第3話 匿名の歌声が、運命を動かす

 封筒の中身を広げてからというもの、響夜の生活は少しずつ変わり始めた。いや、変えようと彼自身が思い始めたのだ。Vtuberとして活動するためのアバター制作が進行し、マネジメント契約の細部についての確認も終わった。音響機材はすぐに新しいものが手配され、今までの比ではないクオリティの音を自宅で録れる環境が整っていった。


 すべてが、現実離れしていた。それなのに、どこか懐かしさすら感じる温度で日々が進んでいく。


 ——あの声が、誰かに届いていた。



 その確信だけが、響夜を前へ押し出してくれた。


 最初に届いたのは、アバターの完成予告だった。画面に表示されたのは、黒と藍を基調とした落ち着いたデザインの少年アバター。肩まで流れる柔らかな黒髪に、細いシルバーのピアスが揺れ、眼差しはどこか影を帯びていた。だがその表情は、どこまでも優しかった。


「……これが、俺……」


 リアルの自分よりも、少しだけ感情をまっすぐに伝えられそうな姿。アバターに名前は必要だ。けれど彼は、あえて変えなかった。


「響夜」——その名前を、そのまま名乗ることにした。歌を始めたときから、自分が唯一、声に込められる“芯”だった。


 そして迎えた、Link Zeroの初回顔合わせ。配信ではなく、非公開のボイスチャットによるミーティングだった。


 運営からの案内に沿って指定された通話ルームに入室すると、次々と通知音が鳴る。画面上には自分以外に4人のアイコンが並び、各々がテスト発言を交わしていった。


 最初に口を開いたのは、静かな口調の女性だった。


「えっと……皆さん初めまして。紅葉 沙羅(くれは さら)です。物語を語るように歌えたらいいなって思ってます。よろしくお願いします」


 続いて、軽快なテンポで声を飛ばしたのは、ややハスキーな少年声。


「おー! 全員いるっぽいね。ども、暁月 ルイ(あかつき るい)でっす! ゲーム実況がメインだけど、歌もめちゃくちゃ頑張る予定なんで、よろしくぅ!」


 三人目は、丁寧で落ち着いた印象の青年。


「はじめまして。明透 咲夜(あすみ さくや)といいます。まだ不慣れですが、仲良くしていただけると嬉しいです」


 そして——


「やっほ〜! 初めましてっ、花霞 燈(はながすみ ともり)です! お歌だいすき! みんなと一緒に活動できるの、ほんとに楽しみ〜っ!」


 その声を聞いた瞬間、響夜の中で何かが小さく弾けた。透明感のある高音。それでいて、どこか“まっすぐすぎる”感情がにじみ出るような話し方。配信向きの派手さというより、心の隙間にふと入り込んでくるような、そんな声だった。


 気づけば、自分の番が回ってきていた。


「え、っと……一ノ瀬響夜です。歌を中心にやっていくつもりです……不器用ですけど、よろしくお願いします」


「あっ、“響夜くん”って読むんだ! かっこいい名前だね〜」


 咄嗟に反応したのは、やはり燈だった。その軽やかな声に、響夜は思わず小さく息をのむ。


(なんだ、この感じ……)


 初めて交わす会話。なのに、言葉の奥で何かが“馴染んで”しまう感覚。仮想空間なのに、妙にリアルな鼓動の揺れを感じていた。


 ——これは、まだ始まったばかり。



 それでも、響夜は確かに思った。


 この5人で、何かが生まれる。その予感が、胸を少しだけ熱くした。

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