第4話 物販での神対応に殺意で対抗。

 物販コーナーは、ライブ熱の残り香が漂う別空間だった。

 汗とポスター紙の匂い、列の息遣い、黙々と戦利品を見つめる信者たち。

 ステージとは別の戦場。すべてはこの“当日”のために準備された儀式。


 慎吾は震える手でメニュー表を見つめていた。


 《新作アクスタ:2,500円/ランダム缶バッジ:各500円/B2ポスター:1,800円/ミニタオル:1,200円/るる等身大抱き枕:50,000円》


 どれも欲しかった。全部、手元に残しておきたかった。

 ライブの余韻が、頭ではなく“手元”で燃えていた。


 「……あの……等身大の……抱き枕、一つください」


 慎吾の声は震えていた。

 スタッフが無言でレジ横の黒いパッケージを取り出す。


 ピンクの文字で「姫野るる 添い寝仕様」と印刷された袋が慎吾の手に渡る。

 重さは軽いのに、腕の中が熱くなる。


 ビニール越しに見える制服姿のるる。

 裏面には、微笑むパジャマ姿のプリントがあった。


 慎吾は、袋を胸に抱きしめた。

 まるで、本物を抱いているように。


 「カードで……お願いします」


 読み取り端末にスマホをかざす。

 ピッ、と音が鳴る。


 だが、次の画面が表示されない。


 「……あれ、もう一度……」


 慎吾は手を拭きながら再度かざす。

 ピッ、ピッ、エラー。


 列の空気が変わった。


 「クレカかよ。現金にしろよ……」

 「いや事前にチャージしとけよ」

 「おい、こいつ……密着チェキのやつだろ?」

 「抱き枕だけじゃなくて、周囲の信頼も一緒に倒してくれましたけど、どんな気持ちですか?」


 どこからともなく、くぐもった笑い声が混じる。

 背後からのプレッシャーが喉元を締め上げてくるようだった。


 そのときだった。


 「皆さん、落ち着いてください」


 関口の声が列のざわめきを吸い取るように響いた。

 いつも通り穏やかで、にこやかで、そして冷たい。


 「クレジットの不調……それ自体は、誰にでもあります。

 ただ、“推しに見られている”という自覚があれば……事前の準備、大切ですよね」


 ざわ……っと列の空気が変わる。

 うなずく者、スマホで撮り始める者。


 「ちなみに僕は、現金・電子・カード、すべて常備してます。

 “推しの時間を奪わない”のも、愛ですから」


 慎吾は俯いたままカードを握りしめた。


 「……しんごさーんっ☆」


 ぱたぱたと走ってくる足音。

 振り返ると、制服姿のままの姫野るるが駆け寄ってきた。


 「もー、みんな! そんなに怒らないで~っ☆」

 「しんごさん、いーっぱい悩んで悩んで、やっと来てくれたんだよ?」

 「るる、ちゃんと知ってるもんっ☆」


 場の空気が止まった。


 「さぁっ、端末貸して~☆」

 「るるがやるとね、通るんだよ~っ♪」


 彼女がスマホを握り、スッとタッチ。


 ──ピッ。認証。


 あっさり通った。

 拍子抜けするほどに。


 「やった~っ☆」

 「しんごさん、おめでとっ!」


 その瞬間、どこからともなく起こったのは、


 パチ……パチ……パチ……


 乾いた拍手。


 だがその音に、誰も笑っていなかった。

 それは皮肉と敗北を滲ませた“絶望の拍手”だった。


 「う、うわぁぁ……っ!」

 「ありがとう、ありがとうございます……ありがとうございますッ!!」


 慎吾が歓喜の声を上げた瞬間、抱えていたグッズ袋が、手から滑り落ちた。


 バシャアアア!!


 アクスタ、ポスター、缶バッジ、ミニタオル。

 そして、その中にあった“等身大抱き枕”のパッケージが、  弾かれたように転がりながら隣のオタクの足元へ。


 「うわっ……!」


 パッケージは隣のグッズ台を直撃。

 バランスを崩したスタンドポップが、次々と倒れていく。


 カタン……ドサッ……バサァ……!!


 まるで仕組まれたドミノ倒しのように、他のファンの戦利品が連鎖的に雪崩を起こした。


 「おい! 俺のブロマイドがっ!!」

 「クッション落ちたぁ!!!」


 悲鳴と怒号が混じる中、慎吾は床に膝をつき、呆然としていた。


 そのときだった。


 「しんごさん……」


 るるが、そっと寄り添った。


 慎吾の背中に、そっと腕を回す。

 あまりに自然な動き。


 そのまま、やさしく、胸元に引き寄せた。


 彼女の香りが、全身を包んだ。

 慎吾の額が、るるの肩に埋まる。


 心臓が、爆発音のように鳴る。


 「だいじょうぶ……」


 「全部、だいじょうぶだからっ☆」


 その瞬間だった。


 「うあああああああああああああああああああ!!!!!」


 慎吾の腕に包まれ、るるの小さな身体がぴたりと密着した。

 制服の胸元が押し潰され、軽い体がぐらつく。

 とっさに細い腕が慎吾の背へ添えられる。


 スカートがふわりと広がり、太ももに絡む。

 その顔は一瞬驚いたように目を見開き、すぐに営業用の笑みに戻った。


 頬は引きつりなく保たれていたが、瞳だけがわずかに揺れていた。


 「ッッ……お、おい……!」


 「やったぞ……あいつ……!」


 「触れた……触れやがった!!」


 「おい、離せッ!! その手をどけろぉぉぉ!!!!!」


 「るるちゃんはッ!! みんなの!! るるちゃんだぞッ!!!」


 会場が一気に沸騰した。


 怒号、呻き、呻き声、何人かは頭を抱えてその場にしゃがみ込む。


 「見せ物じゃねえんだぞ!!」

 「規約違反じゃねえのか!? マジでやばいって!!」


 誰かがスタッフを呼ぼうとして、ポケットからスマホを取り出す。


 しかし、


 「ちょっとまって~っ☆」


 るるの声が響いた。

 その場の空気が、ピタリと止まる。


 「だいじょうぶ、るるがちゃんと見てるから☆」

 「しんごさんも、みんなも、落ち着いて? ね?」


 言葉は軽やかだった。けれど、その声の芯には確かに“力”があった。


 スマホを手にしたオタクが、ゆっくりと手を下ろす。

 その背中が、何かに打ち負けたように沈んでいく。


 その奥で、関口がスマホをゆっくりとしまった。


 その目は、もう笑っていなかった。

 鋭く、冷たく、暗く沈んでいた。


 そして口元にだけ、凍りつくような笑みを浮かべていた。

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