「春」から連想するいろんなこと
夢美瑠瑠
第1話
<さまざまなこと思い出す桜かな 芭蕉> という俳句があった。 俳聖も、美しい桜を眺めつつ、いろいろと感慨にふけっているのである。 なにか理屈抜きに、目に彩な、頗る美しいものには、しみじみとした情緒を喚起する効果があるのだろうか?
春は好きな季節です。
トルストイの「復活」という小説には、あらすじその他は忘却したが、冒頭の”春の訪れ”の様子が、描写が、あまりにも美しく、厳寒のロシアならではのその喜びがポエティックに昇華されて表現されているので感動します。
「冬来たりなば春遠からじ」というのは、シェリーという詩人の有名な一節らしいですが、ここにも一種の感動がある。
人生の労苦を、その風雪に耐えねば、春は来ない、そうして、「朝の来ない夜はない」そう静かに詠嘆しているのだ…比喩というものの端的で典型的な、好個の例ですね?
で、春が好きなのは、ボクの場合は、幾星霜あった末にそうなったのではなくて、もっと子供っぽい、昔からの嗜好です。
春は清新な季節で、始まりの季節。 性格が明るくて脳天気なので? 秋の枯葉舞い散る寂寥、とかは哀しくてどうも辛い。 「冬っていいな」という童謡あって、それもわかるけど、春風駘蕩、春うらら、ひねもすのたりのたりかな、そっちのほうが趣味に合う…誕生日が早春だからとか?そういうのもあるんかな?
春機発動、という言葉もある。 蠢く、という面白い字もある。 啓蟄、という節季のいわれも春の風物の雰囲気がよく出ている…
「早春賦」や「春の小川」、「花」、「春よ来い」とかの春の定番のいろんな唱歌も、幼いころから愛唱していて、そういうのへの愛着も、結局早春の、殻を脱いだばかりの瑞々しい、薄緑に光るセミの幼虫の綺麗さを連想するような? 希望に満ち溢れたワクワク感が好きなのだと思います。
四季折々には、違った魅力があり、俳句の好きな人はそういう日本の自然の風光明媚さを愛で慈しむという…日本人的な感性を好むのだと思います。 人間嫌いというわけでないが、人間には狡くて身勝手で、「ずるさと身勝手さで塗り固めたような世間」と、はっきり書いていた文章も見たことある。そういうのが疎ましくなる時はどうせあるし?それもどうしようもない。
ルソーという啓蒙思想家が「自然に帰れ」といったり、宮武外骨という、昔の極めつけの変人が、「つむじまがり」という政府を批判する新聞を発行し続けて、権力とか笑い物にするような文章ばかりを発表し続けて、無数に捕まって、投獄回数も無数…その衝動にもおおいに共感はできる。
花鳥風月、風流への嗜好は、人事への嫌悪感と、まあうらはらで、芭蕉も<物言えば唇寒し秋の風>という句を詠んだ頃には、人嫌いになって”ひきこもり”化していたらしい。
人間とは何なのだろうか? 最近身内の不幸やらいろいろ周囲に往来もあって、だんだんに世をはかなむというか、一体自分やら世間やら、こういういろんなことはいったいなんであって、なんのためにあるのかとか、そういう哲学的な?いろんな疑問に悩まされる。
明治時代に華厳の滝に身を投げて、”日本最初の哲学的自殺”をした一高生がいて、そばの樹に「人生不可解。生きてかいなし」と、彫り付けてあったという。
真向からそういう風に悩むというような真面目でホットな青年とかは絶滅していて、クールな時代?にはむしろいじめ自殺のほうが多いか知らんが、”
まだまだオレは”春秋に富んで”いる。
焦らず腐らず、日々これ精進、日々これ好日?地道に頑張っていこうと思います。
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