第5話

16


「島田さんはね、亡くなった娘さんが私に似ているんですって、だから時々顔を見せると喜んでくれるのよ。」


となりのじいさんが寝てしまったので、杏奈ちゃんが俺に話しかけてくれた。


俺はその時、西村が持ってきた、特大のサメのぬいぐるみを持て余していた。

4人部屋に移ってから置き場がないのだ。


「あ、かわいい、触っていい?

抱き枕みたいねー、フワフワー」

そう言って詰め物が緩く、フニャフニャのサメを両手で抱え込んでギュウギュウ潰した。


(女はたいていかわいいって言うのな、

目つき悪いし、変な顔じゃん。)


杏奈ちゃんが帰った後、仕方ないのでサメはベッドの隅に追いやった。

(おまえは邪魔だ!)



「島田さんにね、

娘さんなんていないのよ、結婚だってしてないんだから。


杏奈ちゃんに構って貰いたいもんだからウソついてるのよ、あのスケベジジイ、

杏奈ちゃんもお人好しだから、騙されちゃってかわいそうよねー」


検温のナースがそう教えてくれた。



夜遅くに目覚めてしまった。

となりの島田のじいさんが泣き出したからだ。


サメが役に立った。

俺はサメを頭から被って、何とか聞こえないようにした。


看護師が2人やって来た。

「また?

どうしよう、あの子呼ぼうか?」

「夜中に悪いわよ。」

「でも手に負えないわー

婦長に黙ってりゃ、わかんないって。」


暫くして杏奈ちゃんがやって来た。

「島田さん、どうしたの?

ゆっくり寝ましょうね。」


ジジイが泣き止んで静かになってから、声がした。

「ごめんなさいねー、

あなたじゃなきゃダメなのよ。」

「いいえ、まだ起きてたから、いつでも呼んでください。」


こいつら何考えてんだ、

杏奈ちゃんは病人だぞ!


あの夜も呼び出されていたんだ。

キッタネー

職務怠慢じゃないか!


俺は寝ているふりをした。

サメのぬいぐるみからは、彼女のコロンの匂いがした。



17


車椅子の操作も慣れてきたので、地下の売店まで行ってみた。

(コンビニが入ってるんだー)


そこで肉まんを3つ買って

杏奈ちゃんと行ったバルコニーで食べることにした。


彼女がいた。

クレパスで絵を描いている。


「こんちわー

何やってんの?」


「学校の課題、ここには石膏像なんてないから、ここの植木を描いているの。」

「へー、すっげ上手い。」


「河野君は?」

え?

「課題どうしたの?」


ヤベー


「あっ、俺はもう出しちゃったから。」

「ふーん、真面目なんだー」


全然疑ってないなこれは、

こんなんでやって行けるのかな。


大体うちの学校で、真面目に課題出すやつなんかいねえよ。


「水彩でって言われたんだけど

ここで水は使えないから、クレパスにして貰ったの、評価下がっちゃうかなあ。」


(だから出すやつなんかいねーって。)


俺は自然に横に座った。

「肉まん食べるか?」


「杏奈ちゃん、痩せすぎだろう。

もっと食べた方がいいぜ。

3個あるから1個あげるよ。」


彼女は躊躇っていたが、思い切ったように

「じゃあ遠慮なく、ご馳走様」

と肉まんを受け取った。


マスクを外して、綺麗な横顔が拝めた。


「俺本当はピザまんが好きなんだけど、

下のコンビニさあ、肉まんとあんまんしか売ってないのな、

見舞いに持ってきてもらっても冷めちゃってるしなあー」


「給湯室のミニキッチンにレンジがあるよ。

端っこだから分かりにくいかなあ。」


「さすが、入院病棟のスペシャリスト、」

「変な褒めかたしないでよ。」


彼女はじれったいくらいに少しずつ肉まんをかじった。


18



「あのさー ちょっと不思議なんだけど、」

「何?」


「自分でいうのも変だけど、

ウチの高校バカばっかじゃん。

何で杏奈ちゃんみたいな真面目な子がいるのかなぁーって思って。」


んー

彼女は少し躊躇っていた。


「私ね、東京のO高校に行きたかったのよ。」


えっ?


「でも入試の直前に熱出しちゃって、

それでも受験に行っちゃったの、どうしても行きたかったから。」


杏奈ちゃんは恥ずかしそうにへへへと笑った。


「会場で倒れて、ダメになっちゃった。

熱は下がらなくて、滑り止めのT高校の時は、もう歩く事もできないくらい酷くなって、会場にも行けなかったの。


K女子中学の系列校の推薦は全部断っていたから

行くところがなくなって、」


(ちょ、超有名じゃん!)


「コロナ?」

「陰性だったから、風邪だろうって、

もしかしたらこの病気の始まりだったのかもね。」


「そしたらF高校が内申だけで入れてくれたのよ。」


(あー分かる、

うちいつも定員カスカスだもんな)


「もしかして杏奈ちゃんて、超優秀?」

「そんな事ないよ、勉強ばっかりしてただけ、

だから高校に行ったら、もっと遊ぼうと思っていたのに。」


「病気になっちゃったのか。」

「7月の花火大会楽しみにしてたのになー」


(え?

あんな目と鼻の先にも行ってないの?)


「退院したらいけるじゃん。

今年はもうおわっちゃったけど、来年もあるし、

そうだ、よかったら一緒に行こう、なっ!」


「嬉しい、ほんと?

じゃ、約束ね。」


彼女は弾けるように笑った。

それから彼女の細い指と指切りをした。



俺はやっぱり自分で信じていたより頭が良くないらしい。


ノリで誘っちゃったけど、


学校に戻ったら、杏奈ちゃんは超優秀な上級生で、俺は嘘つきの一年生で、しかも卑猥な落書きの後始末までさせている。


こんなに気楽に喋れるのは入院中だけだろう、

学校に帰ったら、どう考えてもまともに付き合ってはくれないだろうな。

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