第8話 合コンクライシス

 合コン当日。


 渋谷の裏手にある紹介制のラウンジ。


 淡いピンクの間接照明が、低いテーブルと革張りのソファを柔らかく照らしている。


 グラスの中で氷が音を立て、香り高いリキュールが揺れた。


 その空間に、完璧な“姫野るる”がいた。


 パウダーピンクのワンピース。


 ふんわり広がるスカート、リボンのついたヒール、ゆるく巻かれた髪。


 彼女は、座っていても“ステージの上”だった。


 「はじめまして、姫野るるですっ。今日は……よろしくお願いしますっ☆」


 笑顔、角度、声のトーン、言葉選び、すべてが精密に計算されていた。


 まるでファンイベント。


 場にいる男たちさえ、一瞬で“観客”に変えてしまう。


 彼女はいつも、全力だった。


「うわ、マジでテレビ出てそう」


「声、やば」


「なにこのアイドル感……」


 男たちは視線を逸らせない。


 その隣で、篠崎メイは今日もぴたりと男の腕に張り付いていた。


 黒のノースリーブ。タイトスカート。


 揺れる谷間と甘えた声。


 「え~っ、すっごい! ほんとにその現場いたんですかぁ?」


 笑顔を貼りつけながら、名刺の肩書だけは逃さずに視線を走らせていた。


 男たちは、映像関係、舞台業界、ネット広告、クリエイティブ職風。


 名刺を配り、酒を注ぎ、半分酔ったテンションで自己紹介を繰り返す。


 るるは、笑顔を絶やさず、完璧な相槌で空気を整えていく。


 けれど。


 (違う)


 「ねぇ~っ、もしも~っ、るるが“今日ここで死んじゃうかも~”って言ったらぁ……黙って隣に座ってくれますか~っ?」


 唐突な言葉に、場の空気が止まった。


 「え、なにそれ」


 「こわ……」


 「冗談だよね?」


 誰もがグラスを持ち直し、話題を戻そうと笑い声を作る。


 けれど、一人だけ目をそらさなかった男がいた。


 黒縁眼鏡。


 ワインレッドのシャツ。


 肩をすくめ、背中を丸めたまま、るるの目をまっすぐに見つめていた。


 「……死ぬって言うなら、止めないよ」


 「でも、見届ける。最後まで、ちゃんと見てる」


 名は一ノ瀬。


 舞台脚本家の見習いだという。


 あたしのことを“アイドル”としてじゃなく、“人間”として見た目。


 るるのグラスを持つ指が止まった。


 ステージ上で見せる笑顔の仮面の奥。


 心臓のどこかに触れた。


 (見えてる。あたしの奥)


 「……一ノ瀬さんって、舞台やってるんですよねっ?」


 笑顔は崩さず、声も甘く。


 けれどその目だけは、彼の奥を捉えていた。


 「うん、いちおう。でもまだ食えてない。小劇場レベルで」


 「脚本って……自分の心、全部ぶつけるんですか?」


 「ぶつけないと、何も残らないよ」


 その答えに、るるははっと目を瞬いた。


 (この人、壊れてもいいって思ってる)


 「じゃあ……それ、完成したら……壊れてもいいって、思いますか?」


 声は可愛く。


 けれど瞳だけが、試していた。


 「そうなったら、誰かに壊してほしいかもね」


 その瞬間、るるの心に火が灯った。


 メイは横で、男たちと笑いながらワインを傾けている。


 細身の男の腕に自然と指を絡ませ、話すたびに胸元を傾けて視線を誘導し、笑うたびにわざとらしく口元に手を添えた。


 「ねぇ、それってめっちゃ稼げてるやつじゃん~?」


 柔らかい声、あざといまつ毛の動き、男が何を求めているかを察知する嗅覚。


 メイは自分の身体を武器に、男の距離を詰めていく。


 その少し離れた席で、るるはグラスを両手で包み込むように持ったまま、一ノ瀬の方へと身体をそっと傾けていた。


 アイドルの笑顔は崩さずに。


 けれどその瞳だけは、獲物を見つめるように真っすぐだった。


 「ねぇ~っ、一ノ瀬さんって……どうして“見てる”だけでいいって言ったんですか~?」


 甘く、舌先で転がすような口調。


 でも、そこに浮かぶ色は探るような問いだった。


 一ノ瀬は少し目を細めて、グラスの縁に指をかけた。


 「誰かを止めるより……見届ける覚悟の方が、重いから」


 「へぇ~っ……そういうの、るる……嫌いじゃないです~っ」


 るるは、くすっと笑った。


 その笑みには、アイドルとしての愛想と、裏打ちされた知性の両方が混ざっていた。


 「一ノ瀬さん、舞台って……誰かの心を動かすために書くんですか~?」


 「自分を動かすためかな。じゃないと、他人の心まで届かない」


 その言葉に、るるは一瞬だけ、まばたきを忘れた。


 (ちゃんと、自分で燃えてる人の言葉だ)


 「るる、ステージに立ってると……たまに、“誰かの人生に関わってる”って思うときがあるんです~っ」


 「でもそれって、ホントはすごく怖いことなんですよ~っ?」


 一ノ瀬は黙って頷く。


 「ぜ~んぶ終わっちゃうかもしれないって思いながら……でも“飛べっ”て言ってくれる人、るる……ずっと探してたのかも~っ」


 彼女は笑ったまま、テーブルに肘をついてグラスを揺らした。


 「じゃあさ~っ、一ノ瀬さんって……誰かに、全部ぶっ壊されちゃいたいタイプですか~っ?」


 「全部終わらせてくれるなら、それでもいい」


 「ふふっ……じゃあ、るる……見てますね~っ?」


 声は甘いまま、熱を帯びていた。


 「ねぇ~っ、るるのステージちゃんと観てくれたらぁ……その心、ぐっちゃぐちゃにしてあげてもいいですよ~っ☆」


 アイドルの笑顔のまま。


 でも、グラスの氷は、静かに溶けていた。

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