第7話 来ないあなたが悪い。だから

 ──それから、慎吾はライブに顔を出さなくなった。


 最初の週、るるは何も変わらなかった。


 「今日は久々に古参しかいない~っ☆」と明るく声を張り上げ、ステージではウィンクを飛ばし、ジャンプしながら手を振り、最高の笑顔で輝いていた。


 MCでは絶妙なタイミングで笑いを取り、ファンサではどのオタクにも均等に視線と笑顔を振り分け、物販では「ありがと~っ☆」と目を見て語りかけるように声を届けた。


 そのすべての瞬間が、カメラに収められ、記録され、称賛された。


 誰から見ても完璧な“姫野るる”。


 光でできた偶像。


 ステージの上に一切の翳りはなかった。


 だが、その夜、控室に戻った彼女の顔には、ステージの光が一切残っていなかった。


 鏡の前でウィッグを外し、カラコンを取った瞬間、指先がわずかに震えていた。


 「いないの、当たり前じゃん……」


 ぽつりと呟いた声は、笑い声にも悲鳴にもならなかった。


 三回目のライブが終わった夜だった。


 ファンが一人消えた。


 それだけのはずなのに、慎吾がいたあの“立ち位置”――そのスペースに、今は誰も入り込んでこないことが、異様なほど視界に焼き付いていた。


 あの日の“ありがとう”が、耳にこびりついて離れない。


 あの密着チェキ、あの涙、あの全力の承認欲求が、今では影すら残っていないことに、息苦しさすら感じていた。


 “ありがとう”の叫びにあそこまで魂を込めた人間は、後にも先にも慎吾だけだった。  自分の深淵を真正面から見て、目を逸らさずに“好き”を叫んだ彼だけが、あたしを“アイドル”じゃなく、“人間”として観ていた。


 ライブ中はアイドルだった。


 100%、いや120%の“姫野るる”を演じ切った。


 それがプロだと信じているし、その仮面の精度には自信がある。


 けれど、終演後の楽屋でカーテンが閉まるたびに、自分の中の“るる”が剥がれていく感覚があった。


 SNSを開いても、彼の影はどこにもない。


 「ありがとう」「泣いた」「尊い」――そんな言葉たちは並んでいる。


 けれどその中に、慎吾の声はなかった。


 その沈黙が、怖かった。


 そしてなにより、ムカついた。


 “来ないくせに、頭の中に居座ってんじゃねえよ”


 口の中でつぶやいた言葉は、自分に返ってくるブーメランのようだった。


 ステージライトの記憶が遠ざかる。


 あの眩しさの奥には、もう彼はいないのだと、何度思い直しても、指先はスマホを握ったまま動かなかった。


 そんな時だった。


 「ねえ、るる~。今週末、暇? 合コンあるんだけどさ」


 楽屋のソファに寝転がっていた別の地下アイドル――篠崎メイが、ソファにあぐらをかいたまま軽いノリで声をかけてきた。


 身長はるるより一回り低く、童顔気味でピンクベージュの髪をツインテールにまとめている。その華奢な体格からは想像もつかないほど、存在感のある豊かなバストを揺らしながら、無防備にストレッチしていた。


 普段は明るく軽口を叩くが、現場ではプロ意識が高く、るるとはライバルのようでいて、どこか似た“演じること”への依存を共有していた。るるにとっては、数少ない“自分を壊さずに接することのできる”相手だった。


 ただし、メイの本質は男漁りだ。 表面上は天真爛漫に振る舞っているが、出会う男のステータスをさりげなく値踏みし、利用価値のある相手かを冷静に測っている。


 「てか、るるって、ほんと細いよね~。そのウエスト何センチ? 私ならあれだとバストで殺すけど?」


 何気ない雑談のように、メイはいつもるるの身体的特徴を引き合いに出してきた。るるがしなやかな手足と小ぶりな胸、全体的にバランス重視のスタイルなのに対し、メイは低身長で丸みのある体つき。とくに胸は強調される衣装を自分から選び、ファンの視線を“掴む”のが得意だった。


 「その衣装、男ウケしないでしょ? 私だったらもうちょい肩見せて谷間出すやつ着るけどな~」


 メイは、るるのアイドルとしての立ち位置を“男に媚びるスタイル”だと思っていた。彼女の中で、ファンを喜ばせることと、男に媚びを売ることの境界線は、最初から曖昧だった。


 「でぇ、合コンなんだけどさ、アイドル限定で男も業界の人もイケメンばっか。 しかも〜その中にね、たぶんるるが気に入りそうなヤバめのやつも来るって」


 メイのその一言で、るるのまぶたがわずかに動いた。


 「……どんな人?」


 言葉に出した自分に、少し驚いた。


 「んー、詳しくは知らないけど……なんか、昔一回業界飛んで戻ってきたって人で、言動はちょっとぶっ飛んでるらしい」


 「へぇ……」


 軽く流しながらも、るるの内側でなにかがじわっと熱を持ち始めていた。


 


 るるの反応に篠崎は、にやりと笑いながら、ネイルを眺めた。


 「断る理由ないでしょ。いつまでも“あのファン”のこと考えてても、来ないんだしさ」


 “あのファン”という言葉に、るるの目が一瞬だけ鋭くなった。


「ね、るるのとこにいたあの“ありがとう絶叫おじさん”、まだ通ってんの?」 


「マジであの場面、キモくて引いたんだけど。あれファンって言っていいの?」


 メイの声は悪気のない笑い混じりだったが、るるの奥歯が自然と噛みしめられた。


 (……勝手に、言わないで)


 笑顔を崩さずに「もう来てないよ」とだけ答えたが、胸の奥にかすかな火が灯った。


 慎吾を“やらかした客”として一括りにされたその一言が、思った以上にるるの神経を逆撫でしていた。


 だが、次の瞬間には、いつもの笑顔に戻っていた。


 「うん、いいよ。ちょっと遊びたかったし」


 軽く返事をしながらも、胸の奥に妙なモヤが残った。


 どうせ来ないなら。どうせ、戻ってこないなら。


 せめて、他の誰かを壊してみたかった。


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