窓帷

 夜に窓帷カーテンを閉じてはいけない。

 その裏にいるが判らないか。


 ※


 夜、息子はカーテンをよく開ける。いつも「外から部屋が見えるから」と閉めさせるが、何を言っても次の晩にはまた息子はカーテンを開ける。いま思うと、家とかカーテンとかいうものを分かり出した頃から、息子はカーテンに怯えていた気がする。

 息子は三つから半年を数えている。息子は、今日もカーテンを開けた。

「どうしていつもカーテンを開けるの?」

 私はまた息子に同じ質問をした。

 息子はぷいと向いて、ソファまで駆けていった。私は開け放たれたカーテンをいつもよりゆっくり閉めた。

 私はそのとき、思い出した。

 そういえば、私も幼い頃にカーテンを怖がっていた。


 私にとって、夏はカーテンの季節だった。

 網戸から風を浴びて、カーテンはひとりでに揺らめく。きっといるんだ。カーテンはその裏に潜むものをかたどってなびく。

 幼い私は、家のカーテンが閉まってると毎晩毎晩開けに寄った。とくに夏はカーテンがよくなびくから、そのたびに私は窓に駆けていた。寒くなるとカーテンのことを忘れる夜もあったが、それでも何日か空けて私はカーテンを開いていた。

 しかし私は思春期に入る前に、カーテンのことを忘れてた。カーテンは私の幼さと共に沈んだ。

 そのカーテンが、ふたたび海の底から浮かび上がった。


 ※


 ある夜、尿意に目覚めて居間を通ると母が座卓にペンを立てていた。紙に何かを書いている。

 ペン先が鈍い音を立てて紙に当たる。

「手紙?」

 母はぴたりとペンを止めた。

 俺は何を言うでもなく母を見ていた。

 俺に視線を寄越した母は、見たこともないほど眼を開いていた。

「なんでもないよ。おやすみ、さとし」

 声はかすかに震えていた。母は俺をじっと見ていたが、どうにも目が合っていなかった気がする。

 居間に建て付けられた窓から、夜の街が見えた。

「母さん、カーテン閉めておかないと──」

 マンションとはいえ、どこから見られているか分かったものではない。

 俺がカーテンを閉め切ると、母さんは後ろから「そうね、ごめんね」と静かに言った。


 大学を出て、俺は一人暮らしを始めた。暮らし向きは良く、学生時代の友人とも月に何度か会って飲んでいた。年に何度かは実家に帰り、還暦を迎えた父母に自社製品のお土産を持っていくのが習慣になっていた。

 その頃は、たまたま実家に寄らない月が続いていた。当時交際していた彼女と酷い別れ方をして、俺は仕事に逃げていたのだ。幾月があって、俺は立ち直ると同時に両親のことを思い出した。

 ああ、そろそろ顔を見せるか──。

 オフィスでそんなことを考えた日の夜、父から電話があった。

『母さんが亡くなったよ』

 俺は一年振りにバイクのエンジンをかけた。


 父は自室で読書をしていたらしい。七時八時を回っても、食卓に呼ぶ母の声がしないので不審がって居間に向かったらしい。母はソファにもたれて死んでいたそうだ。

 死因は不明──俺と父は、心停止とだけ伝えられた。


 母の葬儀が終わった。母を焼き、その亡骸を骨壺に摘み入れた。父の電話を受けたとき、そして霊安室で母を見たとき──俺は酷く打ちひしがれた。それから一月ひとつきほどは、俺も父も悲しさに沈んだ日々を送った。

 何日か経ったところで、父から連絡が来た。

『母さんの荷物をまとめるから、近いうちに来れるか?』

 父も気持ちの整理がついたらしい。

 俺はその日、仕事を早々に切り上げて父のもとに向かった。父は「よく来た」とだけ言って次にはどこを片付けるか俺に指示を寄越した。俺は言われた通り押し入れから手を付けた。その押し入れは、母が死んでいたソファの真裏にあった。

 押し入れから瓶だとか段ボール箱だとかを、順々に取り出していく。そして、その途中予期せず紙がなだれてきた。ほんの葉書くらいの紙切れだった。だがしかし、それはとても尋常とは言えない量だった。見ると紙は押し入れに置かれた籠いっぱいに積まれていたらしい。

 うっすらと裏に見えた文字は、母が書いた字に感じた。

 遺書?

 いやこうも小分けに書いては遺書として成り立たない。

 俺は父に言う前に、その一枚を開いた。


 ※


 カーテンにいる カーテンのウラにいる

 私を見てる ウラから息をひそめて

 サトシを見てる ねらっている

 ゆれる カゼにゆれるフリをしてる


 ※


 ──カーテン。

 俺は家のカーテンを見た。何の変哲もないカーテンだった。俺が幼い頃に買い替えた、紺のカーテン。その昔は、無地のベージュだったはずだ。

 いつからこのカーテンだったか。ああ、そうだ。確かあのとき既に紺だった。


 あのとき──。


 暗闇を隠すように閉ざされたカーテンが、俺の視線を感じてふっと揺れた気がした。

 俺はそのとき、思い出した。

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