いたとき、彼は被るように声を出した。

「じゃあ僕が雨を好きにさせます。雨に関わる全てのものを好きにさせます」

「......え.... ?」

「思雨って名前でよかったって思わせます」

 彼は真剣な目つきで私を見つめる。水のように澄んだ瞳の迫力に目が離せなかった。

 そんな彼を見ても納得はできなかった。雨を好きにさせる?どうやって?何年も嫌いなものを好きにさせるなんてそう簡単なことじゃない。そんなことできるはずがない。それに彼と私は出会ったばかりだ。さっき出会ったばかり。

「.......無理ですよ。あなたでできるなら、もうとっくに他の人がそうしてくれています」

 私にはまだ彼を信じる技量はない。まだ私はこの男を信じていない。どこの人で何年生なのかもしらないのに。

「.............あの、もう帰りますね」

 私は人見知りでもあるし、雨の中外にずっといるのは嫌いだからとにかく早く帰りたかった。だから私は彼から傘をとって来た道へと戻ろうとした。

「......思雨ちゃん」

 彼が私を呼び止めた。

 振り返ると彼は真剣な顔をしていた。

「....明日も俺はベンチにいます」

  彼は何を言っているのだろうか。今日から梅雨でしばらくずっと雨なのに。濡れたベンチにずっと座っているなら風邪を引いてしまう。

「......またそんなことしたら今度こそ風邪ひきますよ.... 」

「....僕は風邪、ひかないです」

 また同じセリフに少しムッとしながら彼に背を向け早歩きで離れた。

 雨の中、傘を差し、自分の家へと帰る。去年の梅雨とも、雨の日とも何も変わらない行動。

 それなのに、まだ残っている彼の手の感覚や彼の声が怖いくらい体に染みついていて、胸の鼓動が早くなった。


 翌日もやっぱり雨だった。梅雨なんてはやくどっかに行ってしまえばいいのに。雨なんて降らなければいいのに。その思いは今までも変わらないけど、でも今日はその思いが強かった。自分でもわかってる。多分雨音さんに風邪をひいてほしくないから。けどそれは思いの要素の一部でしかない。私が雨を嫌う根本の理由は彼じゃない。

 傘を差し、雨で淀んだ空気の中歩く。傘を差しても肩に落ちてくる水滴にうんざりしながらため息をつく。

 早く雨が当たらないところに行きたい。そう思ったけど私はある分かれ道で足を止めた。

 もしかしたらもうベンチで待っているんじゃないか。もし待っているなら私が学校が終わるまでずっと濡れることになる。

 いやいや、そもそも会う約束はしてないし。別にあっちが勝手に待ってるだけだし。というかそんな寄り道してたら学校遅れるし。

 彼のことは頭にあったけれど、自分にとっての最優先は学校なのでいつも通りの道へと歩みを進めた。


 いつも通り一限目から授業を受ける。英語の授業も、数学の授業もまったく集中できない。雨が降らなければもうちょっと集中して授業が受けられるのに。

 彼は本当に私を待っているのだろうか。集中できないのは彼のことを考えてしまっていることも原因としてある。

 彼は一体何者なのだろうか。見る限り先輩っぽい。明日もベンチで待つって言っていたけど、授業はきちんと受けているのだろうか。ここの先輩に聞けばそれははっきりするだろうけど、そんな散策みたいなのはしたくない。というか彼に聞けばわかる。

「おーい、またぼーっとして」

 雪乃が休憩時間に私の肩を叩いた。気が付かないうちに一限目が終わっていたみたいだ。

「ちょっと考え事してただけ」

「ちょっとじゃないでしょ。何?何考えてたの?」

 彼女はじとーっとした目つきで私を見る。そんなに見られても大したこと考えてないし。けど、意外と彼女は物知りなとこもあるからもしかしたら雨音さんのことを知っていたりするかもしれない。可能性はかなり低いけど。

「......先輩にさ、めっちゃ顔整ってて、目のあたりにほくろがあって、髪がちょっと長い男の人..........いる?」

「えー?知らないなー。そんなにイケメンならもうとっくに一年の間でも有名でしょ。このイケメン大好きな私ですら知らないんだから」

「.......そうだよね」

 確かに言われてみればそうだ。あれほどの美男子なら私たち一年生の間で話題になっているはずだ。だけど知らないということは彼はここの学校の生徒ではない?いや、でも制服がこの学校のものだったし。それか単に私がB専なのだろうか。いやいや、あれは誰がどう見ても美しいと言うだろう。

「その人がどうしたの?もしかして告られたとか?!きゃー!!」

「ま、待って待って違うってば」

 雪乃はこうやって早まって発言することがあるから危険だ。それに声が通りやすいから他の人に勘違いされてしまう。

 彼女の説得に時間がかかり、そしてまた雨音さんのことを考えていると気が付けば授業終わりのベルが鳴り響いていた。




 

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