毛氈

 芽生さんとのそんなやり取りの後、俺は元々の用事である自分のクラスの忘れ物取りに行くため、彼女と一緒に中庭へ入った。

 俺は心が落ち着かなかった。

 芽生さんも少し落ち着かない様子だった。

 なぜならこれから、芽生さんは”告白”し俺は告白を”受ける”立場になるのだから。

 むこうはどうかは知らないけど人生初の告白に緊張しない奴などいまい。

 それは勿論俺も含む。

 中庭に入った所で、横目に三人の女子達が、椅子に座ってそこそこ大きな声でお喋りしているのが見えた。

 珍しいな。ここに人がいるのは。先程のも言ったが、中庭は昼休みには生徒でごった返すが、放課後は皆別の場所で過ごす。

 だから、この時間の中庭には普段は全く人がいない。

 そんな事を思いながら、彼女達を見ながら歩いていると、女子達と目が合った。

 どうやら女子達に気づかれたらしい。

 多分芽生さんもだろう。

 とはいえ、彼女の達の居る場所から東校舎へ入ろうとしたら気づかれるのは当たり前だが。

 そんな事を思いながら、自分のクラスへ向かうために中庭を横切っているちょうどその最中に、けたたましいチャイムがなった。

 中庭の時計を見ると、丁度午後五時を指していた。

 濱長北高校では、午後五時丁度にチャイムが鳴るのだ。

 そのチャイムの音を聞きながら、俺と芽生さんは東棟へ入っていった。

 何やら女子達の会話がより騒がしくなったのは多分気の所為だろう。

 だが、騒がしくなったその声も旧東校舎入ってすぐの突き当りに来る頃には聞こえなくなっていた。

 ここの突き当りを右に曲がれば自分のクラスなのだが……。

 ここで、俺は立ち止まった。

 そして、顔を左の三階に続く階段へと向ける。

 誰かいたような……。

「どうしたんだい? 急に立ち止まって」

 不可解な行動をとったように見えたのか、芽生さんは俺に疑問を投げかけた。

「いや、誰かいたような気がしたんです。多分気の所為でしょうけど」

 それを聞いた彼女はふうん。という顔をした。

 彼女は告白の事で頭が今の所一杯なのだろうか。

 こんな時間なのに東校舎に誰かいる訳がない。

 そう、自分達以外は。

 だから、気の所為だろう。

 俺は1-4の自分のクラスの前に立った。

 一時間と少し前に訪れた所だ。

 だけどおかしい。

 ドアは出ていった時と同じようにちゃんとしまっていた。

 これがおかしいわけではない。

 先程来た時と違って、非常に良くないような、嫌な予感を感じるのだ。

 その予感を気の所為で済ませようとし、そしてドアの取っ手に指をかける、すると、その嫌な予感が一層強くなった。

 これを開けると大変な事になる。

 今思えば、ここが分岐点だったかもしれない。

「どうしたんだい? 君さっきから何か様子がおかしいようだけど。僕のせい?」

 さすがの彼女も俺がさっきから挙動不審なのを疑問を持ったようだ。

「芽生さん。なにか嫌な予感がするんです。この扉をあけたら大変な事が起こりそうな。そんな予感がするんです」

「怖いのかい? なら一緒に開けてあげようか?」

「…………お願いします」

 彼女の提案を受け入れた俺達はドアの取っ手に手をかけて、二人同時にドアを開け……そして教室に二人で入った。

 それと同時に、俺達は教室の中の凄惨な光景に衝撃を受けた。

 教室に入ってまず見た光景。

 教室中央部で赤黒い色の澱みがっていた。

 そして、それの存在を認知すると鉄のような独特な匂いが鼻をついた。

 ………………血だ。しかも、結構時間経っている。

 俺はその発生源を探すべくあたりを見渡す。

 赤黒い澱みの発生場所は、教室の中央だった。

 そこは、きれいに並べて帰ったはずの机の整列が崩れていた。

 そして、赤黒い毛氈と整列が崩れた中心でうつ伏せに人が横になって倒れていた。

 眼の前で人が倒れてる。

 嫌な予感の正体はこれだったのか。

 とっさに俺は芽生さんの腕を握った。

 握った手に柔らかい感触がした。

 何故こうしたのかはわからない。

 ただ怖かったのか。それとも驚きか。好奇心か。

 あるいは、芽生さんがこの状況でも俺よりも、遥かに落ち着いていたので、それを求めたのかもしれない。

 それを見た芽生さんは、少し驚いたようだが、こちらをまあ、仕方ないなという表情で一瞥した後「これから、あれを調べに行くけどいいのかい?」聞いた。

 俺は芽生さんの顔を見ながら、無言で首縦に振った。

 それを確認したいちしさんは何も言わず、倒れてる人に向けてゆっくりと歩みを進めた。

 俺もそれに合わせてゆっくりと足を進める。

 少しずつゆっくりと俺達の足が進む。

 なるべく赤黒い毛氈ように広がった血には触れないように、倒れている人に近づいた。

