屋上からの消散
いちしさんの告白の後、俺達は屋上へ行く事にした。
そして今屋上への階段を登っている。
いちしさんの言う、自分は竜王蒼という男の探偵で、ある薬で女になってしまったというのはにわかに信じがたい話だ。
だが、嘘を言っているとは到底思えない。
話の内容が具体的だし、元々協力すると申し出ている相手に嘘をついて自らの信用を落とす行為など愚策でしかないからだ。
そして何より、俺の勘が嘘はいってないと告げている。
まあ、仮に全て嘘で俺が騙されていただけだとしても……その場合でも……俺は……別に構わない。
いずれにせよ、俺はいちしさんの助手になると決めたのだ。
その事に、いちしさんの話が嘘であるか否かは関係ない。
そんな事を思いながら階段を登っていると、三階から屋上へ上がる階段の踊り場でいちしさんが足を止めた。
それはきっと、あるものを見つけたからだろう。
それは、縦横二十センチメートル程度の小さな嵌め殺し窓だ。
俺はその窓を覗き込む。
中庭全体の状況が一目で確認できた。
「ここからなら中庭全体を見渡せるね。うまくやれば中庭の人達に気づかれず様子を伺う事もできそうだ」
こんな窓がある事なんて知らなかった。
外から、つまり中庭から見たら見上げる形になって角度がつくから気づきにくいのだろう。
「そうかもしれません。ここからならバレにくいでしょうし」
「そうだね。これは一考の余地に入れておくとしよう」
そんな事を言いながら屋上へと向かった。
屋上。
ここに来るのはだいぶ久々だ。
確か入学直後に入ったっきりだったかな。
屋上に立つと一陣の風が吹いた。
屋上の四方はフェンスで囲まれている。
広さは結構ある。
縦幅は三十メートル位で、横幅は十メートルと少し位だろうか。
まあ、目測だからもっと大きいかもしれないし、小さいかもしれない。
いずれにせよ計測器具で測らないと確実な値はわからない。
地面はうちっぱなしのコンクリート。
汚れが目立って結構汚い。
敷物無しでは座りたくないと思う。
屋上は一般の高校生からしたら憧れだろうが、この学校では人気がないのはこういう事だろう。
正直、俺も必要がないなら来ようとは思わない。
他にいい場所なんていくらでもあるし。
屋上には椅子なんて便利なものはなく、ただあるのは三階へ続く搭屋とフェンス位だ。
いちしさんは中庭側、つまり西側のフェンスへ近づいていった。
俺も後をついていく。
フェンスの目の前まで来ると、中庭の景色が眼下に広がった。
俺はそのまま西校舎へ目を向ける。
結構な距離があるな……。
ロープか何かを渡して西校舎へ向かえないかと思ったが、この距離だと無理だろう。
それに風もあるし、やったら滑落するのが目にみえている。
最初から、ほぼ論外な推理だとは考えていたけれども。
再び中庭へ目を下ろす。
中庭の地面まで、七、八メートルはありそうだ。
普通の人間なら、飛び降りたら間違いなく良くて大怪我。
普通の人間……?
もしかしたら。
「こういう事聞くのはなんですけど、いちしさんなら飛び降りたりできません?」
そう、いちしさんは普通の人間ではない。
耐久力も高いだろうからもしかしたらいけるかもしれない。
そして、知らないだけでいちしさんみたいな人間がこの学校にいる可能性はゼロではない。
「とんでもないこと聞くね、君。まあ、ボクでも聞くだろうから気にしないけど」
そういう反応するのも当然だ。
「ここから飛び降りるのはボクでも無理だね。いや、降りれはするだろうけど間違いなく良くて骨折だよ。そこから逃げられない。それに、仮に平穏無事に降りれたとしても音はどうするんだい? 高い所から物が落ちればそれ相応の大きな音がする。校舎の周辺にいた人物は誰も高い所から物が落ちた音なんて聞いていないよ」
うーん、音か。
言われてみればそうだ。
三姉妹は話をしていたとはいえ、音が聞こえなかったわけじゃない。
たとえ、身体がいくら頑丈だったとしても、音まではどうのしようもないのだ。
クッション等を使ったとしても音がするのは同じだろう。
そして、それは他の場所にも言える事。
北側はソフトテニス部が練習していて、東側には職員室がある。
南側には地崎がいた。
というより、そもそもこれらの場所は中庭より更に高さが一階分低い。
飛び降りなんかしたら、良くて大怪我で下手をすると死だ。
これは地上や中庭に屋上から飛び降りるのはいちしさんの言うように無理だろう。
落下防止のフェンスに目を向ける。
鋼線が縦横に入ったごく普通メッシュフェンスだ。
下のコンクリートに埋め込み固定されている。
よく見ると結構錆びている。
この校舎は建てられてから結構経つので、仕方ない部分もあるだろう。
危ないから、何か事件が起こる前に封鎖して欲しいと思う。
いや、もう起きているか。
そして、フェンスの下には四十センチメートル位の隙間があった。
落下防止のための高さ五十センチメートル位のパラペット(屋上の縁の飛び出てるやつ)が突き出していた。
パラペットとフェンスの間に三十センチ位の排水路。
全体で見ると、ちょっと錆びてる位でごく普通のフェンスだ。
いちしさんはそのフェンスを眺めいたと思ったら、何を思い立ったのか、その下を突如這いずってくぐり始めた。
地面と体に挟まれ、体重をうけて柔らかく変形するたわわな双丘。
フニィという柔らかい効果音が聞こえてきそうだ。
いちしさん位の胸囲の人が潜れるなら、ほとんどの人間が下をくぐれるだろう。
そうやってくぐったいちしさんは、フェンスの向こう側に立った。
「危ないですよ」
思わず声をかける。
「心配してくれてありがとう。ボクなら平気さ。体幹には自信があるからね」
そういえば、非常階段の時も平気で立っていたな。
とはいえ本当に大丈夫なのだろうか?
