『逗留』②

鍬を固い地面に突き立てる。ユーミィの持ったランタンに照らされた大地は掘り返しても掘り返しても石と砂ばかり。魔王城から未だ止まぬ瘴気に煽られ砂塵が舞い草木も枯れ果てている。土の中の生物一匹生きてはいないだろう。作物も家畜も育たない不毛の大地。

 ライは街から勝手に拝借した鍬で穴を掘っていた。

 パーティが向かったのは正に魔王城の膝下ともいえる場所だった。光が途切れた暗闇の向こうで崩壊した魔王城の輪郭が見える。今後しばらく人を寄せ付けることはないはずだ。

 ライのすぐ隣では生き残った魔族の子供が零れる涙を拭うこともせず素手で穴を掘っていた。硬い皮膚と爪は楽々と地面を抉る。力がなくなっても脅威でしかない。

対面ではトウリとゴルドーも手を動かしている。

 母親と赤子を埋める穴だった。ゴルドーの魔法を使えば瞬き一つの間に土中の深くまで送ることもできる。だが自らの手で穴を掘ることが不慮の別れには必要だと四人は身を持って知っている。。

 ライは旅立って二年で別れることになってしまった仲間の事を想う。

 男は元盗賊だった。王都で仲間を探している時、金になるならとトウリとゴルドーよりも先に仲間になってくれた。宝箱の開け方、迷宮での罠の避け方、野宿の仕方など旅に必要なことを全て教えてくれた。飄々としていながら衝突しがちだったトウリとゴルドーの間を取り持ち、パーティで唯一の女子であるユーミィを気遣う細やかさがあった。ライも相談をたくさんした。兄のようであり師であり心から慕っていた。

 だが魔族の強襲を受けた際、ライたちを生かすために時間を稼ぎ命を落した。喧騒が止み、引き返して見つけた躯をこうしてランタンが照らす暗闇の中、全員で泣きながら土を掘り埋めた。小さな石が目印の墓とも言えない粗末なものだった。

 偽善だな、と掘り進めながらライは思う。

 これまでどれだけの魔族に襲われて剣を振るってきただろうか。草の根を分け探し出してまで殺すということはしなかったが、向かってくる魔族は必ず殺した。手負いで逃げようとする者も命乞いをする者も中にはいた。けれど手は緩めなかった。唯一の仲間の死は魔族に情を抱いたたことから招いた悲劇だった。

 規則正しく掘り進める音だけがする。

 魔王を殺さなければこの子供が墓を掘るはなかっただろう。もし魔王を倒す前に現れていたら剣を突き刺していただろう。街の人々に爪を向けていれば首を落としていた。

 だからこそこうして自分が墓を掘っていることは偽善としか呼びようがない。

「これだけ掘れば大丈夫でしょう」

 ゴルドーが手を止めた。掘り進めた穴は腰くらいの深さになっていた。野生の動物なら簡単に掘り返すがしばらくはその心配もない。それにこれ以上掘るより先に鍬の歯がダメになるだろう。

「坊主、いいか」

 言葉に魔族の子供はしっかりと頷く。傷が増えないようできるだけゆっくりと剣を抜き、魔法で表面の傷だけ塞いた。離れぬように同じ布に包まれた母子の遺体をゆっくりと穴に横たえる。

「魂が正しく導かれますように」

 ユーミィが祈りの言葉から最後の一文だけを添える。子供が砂を掛けたのを合図に掘り返した地面を埋める。万が一人が来たときのために墓石は置かない。一年もすれば掘り返した跡も周りに馴染んで見分けが付かなくなるだろう。どこに埋めたのかわからないほどに。

「好きなだけ泣け」

 トウリの言葉を合図にしたように、魔族の子供の泣き声は徐々に大きくなり慟哭へと変わった。

 ライたちは泣いている子供からそっと何かあれば瞬時に対応できる距離まで下がる。パーティの誰にも彼の背を撫でる資格のある者はいない。

「これからのことだが、どうしたらいいと思う?」

 できるだけ声を潜めてライは言った。

「どうしたらというのは私たちのことですか? それとも彼の?」

「当然あの子のことさ。ここで終わらせたほうがいいと思うかい」

「馬鹿言わないで」

 ライの言葉にユーミィが真っ先に反応する。

「反論してくれてよかったよ」

「言いたいこともわかるが魔族に情を持つのは危険だろう」

「大丈夫じゃないですかね。身体こそ魔族で危険ですが、私たちにはそれすらただの子供同然です」

 トウリの反意にゴルドーが言葉を重ねる。トウリはあっさりと「そうだな」と名得した。確認のために言っただけらしい。

「ここで放っておく、という選択肢もありませんね」

「街の人たちとの約束も違えることになってしまうからね。除外だ」

「ってなると連れてくしかねえってわけだな」

「うん……けれど、どうしようね」

 連れ歩くにしても簡単なことではない。

 ユーミィが小さく手を挙げた。

「一つずつ順番に考えてみましょう」

 他の三人は口を噤み頷く。手を挙げた人が場を仕切るのがパーティの暗黙の了解だった。

「まず目先の話だけれど、選択肢はあの子を生かす一択よね。でも街にあの子とを連れて行くことはできないし、したくはない。意見はある?」

 ライは首を振った。他の二人も同様だ。

 街の人の魔族に対する恨みは先刻で承知のことだ。ライたちがいくら離れずにいた所で人々は入れることを了承しないだろう。魔族への感情自体は理解できるし、魔族の子供からしても身内を殺された場所で一晩明かせというのは酷な話だ。あの爪が街の人に向けられる可能性もゼロとは言えない。

