第3話
どういうワードも、単純な固有名詞であっても、さまざまな意味を持ちうる。 辞書を引くと、かなりシンプルな動詞でも、普通思いもよらない、派生する、あるいはそこが淵源の多様な meaning があったりする。 そういうのがマニアックなクイズ番組で問題になったりもしている…つまり類推が困難な裏の意味も多い。それが一般なのかと思う。
例を作ると、「太陽」は固有名詞で、太陽系、われわれの Solar system の主星、恒星を指す。 が、もちろん無数の違った意味で使われうる。 「下町の太陽」という映画?もあったし、イギリスには「サン」という日刊新聞がある。 この場合は、同じ三文字のワードであっても全然違う意味で…だが普通の人はそれを使いわける。
で、こういう比喩がシャレていると、「文学的」と言ったりする。 ポエムやなぁ…という誉め言葉なわけである。 アランドロンの「太陽がいっぱい」だと、なぜ太陽がいっぱい、なんだろう?という興味を引く。 タイトルが惹句にもなっている。 だから言葉の高級な用法で、そこらへんが人類らしくなっているという…人類誕生から40万年もの年月が経過している意味の嚆矢が?そういうところに現れている…そうも思えます。
「春」も、身近な、インパクトやなじみが深いアイテムで、それゆえ千変万化な意味やら比喩に転用されうる。されている。
「我が世の春」を、謳歌する、という場合、人生で一番いい時節の到来というか、物事が非常にうまくいっていることを言う。中国では正月を春節と称しますが、春という字自体に新しい年の初め、そういう意味があるんやと思う。
だからこの場合はまったく矛盾した意味になっている気もするな? 通俗には「春を売る」という慣用句があって、「春を
八百屋は日本語で青果店ですが、品物が多いことを表現していて、まあ一種のポエムやな? フランスでは「四季を売る店」という意味の表現になるらしい…日本語で「春を売る店」というと誤解を招きますが? お花屋さんや、山菜料理を出す食堂だと不自然ではない。 「賣春華」という、春の野にいでて若菜を摘んできて、それを料理して提供する、春にしか営業しないお店があった場合には、これは非常に美しいポエジーなのですが、多少誤解を招きかねないので? いっそのこと売春宿を兼ねて、ネーミングのしゃれているのを生かそうとするとか? もしかしたらそういうお店が深山幽谷の中にあってもそんなに奇異なことでもないかもしれぬ… そういうお店の話を本当におとぎ話めいた小説にするとか? それもアイデアとしては面白いかもしれないですね?w
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