そんな俺の心配をよそに、いちしさんはフェンスとパラペットの間を南向きに歩き始めた。
時々下の景色を確認しながらだ。
どうやら、このまま屋上の縁をなぞるように確認するつもりらしい。
危ないとは思うけど、やめろと言ってもたぶん聴いてくれないだろう。
いちしさんが南側に行くならば、俺は北側にいこう。
北側は当然フェンスなども一緒の構造。
北の方角では手前に校舎前広場、その奥にグラウンドが見えた。
地面まで軽く見積もっても十メートルはありそうだ。
飛び降りるのはどう考えても無理だ。
ならば何かクッションになりそうなものを……と思い探して見るが、あいにく校舎前広場にはそんな都合の良さそうなものは無かった。
そのままなにか方法が無いかと思案するが、何も思いつかない。
仕方ないか。
一旦は置いておいて、西側を調べよう。
西側もフェンスは全く同じ。
見えた光景は遠くに続く田んぼ。
まあ、田舎の景色なんてどこもこんなものだ。
時期が時期なので、田んぼで作業している人間など当然居なかった。
見下ろすと、下はアスファルトに覆われた駐車場。
確か先生達が車を停めるために使っているはずだ。
そして、ここの下、つまり一階には職員室がある。
職員室には当然窓があるので、飛び降りた人間がいるなら、職員室にいた先生が気づかないはずがない。
五時とはいえ、まだ相当数の先生が職員室に残っている。
前に先生が「朝方は駐車に来る車の音で騒がしい。」等愚痴っているのを聞いたので、音も問題なく聞こえるはずだ。
やはりここから飛び降りるのも無理か……。
あ、そういえば。
思いついた俺はあるものを探したが、あいにく無かった。
そういえばうちの高校、雨樋は埋込式とか何とか聞いたような。
雨樋を伝えば下に降りられるかと思ったが、そもそも無いなら無理だ。
それにあったとしても風がどうにも……。
その考えの呼応するように、再び強い風が吹いた。
飛ばされそうだ。
まだ屋上に来て風が吹く程長居はしていないはずなんだけどな。
いちしさんが心配になった俺は南側に目を向けた。
あれ?
さっきまでいたはずなのにどこにもいない?
屋上全体を目を皿のようにして探したが、いちしさんはどこにも居ない。
「いちしさん!」
心配になった俺はいちしさんを呼んだ。
が、帰って来るのは風の音だけ。
……。
もしかして。
もしかして……いちしさん。
いちしさん……屋上から……落ちた?
全身から血の気が引く感覚。
いちしさんはフェンスの向こう側にいたのだ。
先程の風に煽られた拍子で下に落ちてしまった事は十分あり得る。
だから、やめろと忠告したのに!
そんな最悪な考えが頭をよぎった時、俺のスマホから着信音が鳴った。
こんな時に、と思いながら画面を見るといちしさんの番号が表示されていた。
あわてて電話をとる。
「やあ、常夜君」
いちしさんの元気な声。
「いちしさん! 今どこにいるんですか」
「下にいるよ、中庭にね」
急いで中庭に目を向ける。
そこには、中庭の真ん中に立って元気そうに手を振るいちしさんの姿があった。
なんだ、階段から下に降りただけか。
「下に降りたならちゃんといって下さいよ。落ちたかと思ってびっくりしちゃったじゃないですか。」
「いやーごめんね。どうしても試さずにいられなくて。でもおかげでわかった事があるんだ」
「何がわかったんですか?」
「旧東校舎から犯人が脱出した方法だよ」
「え? それってつまり」
「そうだよ。この事件は解決したよ。常夜君も下に降りてきてくれ。そこで説明するよ。それと、常夜君はちゃんと階段を使って降りてきてくれ。
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