第二章∶二節 ザウリとマシリ

サルナプ村付近の湿地では牛をおおよそ三千頭放牧しているが、あまり多くの牛を連れて行くとサルナプに目を向けられる可能性がある。バラカは交易商として見られる限界の範囲で牛と黒曜石を持ち出した。


草原を抜け、川が網の目に走る湿原には牛やヤギ、交易品を載せた葦船が何艘も行き来している。バラカは牛の背中に乗り、北へ向かいながら頭の中に考えを巡らせていた。


上エジプトの軍事力は強大だ。 ネヘスウ勢力(現スーダン)と上エジプトは度々騒動を起こしている。 金の産地であるネヘスウ勢力に対しても大きな圧力を狙っている筈だ。 つまり緩衝地帯とも言えるナブタプラヤを吸収し、それを足がかりとするつもりだ。 ヌエベを事実上支配下に置くことでナブタプラヤ全域を支配しようという訳か。 このヌエベでの出来事は上エジプトからの最終通告と考えた方が良いかも知れない。 これは、中々難しい状況だぞ。 もはや交渉の余地すら無いかもしれんな。


そうこうしている内に、ソルガム畑が現れ牛達がのんびり草を喰む姿が見えて来た。 ヌエベの手前の村サクタラ村に到着すると犬達が吠えてバラカを迎える。それに気付いた男達が駆け寄ってきた。 男達は牛達をみてすぐに理解したようだ。


「ヌエベに行くのか?」


「よお、ザウリ。相変わらず良い体格してるな。」


バラカは大ごとにならぬ様に敢えて気楽に返した。 ザウリは逞しいその腕に血管を浮かべ大きな声を張り上げた。


「バラカが行くなら俺もついていく。」


その横で冷静な眼差しを浮かべたマシリは強い意思を込めた言葉で続ける。


「ヌエベを陥落させるわけにはいかない。」


屈強な戦士ザウリと知的な雰囲気のマシリは事の重大さを既に気付いているかのように返してきた。 犬達はオロオロとその場を周っている。


バラカはじっと二人を見ていたが、やがて


「わかった。共に来てくれるか。」


もはや何を言っても二人は付いてくる。 この二人もまた、状況に対する危機感を感じたまま何をすれば良いのか分からなかったのだろう。そう悟るとバラカには余計な言葉を口にする必要はなかった。


ザウリとマシリはバラカの妹二人と婚姻関係にある。 サルナプ村とサクタラ村は半族といって、婚姻関係を決める複雑な社会構成の中で特に関係が深く、結婚相手はお互いの村で結ばれる事が多い。また、サクタラ村とヌエベ村は同様に関係が深いのである。


ザウリとマシリはバラカの勇敢さ、優しさ、知性に深い憧れを持ち慕っていたが、バラカもまた、カカセオ同様にこの二人を弟の様に可愛がっていたのだった。


三人は昼食を取るためにザウリの家へ向かった。 サクタラはサルナプ程大きな村ではないが、黒曜石の加工に秀でた村で、村のあちこちで黒曜石の鉾先や矢じりを作る男達がももにオリックスの皮を被せて黒曜石を叩き割っている。 バラカを見つけると皆、自分が作った鉾先や矢じりを持ち寄り手渡してくる。


「おいおい!俺は別に戦いに行くわけではないぞ?」


笑いながらそう言うとザウリは言った。


「皆、お前の事を理解し尊敬している。自分が作った逸品を受け取って欲しいのだ。」


両眉を少し上げ、バラカはそれぞれをそっと皮に包み、丁寧に腰袋にしまい込んだ。

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