 近づくとわかったのだが頭を黒板側に、足をロッカー側に向けて、うつ伏せで倒れているようだった。

 わずかに見える手や足……の部分では、生気を感じられない土気色肌が見えていた。

 おそらくあれでは生きていまい。

 うつ伏せなので、このままだと顔が見えないので誰かはわからない。

 頭の近くには、血で赤黒く染まった雑巾があった。

 ただ、浜長北高校の学生服を着ていた。しかも男子のだ。

 これらの外見的特徴から判断するに、うちの高校の男子校生だ、おそらくは。

「これから、色々と調べるけどいいかい? とても精神的にキツイ状況になりそうだなのだけど。苦手なら教室から出ていく事を勧めるよ?」

 俺の方を振り返り、目を見ながら決意をもとめるように言った。

 どうやら彼女は眼の前の人物の検分行うようだ。

 そして、それは、普通の人間が耐えられるものではないのだ。だから彼女は、俺に離脱を進めたのだ。

 だけど、俺は普通の人間では無い。

 この程度……大丈夫……だ。

 「慣れてるので平気です……」

 彼女の目を見て答えた。

「慣れている。というのが気にはなるけど、君の平気ということばをとりあえず信用しようか」

 何か引っかかるものを感じたようだった。

「覚悟は、いいね」

 俺は同意を込めて掴んでいた彼女の手を放した。

 このままだと調べにくいだろう思ったからだ。

 彼女はそれを確認したあと、赤い毛氈を踏まないように倒れてる男の顔側の近くに膝まづいた。そして手にアクリルの手袋をはめた。

 彼女につられて俺もよく見える位置に付いた。

「じゃあ始めるよ。本当に大丈夫?」

「大丈夫です。慣れてますので」

 彼女の再三の確認に、俺は定型文で返した。

 それを聞いた彼女は腑に落ちない表情に一瞬なったが、それがまるで無かったかのように切り替え、めぐみさんは検分を始めた。

 めぐみさんはまず首に手を当てる。慣れた手つきだ。

 そして数十秒経った後「手遅れだね。脈は無いよ」と言った。

 そして「残念ながら亡くなっているよ」と淡々と言った。

 やっぱりと俺は思った。

 肌の色が白いといよりも、生気を感じられない土気色だったからだ。

 この様子だと、多分死んでから一時間、最低でも30分は経ってると思う。

 俺が今まで見た、ほとんどの遺体はこんな肌の色だった。

「時間は、五時三分だね」彼女が時間を確認する。

 その後、彼女は、うつ伏せになった死体の頭をゆっくり持ち上げ始めた。

 おそらく顔を調べるためにだ。

 死体が一体誰なのか、もしかしたら俺の知り合いではないか、そのようなことが頭をよぎった俺は、彼女と一緒にその顔を覗き込んだ。

 半分以上血に濡れた顔が明らかになる。

 そして。

「「保 健二」」

 俺達二人同時にその名を上げた。

 保健二とは浜長北高校の現二年生だ。

 黒髪のやや活発な感じで見た目はまともなのだが、交友関係が悪く素行不良が目立つ生徒だった。

 簡単に言うと悪いことを平気でするタイプの不良だ。

 先生の悩みの種。

 しかも、最近何かしらの犯罪紛いの行為まで手を出し始めたという噂まである。

 そのため、濱長北高校の生徒は、保健二の名前と顔は、警戒のために皆嫌でも知っているだろう。

 俺と彼女が名前を知っているのはそのためだ。

「亡くなってるって事は事故でしょうか? それとも自殺ですか?」

 可能性として最も高そうなのは当然事故だ。

 彼が何かで悩んでいたという話を聞いたことはないがもしかしたら自殺かもしれない。

 最も、自殺する理由なんか一見持ってい無さそうな人でも、自殺を図るなんて事はよくある事だけど。

「それを今から調べてみるよ」

 そういいながら、彼女は首についた傷口をまじまじと見つめ検分をし始めた。

 俺も、彼女の調べている傷口に目を向ける。

 うつ伏せになった彼の首の右側についた傷口は、彼の頭部から胴体側へと、まるでぱっくりときれいに割れた栗の殻ように一本広がっていた。

 そして、その傷口は正面側から背中側へと斜めに、刃物で切られたかのようにまっすぐ引かれていた。

 胴体側に近づくにつれ、傷口がやや浅くなっていってるように見える。

 流石に傷口の中がどのようになっているのかまでは、俺には見る事はできなかった。

 そんな傷口を彼女は見慣れた様子で調べている様子だった。

 そしてある程度調べ終わったのか、ふむ、と一言言ってから。

「多分死因は頸動脈を切られた事で発生した出血多量による失血性ショック死かな。鑑識がちゃんと調べないと言い切れないけど」

 と確認するように淡々と言った。

 しかし、この広まった赤黒い毛氈を見れば、素人でもわかる。と思う。

 多分それに決まっている。

