シンボル (5)

 地上。

 マジュウの雄叫びによって空を見上げるエモン。ただ事ではない何かが起こったのは明白である。それがエハードにとって良い事か、悪い事なのかは確認できない。

 次の瞬間、エモンは雨が降ってきたのだと思った。水滴が落ちる感触があったからだ。実際は雨などではなく、エハードの血であることは知る由もない。

 そして黒い影が落ちてきた。


 上空。

 マジュウはさらに甲高い声をあげた。

 急激に弱まった抵抗。

 体を破壊した感触。

 血の匂いが立ち込めていればさらに良い。

 マジュウが興奮しているのは明らかだった。

 エハードは体をだらりと脱力させて、動く気配がない。が、しかしエハードの顔には笑みが浮かんでいた。


 「良かったよ。マジュウも油断するだな」

 

 その言葉が聞こえたのかはわからないが、マジュウは雄叫びをやめた。次の瞬間、エハードの体から伸びた蔦がマジュウの体にまとわりついた。

 危機を察知したと思われるマジュウは鉤爪に力をこめようとするが、それよりもエハードの蔦に縛られる方が早かった。

 そしてよく見ると、切断したはずの右腕は、体の内側から伸びた植物の根によって繋がれており、完全に切り離されているわけではなかった。

 (初めてやったけど上手くいったな。それにしても痛すぎる)

 エハードはマジュウが腕を引き千切ろうとした時、腕の内側に根を巡らせ、完全に切断されないようにしていた。マジュウが引き千切ったのは腕の外側だけである。

 根は引っ張っただけでは、中々切れないことを知っているエハードは、骨の代わりのように根を使うことで対応した。その後はマジュウの力が緩まるのを待ち、機会を伺っていた。

 (動かせないけど、腕の感覚はある。便利な体だよな。これで痛くなかったら完璧なんだけど)

 そんな事を考えるエハードだが、マジュウを縛り上げたため、現在落下中である。全く抵抗できないよう全身を縛ったため、翼を操ることなどできない。このまま地面に叩きつけられればエハードも無事ではすまないことは、明白である。

 マジュウと共に落ちていくエハードはアンのことを想った。

 ご飯、何作ったか聞けば良かったなぁ。このまま落ちれば食べられないんだけど。アンはきっと怒るだろうな。

 このまま意識を手放してしまおうかと思った次の瞬間、

 ーーーアナタは父さんと私に愛されるために生まれてきたの。

 ふと出発前に聞いた言葉を思い出した。


 数秒前、地上。

 マジュウが落ちてくるのを初めに気づいたのはエモンだった。降下ではなく落下であると、すぐさま判断したエモンは大声で言った。

 「エハードとマジュウが落ちてきてる!」

 その声を聞き、アサドとアリアも上を向いた。

 3人にとって、それは全く想像していなかったという事態ではない。

 「アリア!」

 叫んだのはアサド。

 アサドは腰を低くし両手を合わせ、アリアの方を向いていた。

 意図を一瞬で理解したアリアはアサドに向かって走り出す。

 あっという間にスピードに乗るアリア。

 タイミングを見計らうアサド。

 2人の距離が残り数メートルとなった時、アリアはアサドに向かって跳んだ。着地点はアサドの手である。

 アサドの合わせられた手に乗った瞬間、足の下から力が加えられ、アリアもまた上に向かって跳躍するよう力を込める。

 最新の義肢と強靭な肉体。

 この2つによって、アリアの体は宙に高く舞い上がった。

 

 「エハード!」

 その呼びかけに我に帰ったエハードは、自分と同じ目線にいるアリアを見つけた。アリアはこちらに手を伸ばしている。

 「掴んで!早く!」

 エハードはアリアの腕を掴むと、マジュウの体を蹴り、蔦から離れた。依然、蔦はマジュウの体を縛ったままである。

 アリアはエハードの体を抱き抱えると、義足から空気を噴出させる。

 それによって少しだけだが、落下スピードが遅くなった。

 そして地面に着地するかと思われたが、落下地点にはすでに車があり、そのボンネットの上へと2人は落ちた。

 凄まじい音をたてるが、どうやら2人とも意識はあるようだ。

 「大丈夫か!2人とも!」

 運転席からエモンが大声をあげる。

 「アタシは問題ない!でもエハードがまずい!腕が千切れかかってる!」

 大丈夫だよ。治るから。

 そう言おうとしたエハードだが、急速に意識が遠くなり、口が上手く回らない。

 意識を手放す瞬間、エハードはひどく空腹であることに気づいた。

 

