今なら空も飛べるはず

烏川 ハル

今なら空も飛べるはず

   

「おお、これがスカイダイビング! 空を飛ぶという感覚か!」

 いっぱいに両腕を広げて、両脚も大きく開いた格好で……。

 全身に風を受けながら、私は思わず叫んでいた。


 スカイダイビングは本来、飛行機などで大空の高くまで昇り、そこから地上への落下を楽しむスポーツなのだろう。

 しかし、そこまで本格的なものは望めない。私が飛び出したのは、山の中腹にある断崖。険しく切り立つ崖からだった。

 それでも、私にとっては十分だ。今この瞬間、まるで青い空と一体化したような高揚感を、私は楽しんでいた。


――――――――――――


 私は元来、インドアの人間だ。

 子供の頃は、休み時間も自分の席にとどまり、ずっと本を読んでいた。校庭へ遊びに出たことは一度もなかったし、それどころか、教室でクラスの友達と遊んだ記憶もほとんどないくらいだ。

 大人になってからも、野球やサッカーみたいなスポーツに関心を持ったり、釣りやキャンプのようなアウトドア趣味を楽しんだりする機会はなかった。

 一人で家に閉じこもっている方が好きだったのだ。


 家業の町工場まちこうばを継いだために――寝泊まりする住居も工場に併設されていたので――自宅イコール職場。出勤という形で外出する必要もないほどだった。

 私には兄弟はおらず、両親ともに亡くなったのは割と早かったので、工場経営は私一人。数人の従業員と共にやっていくような、小さな町工場だった。

 私のしょうには合っている仕事のはずだったが、何度か不景気が訪れたすえ、ついに資金繰りが厳しくなって……。


 ちょうどそんな折だったと思う。テレビのドキュメント番組か何かで、スカイダイビングの光景を目にしたのは。

 それまでアウトドア関連に惹かれるなんて一度もなかったのに、ちょうど自身が圧迫感や窮屈さや感じる状況だったせいか、それは妙に魅力的に見えたのだ。

 大空を自由にゆくのは、さぞや心地よいことだろう!

 私の中に生まれた、スカイダイビングに対する憧憬だった。


――――――――――――


 資金繰りの悪化は結局、その後さらに酷くなり、ついには借金で首が回らなくなった。

 従業員も去っていき、工場も人手に渡ってしまう。


 もう首をくくるしかない。そこまで追い詰められたところで、ほんの少しだけだが、開き直りの気持ちも湧いてきた。

 そうだ、スカイダイビングだ、と。

 惨めに首吊りするくらいならば、大空に身投げして死んでゆこう、と。


――――――――――――


「パラシュート無しのスカイダイビング! これは皆がやらないような、画期的な凄いスカイダイビングだぞ!」

 自分では言葉を発したつもりでも、風の抵抗で口は上手く動かせず、もはや声は声にならなかった。

 迫り来る大地を目にしながら、悠然と私は思う。

 

 どうせ誰でも死ぬのは一回限り、つまり死に方は一つだけなのだから……。

 最後に一度やってみたかったことを実行しながら死ぬ。案外これは幸せな死に方ではないだろうか、と。




(「今なら空も飛べるはず」完)

   

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今なら空も飛べるはず 烏川 ハル @haru_karasugawa

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