9話

 王子は、大臣の子をにらみすえたまま、腰に帯びた短剣を抜いて、

人魚に向かって振りかざすと、次の瞬間、柱と人魚をつなぐ荒縄をざっくりと断ち切りました。


 大臣の子が、王子を鋭く指さして叫びました。


「裏切りだ!一国の王子が、人魚を助けたぞ!」


しかしその時にはもう、王子は、短剣を放り投げると、

傷だらけの人魚を抱えて、うしろの崖からまっさかさまに海へ落ちていきました。


人魚は、しっかりと王子の頭を胸に抱きかかえていました。


 その場にいた者で、崖から海をのぞきこまなかった者はいません。

人の群れは、みなてんでに大騒ぎして、はるか下の岸壁に打ち寄せる荒い波を、長いこと息を呑んで見つめていましたが、何も浮かんではきませんでした。


 人魚に抱かれて、まっさかさまに海の底に落ちていった王子は、

生まれてはじめて、海の中で目を開けました。

 海の中は、どこまでも青く、ふしぎと王子の息は、ちっとも苦しくありません。

いつの間にか、じぶんの両足は立派な尾ひれになり、

ふたりの人魚は、深い深い海をどこまでもどこまでも遠くへ泳いでいきました。


 その後、国では、王子が行方不明になったことで、大がかりな捜索がなされました。

 王も妃も、2代続けて王子を失ったことをひどく悲しみ、自分が呪われているのだろうかとさえ思いました。

 跡継ぎを失った王家を、大臣が狙わないはずがありません。

内乱の気配が、次第に国を包みました。



 永い時間が流れ、その国では何代も王が代わりました。

いつしか、王家が魚を食べないという習慣もすっかり廃れ、今では、その町は魚介料理の美味しい、海の町として栄えています。

人魚を狩る、という話も、今では、どこからも聞こえてきません。


 王子と人魚の話も、言い伝えとして、様々に形を変え続け、今となってはほとんど残っていません。

 あの時打ち捨てられた短剣だけが、「貴族所蔵のものと思われる短剣」として、その国の国立博物館の隅に、持ち主を失くしたまま、いつまでも佇んでいます。



                    おわり







  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

私の知っている人魚姫 鹿角まつ(かづの まつ) @kakutouhu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