第2話
以前にも、チョロッと書いたが、 Spring という単語が「春」の意味なのは、シノニムである 「バネ」「温泉」と、同じ来歴で、つまり”ぴょこんっと飛び出る、弾ける” そういう動作の感じ? その連想らしいのです。
Fall が「秋」なのも、これはおそらく「落ち葉」の連想ですね? windfall は落ちたリンゴらしいですが、「風で落ちた」が原義なのと…つまり一種の比喩的な慣用句が名詞になった、そういう同様な語法と思う。
「言葉」のなりたちや構造とか、歴史、いろんな故事来歴。そういうものはホンマにきりがなくて、漢和辞典をちょっとパラパラ繙くだけでも、無数に?新奇な発見がある。
「甘えの構造」という土居健郎さんの名著は、”言語がその民族の心性を投影している”のではないか?という前提で、日本語の分析から始まっていて、やたらに「すみません」を連発したり、主語を省略したり、あいまいに語尾を濁して余白に語らせようとするとか? 鶏が先か、卵が先か? そういうところはこの場合でも微妙でしょうが、そういう日本語の在り方と相まって、「甘えの構造」という日本人、日本社会の精神構造の特徴が形成されている…そこが骨子である。
土居さんは精神分析学者で、精神科医で、社会や社会の病理に関心の力点があり、この本が非常に世間的に話題になったのもジャーナリスティックな発想ゆえに、だから新聞でいうと”一面に近い”ほうの話題だから、という面が大きいと思う。
言語は、そういう投影法テスト的な一面ももちろんあって、だから言語という器に盛る内容だけでなく? 器の意匠、特徴、内容が器によって規定されるかとか? 器が名匠の手になっているかどうかで、芸術的なものになったり? 混乱してきましたが、つまり”言語”は、人類の精神の如実な鏡像でもあり、器でもあり、デフォルメしたり美化したりもする? 特殊な鏡、不可思議な”あるもの”である。
言語学者とか詩人とか、ことばというものそのものに興味や関心の比重が高いケースもあり、それは昔はなんだか若干に、本末転倒な? 倒錯な発想みたいにも思えたが、成長していくにつれて、いろいろな意味で、ことばというものの、だからコミュニケーションのツールであるがゆえの複雑な両義的な重要性?とか、言葉に付随するいろんな属性? そういうものが案外深くて、自分というものの個性には、そういうところを考えて、究めていって、で、まあ宮本武蔵の言うような”数寄の道にさまざまに興じるものなり”、で、自分なりに読書や文藝の道の”数寄”に興じるのが川端康成さんの名著ではないが、「本来の面目」かとも思う…
社会からは結局疎外されざるを得ないという自分の個性については、止揚するのは断念していて、だから結局逃避しつつ小手先で誤魔化していくしかないとも思う。
「生きる」、「生活する」、そのノウハウ自体が、結局は「習うより慣れろ」ということの範疇でしかなくて、理論より実践。だから、時代のシフトで趣味も金に換えられうるような、そういうパソコン時代の趨勢に乗っていくしかないのかな?とか思う。 執筆はしかしセラピーにもなるのです…健康が何よりも基本でもっとも尊いもので、最終目的なのかと思います。 ポテチン。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます