第11話 地下アイドルに手を出した末路

 玄関のロックが、何の前触れもなく外れた。


 ガチャリ、と重い金属音。


 るるが小さく震えるより早く、黒ずくめの男たちが怒涛のようになだれ込んできた。


 革ジャン、刺青、金のアクセサリー。

 筋肉の浮いた腕、刺青が覗く首筋、鼻を突くような革と煙草の匂い。

 夜の闇を着込んだ、獣の群れ。


 背中には、真紅の刺繍で《紅(クレナイ)》と記された文字。


 東京の裏社会に名を轟かせる半グレ組織。

 壊れた夢、裏切られた信頼、堕ちたアイドル。

 全てを金に換え、再利用する“再生工場”。


 暴力と絶望を糧にする狂った商人たちだった。


 慎吾は裸足のまま、るるを背に庇った。


 擦り切れたTシャツ、浮き出た喉仏、ぎゅっと食いしばる顎。

 細い肩を精一杯広げて、彼女を隠す盾になる。


 その群れを切り裂くようにして、二人の姿が現れる。


 篠崎メイ。

 ヒールを鳴らしながら、黒のジャケットを羽織り、赤いルージュが艶めく口元に浮かぶ。


 その背後には、黒のスーツを鋭利に着こなした男――社長。


 身長は低めだが、ぎらぎらと光る刈り上げ頭。

 冷徹な目と、まるで人を測る天秤のように動く顎筋。

 小柄な身体に詰め込まれた圧倒的な“支配者”の空気。


 「……社長……?」


 るるがかすれた声で呟いた。


 シーツを握り締める指先は震え、頬は蒼白に染まっていた。


 社長は、まるでゴミを見るような冷たい目で、くっと口角を上げた。


 「うちの娘に手ェ出して、無事で済むと思ってんのか」


 その声は低く、血の匂いを纏っていた。


 メイは壁にもたれ、艶やかにウインクした。


 グロスに濡れた唇の端が、わずかに持ち上がる。


 「ねぇ、しんごさん。覚悟、できてる?」


 次の瞬間、クレナイの半グレたちが慎吾を取り囲む。


 分厚い拳、硬い膝、泥臭いブーツ。


 無慈悲な打撃が、慎吾の全身に叩き込まれる。


 骨と肉がきしみ、鈍い音が室内に響き渡った。


 「やめてっ!!」


 るるが叫び、裸足のままシーツを引きずり、メイにすがる。


 肩が細かく震え、髪はぐしゃぐしゃに乱れていた。


 「お願いっ……あたしが……! あたしが払うからっ!!」


 だが、メイは無感情にるるの手を振り払う。


 指先には一瞬の迷いもなかった。


 「——あたしが、誠意を見せるから!」


 その叫びに、社長がふっと眉を動かした。


 「誠意、ねぇ?」


 「じゃあ、風呂に沈んでもらうか」


 嗤うような声。

 足を踏み鳴らす半グレたちの動きが、一瞬ざわりと蠢いた。


 るるの顔から血の気が引き、膝が床につきそうになる。


 そのときだった。


 ぐしゃり、と血に塗れた慎吾が、這うようにして立ち上がった。


 唇は裂け、目の周りは紫色に腫れ上がり、肩で呼吸しながら。


 それでも、るるを守るためだけに。


 「……るるは……関係ない……!!」


 「これは、俺の問題だッ!!」


 「俺が……なんでもする!!」


 吼えるように叫びながら、なおも立ち上がる。


 社長は、短く鼻で笑った。


 「五千万だ」


 「るるの将来性込みの慰謝料。払え」


 血まみれの慎吾に、冷たく投げつけられる言葉。


 呼吸するたび、肋骨がきしむ。


 それでも慎吾は、うなずいた。


 るるが泣きながら、慎吾の腕を掴む。


 爪が食い込むほど、必死に。


 「やめて……あたしも払う……!」


 だが、メイがあっさり言った。


 「違うよ、るる」


 「しんごさんが払わなきゃ、意味ないの」


 慎吾はるるの手を、そっと外した。


 震える指で契約書を掴み、噛み切った指先から血を滲ませて、名前を書く。


 赤黒い文字が、紙に滲み、沈んでいく。


 「これで成立だ」


 社長が、機械的に宣言した。


 るるは声にならない声で泣いていた。


 慎吾は、潰れた唇の端を吊り上げた。


 そのまま、メイを真っ直ぐに見た。


 「……こうなるって、分かってたんですか?」


 かすれた声で。


 メイは無邪気に首を傾げた。


 「うん、最初から」


 「だって、しのぎだけじゃ、やってらんないもん」


 にこりと笑いながら、狂った目を隠さなかった。


 「愛とか絶望とか、壊れる寸前の人間って、最高のエンタメなんですよ」


 「特に、アイドルとファンの壊れ方なんて、ね?」


 その口元は笑っていたが、目は爛々と輝いていた。


 慎吾は、血にまみれた笑みで応えた。


 「……エンタメ、か」


 「……上等だよ」


 潰れた喉から絞り出すように吐き捨てた。


 その隣で、るるは震えながら慎吾にしがみついていた。


 指先が、血と涙でぐしゃぐしゃになりながらも。

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