 重症を負ったエハードを乗せた車は、すぐそばのマジュウの落ちた地点へと向かった。そこには黒い大きな塊とアサドの姿がある。

 「アサドさん、エハードが重症です!早く戻りましょう」

 マジュウはピクリとも動かない。どうやら落下してそのまま死んだようである。アサドはその確認だけ済ませると車に乗り込んだ。

 猛スピードでバベルと向かう車内で、アサドはマジュウの姿を思い返していた。

 黒い羽に鋭い鉤爪。羽毛は軽くて、羽ばたいた時に音がしにくいようになっている。気配が感じられなかったのはそのためか。

 そして何より翼。

 あのマジュウにも翼があった。

 羽の付け根あたりにあったが、どう考えてもおかしい。付いている意味がない。

 やはり、あの翼は後天的に付けられたものだ。

 マジュウの翼についてはバベルでも様々な推測をされていたが、結論は出されていない。突然変異によって翼を得た説や、未知の病原菌が蔓延している説、進化によって世代を経て翼が生えた説などがある。

 しかし、今回の鳥型のマジュウからアサドは新しい考えを持った。


 何者かがマジュウを生み出している。

 機能を持たない翼は、マジュウを生み出した何者かによるシンボルのようなものでないか。

 

 自然と不自然すぎる翼が生えるよりは、こちらの説の方がしっくりくる気がする。

 問題はそれを誰がやっているのかだが、、

 そこまで考えた所でバベルが目前まできた。

 まあ、いい。とにかく今はエハードの治療だ。


 ゆらゆらと水中を漂っている感覚がある。その水は生温かくて、豊かな日差しに照らされているのだろうと思った。

 眠りから覚める瞬間、エハードはいつも思い出す。

 自分が初めて目覚めた日のことを。

 自分が誕生したその瞬間のことを。

 人の営みを知ってしばらく経つが、やはりあの日は騒がしかったのだなと思う。

 生まれたばかりのその時は何もわからなかったから、特に何も思わなかった。

 でも今は、、


 「エハード‼︎」

 その声で目を開ける。

 あの日よりも大人びた声。

 けれでも悲鳴に近い声。

 泣きそうな顔をしたアンが、こちらを覗き込んでいた。

 「目を覚ましたぞ!」

 誰かが叫んでいる。他にも何人か人が居てザワザワと喧騒が大きくなる。

 でも、そんなことより、、

 「ばか!何やってるの、気をつけてって言ったじゃん!どれだけ心配したと思ってるの⁈こんな体になって帰ってきて。私の身にもなってよ!だいたい・・・」

 すごい勢いでまくしたてるアン。途中から泣いてしまっていて、あまり聞き取れない。

 楽しい子だなと思った。

 こんなことを今言ったら、きっとさらに怒らせてしまうだろう。

 だから僕は

 「おはよう、アン」

 とだけ言った。

 あの日とは違う声と表情で。

 君に出会って良かったと、ほんの少しだけ微笑んで。

 それを見たアンは少し呆気に取られるが、涙を拭いながら答える。

 「おはよう、エハード」

 あの時と同じ声と表情で。


 エハードが病院に担ぎ込まれた頃、別の病室でアサドは治療を受けていた。アリアを宙へと上げた時、腕を負傷していたのである。

 アサド本人は痛みをほとんど感じていないのだが、エモンとアリアによって強引に連れられてきたのだった。

 「アサドさん、痛いなら痛いって言ってください。何かあったらみんなが心配するんですよ」

 治療されるアサドの隣でエモンは言う。

 「痛みは大したことないよ。それよりもエハードは?」

 「そんなに腫れてて大したことない訳ないでしょ!まったく、、。エハードは大丈夫みたいです。アリアがアンを連れて行きました」

 「そっか」

 ほっとした表情になるアサド。

 エモンはその顔に何も言えなくなってしまう。誰よりも皆の安全を考えているのはアサドであることを知っているからだ。

 「なあ、エモン」

 「はい?」

 急に呼びかけられる。

 「バベルと同じか、それ以上の技術を持った街や人はいると思うかい?」

 何のことだろう。

 戸惑いながらも考えるが、想像できない。

 「、、無いと思いますよ。ここ以上の技術となると、もう塔は完成しててもおかしく無いレベルってことですよね。もしあったら、絶対噂になりますよ」

 その通りだとアサドは思う。

 バベルの技術力は世界でトップクラス。そして今もまだ進化し続けている。

 そのはずなのにマジュウのことは一切解明できていない。もちろん危険であることは承知しているが、解明することができれば更なる進化が望める。いつになるかは分からないが、何年後か、または何十年後かにはマジュウから得た知識を活用できるのだと思っている。

 だけどもし、解明できなければ、、

 「案外、主の御業なのかもな」

 アサドは誰にも聞こえないくらいの声で呟いた。

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バベルへと愛をこめて 赤井朝顔 @Rubi-Asagao0724

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