第7話 肆

 ――トキオ。


 オレは、でそう名乗った。


 あとになって思えば、馬鹿正直に本名を名乗らなくてもよかったのではと思わなくもない。


 だが、あの時点では、この世界が夢ではなく現実であるという事を自覚していなかったのだから仕方がないと思う様にしよう。



 てっきり夢の中と思っていたこの世界。


 これまでも、よく夢の中に出てきた風景のある世界。


 その世界が、現実になっていた。



 前回感じた空腹感。


 今回感じた快楽。


 これらは、夢の中では得られぬ感覚。


 

 空石時生ではなく、トキオとしての現実。


 だが当然、トキオとしての記憶は前回見た夢以上のものは持っていない。


 現状を把握する為、オレはサナから色々と聞き出すことにした。

 



◇ ◇ ◇ ◇


 オレは、この町の中に突然現れたらしい。



 この町は、所謂スラムと言うところ。


 外壁の外、街の外れ。


 生まれた時から持たざる者が。


 かつての栄華から凋落した者が。


 なんらかの原因で街の中での人間らしい暮らしを送ることが出来なくなった人々がたどり着く場所。


 そんな町だから、ある程度住む者同士は互いの顔を知り。


 持たざる者同士が生き抜くための、ある程度のコミュニティも形成されている。


 そんな中に、突然飛び込んできた異物。



 もちろん、異物が飛び込んでくることはこの町では日常茶飯事だ。


 富を失ったり、寄る辺を失った人間が迷い込むことはよくあることだ。


 でが、大概はこの町に適応できずに命を落としたり、またはどうにか生き汚さを発揮してコミュニティの一員として組み込まれていくか。


 そんな中、初手強奪に走る者もいないではない。


 だが、ここはスラム。


 暴力は、さらなる強い暴力で抑え込まれるのが常なのだ。


 だが、オレは、オレの暴力で相手を抑え込んだ。


 抑え込み、奪い、喰らった。


 今のオレの容姿は10歳に満たない少年。


 そんな年端も行かない子供が、大の大人を暴力で圧倒したのだ。



 出る杭は打たれる。


 だが、出過ぎた杭は時として人を導くしるべになる。


 どうやらオレは、このスラムでしるべとしての第一歩を歩んだようだ。



 今、オレの側にいるサナは、スラムの子だ。


 サナもまた10歳に満たない少女である。


 そんな少女がこんな町の中でまだ死なずに生を保てているからには、それなりの理由があるはずであり。


 実際、オレが暴れ疲れてその場で眠り、目覚めた時に側にいたときのサナは、その顔から感情というモノが感じられないほどに生気というものを失っていた。



 だが、先ほどこの部屋で目覚めた時の裸のサナは、どこか慈愛と言うか、情愛と言うか、そのような感情をオレに向けたような目をしていたのだ。



 そのこともおいおいサナには聞いてみようと思いながら体を起こす。


 以前ほどではないが、それなりの空腹を感じる。


 すると、オレの空腹を察したのか、サナが隣の部屋から湯気の立つ器と一かけらのパンのようなものを持ってオレに勧めてきた。


「‥‥‥これは?」


「みんなからの供出だよ。」



「なぜ? 他の連中も腹を減らしているのでは?」


 見た感じ、湯気の器は何かしらのスープと思われ、その中には数種の具材が入っているもが見える。


 パンに至っては、堅そうではあるがカビなど見当たらず、日本という清潔な社会にあっても廃棄に至らずに食用に耐えうるようなものであった。


 さっきサナから聞いた話だとここはスラムであり、スラムであるならばこのような上質な食事は存在しないか、存在してもかなり稀少なのではないだろうか。



「その食事は、トキオへの打算。今与えられる最上級の物を与え、そしてそれ以上の見返りを望むための投資だよ。決して、無条件で貢がれたものではないよ。」


 なるほど、なんとなくわかってきた。


 目の前に差し出されたこの比較的上等なメシは、オレが食ってもいいらしい。


 だが、これを食ったらこの食事以上のうまみを、これを差し出した連中に与えなければならないと。


 だが、オレは一体何をすればいいのだ?


 何をすればこの食事に見合う価値を生み出すことが出来るのだろう?


 そんな疑念を抱きながらも、食べごろの温度で出された目の前の食事を無駄にすることは愚策だと思い、目の前の盆に手を伸ばす。


 

 パンを咀嚼し、適温のスープで嚥下しながら、ふと頭によぎった思考を言語化する。


「なあ、サナはこの食事をオレへの投資と言ったよな?」


「うん。そうだよ。」



「なら、見ず知らずの子供にあてがわれた女。つまり、サナもオレへの投資なのか?」


「うん、最初はね。」


 

 聞けば、オレが暴れた直後にサナがオレの側にいたのは、文字通りオレに女をあてがう事で懐柔し、これ以上暴れさせないための抑止策でもあったようだ。


 そういえば、あの時もオレの周りには食べ物も置かれていた。



「でもね?」


 サナは大人びた妖艶な顔をして、



「わたしはトキオについていく。そうすれば、幸せになれるって。それが、わたしの幸せなんだってわかったから‥‥‥」


 期待に満ち溢れた目をして、そう言ったのだった。

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