 そうして、彼女は、今度は頭を注視し始めた。

 彼女の黒玉のような目が、うつ伏せの被害者の頭を舐め回すように調べ回る。

 そして、おや、と一言呟き、「彼、側頭部にぶつけた跡があるね。ほら、ここ」

 そのような事を言った。

 彼女が指で示した頭頂部の場所を見ると、黒髪で隠されて一見わかりにくいが、赤く腫れて僅かに血が出ている。

「ぶつけた跡ですか? なんでそんな物が? もしかして、刃物を出して何かしらしていたら、こけて頭をぶつけて運悪く刃物が首筋に。とかそんな感じですか?」

「いや残念だけど、その可能は無に等しいと思うよ」と彼女に冷静な反論もらう。

 まあそんな偶然の奇跡すぎる事故なんて起きる訳が無い。そんな事はわかっている。

 ただ、この否定が、ただ単に起こる可能性が低すぎるというだけのものなのか、それとも何かしら別に根拠あって言っているのか気になった俺は彼女に聞いた。

「どうしてそう言えるんです?」

「これは誰かに殴られてついたものだからだね。おそらく丸い棒のようなもので殴られたんだと思う。ぶつけたりしてできるような傷じゃない」

「それじゃあ何で殴られたんですか?」

 俺は2つの意味を込めて聞いた。

「それは今の所わからないかな。周りに椅子の足とかがあるからそれじゃないかと考えられるけど、……それは後で詳しく調べればはっきりするだろうけどね」

「まあこれ以上これを調べても仕方ないかな」そして彼の頭を持ち上げる前の元の位置戻しながら言った。

 そう言って、今度は、彼女は毛氈のような赤黒い血溜まりを調べ始めた。

 血溜まりは、彼の首の傷口を中心に、半径三十センチメートル位に広がっていた。

 もっとも測った訳ではないので正確にはわからないけれども。

 いずれにせよ、この出血量なら普通の人間なら彼の死因は失血死と思うだろう。

 そんなことを考えていると、ふと彼女が、彼の頭の左側付近の所に、広がっていた血溜まりの毛氈の一部分を指さした。

 俺もそこに視線を移す。

 そこには一本の大型のカッターナイフが落ちていた。

 彼女は、血溜まりからそれを拾い上げる。

 血溜まりに落ちていたからかわからないけど、刃から持ち手まで血まみれだ。

 血溜まりから引き上げたからか、少し血が滴っている。

 刃はしまってあった。

 彼女は、カッターナイフの刃を確認するように、カチカチという音を鳴らしながら出した。

 出した刃は折られておらずしっかり全部あった。

 けれども、刃は少し傷んでいるようだった。

 とはいえ、仮に彼を切った物がこれならば、刃が傷んでいるのが普通のだろうし、おかしくはない。

 そして、そのカッターナイフの柄には、血で濡れて判別しにくいが、「1-4」と黒のサインペンで書かれていた。

 それは、俺に心当りがあった。

「そのカッターナイフ、工具箱に入ってるやつですよね? しかも多分うちのクラスの奴」

 濱長北高校では、各クラスに一箱ずつ工具箱が設置されている。

 この大型カッターナイフもその中の1つだ。

 大体のクラスの工具箱が置いてある所は一緒だし、そうで無くても、大体の目星がつく。

 濱長北高校の関係者なら、このカッターナイフを見つけるのは非常に簡単だといえる。

 横目で自分のクラスの工具箱を追った。

 その工具箱は黒板横の棚の上の見える所、いつもの場所に置きっぱなしだった。

 少し不用心か?

 そんなことを思っていると、彼女は言い出す。

 「多分凶器はこの大型カッターナイフだね。刃の形と傷口が大体一致しているように見えるよ。それに、周りにここまでの大きくて綺麗な傷口をつけられそうな刃物が無さそうだし。だから、この大型カッターナイフが凶器だと言えるね」

 と言った後、「まあ警察がちゃんと調べない事にはそうはいいきれないけれども」と付け足す。

 その後、彼女は持ち上げたカッターナイフを慎重に元の血溜まりの位置に戻した。

 彼女の言う通り、付近には他に刃物の類はないと思う、もちろん工具箱の中にもだ。

 だからひとまず、俺もこれが凶器だと考える事には同意だ。

「そして、ここまで調べて言える事が1つある」

「それは……一体何なんですか?」

「聞きたいかい? あまり良いものではないかもしれないけど」

「聞きたいです」

 彼女のささやかな気遣いはありがたい。だが、ここまで付き合った以上引くと言う選択肢が俺のはなかった。

「じゃあ言うよ」

 彼女は確認するようにこちらを見つめた。

「彼は、殺されたって事だね」

「え?」彼女の口から紡がれた言葉に驚愕する。

 殺人? 平和なこんな田舎の高校で? そんなバカな。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る