第3話

○大学は、海の近くにあり、長年の干拓の結果で誕生した砂の多い地盤の上に建てられていて、砂浜が近いからか、校内に松が何か所か植えられていた。

正門わきの松の林を通り過ぎてすぐ右側に教員専用の喫茶ラウンジがある。

教授は帰国して数日後、同僚の教師をラウンジに誘った。


向かい合った二人の間のテーブルに、包みが置かれている。それは、何重もの油紙に包まれ、更に幾重にも麻ひもが巻かれていた。麻ひもを丁寧に解いた中に数枚の皮があり、皮の表面に固い針で彫り込むようにキリル文字が刻まれていた。その文章の形式は、非常に堅苦しい箇条書きで、それはあたかも法律の草案であるかのようだった。



部屋を訪ねてきた二人は、寄り添いあいながら感謝の言葉を述べ、妻らしい女性は夫の背をやさしく撫でていた。

それから、男性がたどたどしい日本語で、

「お願いがあります」

とテーブルの上に包みを置いた。

「これを日本に持ち帰ってほしいのです」



「よく、こんな物が国外に持ち出せたね」と同僚は苦笑した。そうして、彼は

光に透かすようにして文字を追った。


『一つ、この人工的に創造された国家の根本とすべきものは、国家を構成する各民族の代表の意見を結集したものである』


「まるでどこかの国の法律みたいだね」ノートの書き出された字句をみながら同僚は呟いた。

「あの頃の人工的な国といえば、満州国だろうか」

「僕もそう思った。それで君を思い出した」

ちょうどそのとき、窓の外を、鶴のように痩せた教授がゆっくりと歩いていた。

「そういえば、I教授はシベリア帰りだった」

ああ、と教授は相槌をうった。大学院生のころに講義を受けたことがある。

I教授は、体つきは鶴のようだったが、眼光は鷹のように鋭く、準備不足の学生は容赦なく質問攻めにされた。

「口癖は、『今の若者は我慢が足りん』だったかね」

過酷なシベリアからの帰還者には、どんな人間もひ弱にみえるのだろう。

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月の法律 @takerou73

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