「そうすると少なくとも一人は街の外で野宿になるね」

「仕方ねえな」

 ふかふかのベッドも恋しいが旅路のほとんどは野宿だったため抵抗は誰もない。

「行く先々でも同じ対応がいいでしょうね。順番ということでいいですね」

「そうね。けれど肝心なのはその先、どこに連れていくのかということよ」

「途中、精霊の森で匿ってもらうというはどうでしょう」

「無理だろうね」とライが言い、ユーミィも頷く。

「精霊こそ魔族に恨みが募っているはず。それにあれだけの聖域は魔王城とは別の意味で異境だわ。本来人間だってただじゃ済まない。私たちが無事だったのはライが精霊の信用を得たから通り抜けることができただけ」

「なら王都の中まで連れて行くしかねえんじゃねえの」

「王都には入ることもできないでしょう。王都に張り巡らされた結界は魔王の攻撃にも少しなら耐えられるレベルです。魔王以下の魔族は入ることも不可能。足を踏み入れようとした瞬間に消し炭です。魔王が倒れたから結界を解いていたとしてもどうしますか。彼はどうしたって目立つでしょう。捕らえられれば殺すか研究の対象として切り刻まれるしか道はありません」

「魔王城直下の環境で生きてきた彼は王都周辺なら間違いなく一番強い魔族だ。人がいるところに住まわせるのは難しい。僕らが一生を人のいない自然の中で暮せばいいかもしれないけれど」

「さすがに現実的じゃないわね」

「つまり選択肢はないってことか」

「今の段階ではね」

 だとしたらどうするのが一番いいのか。恐らく誰の頭にもチラついては消えようとしない。

「殺すのか、俺を」

 墓の前に立ったいた子供が振り返って言った。小声で話していても声は十分に届いていたらしい。

「君を殺さないために大人が四人、こうして頭を悩ませているんだよ」

 ライが手招きをする。魔族の子供は近づいてくることなく、むしろ一歩退いた。

「当然か。ならそこでいい。君の名前は」

「人間なんかに教える名なんてない」

「そんなこと言わないでくれよ。僕はライ。勇者だ」

 途端、子供の目がギラリと不穏な色を帯びる。

「知っていると思うけれど魔王を殺したのは僕だ。今、君が少しでも攻撃しようとをすれば僕は躊躇いなく君を殺す。万が一僕に出来なくても後の三人が殺す。さっきまで君を生かすための話をしていたのに、だ」

 八年という歳月で四人は魔族の殺気に敏感になり、身体は頭で考えるよりも先に動く。二桁に満たない旅だったがその分、日々の多くは過酷の一言だ。

「今死ねば家族の元へと行くことはできるだろう。生きていればいつかは人間へ復讐はできるかもしれない。どちらを選ぶのかは君次第だ。改めて聞くよ、名前は」

 瞬間、全員の手が武器に伸びる。

「……ヨキ」

 子供ーーヨキが死を選ばなかったことにライはほっと一つ息を吐いて柄に添えた手を離す。

「ヨキ。どうして街に来たんだい。力がなくなっていることは気づいていただろう」

「母さんが妹になにか栄養のあるものを食べさせたいって。魔王様が死んでから力が落ちてロクに食べ物にありつけてなかったから。魔獣も弱ってはいるけれど狩るにはリスクがある。だから牛を奪おうと思った。何度かそうやって手に入れたから」

「君たちは魔獣も食べるのかい」

 ライは素直に驚いた。魔族が魔獣を狩るというのは初耳だ。ただ魔族というのは人がつけた括りなだけで、人と動物のように種が違うのだろう。確かに魔族が生きていくのに人と家畜で腹を満たし続けるのは難しいのかもしれない。

「俺を見たら逃げると思ったんだ。でも立ち向かってきた。今まではそんなことなかったのに」

「それは俺らが魔王に勝ったからだろうよ」

「迂闊だった。母さんと妹に待ってもらっていれば……」

 無惨に殺された母と妹を思い出してかヨキの顔が歪む。

「君は街の人が憎いだろうね」

「憎い。当然だ」

 目の奥で復讐の炎が強く揺らめく。簡単に消えないことはライ自身が身を持って知っている。

「僕が憎いかい」

「憎いに決まっている。あんたが魔王様を倒さなければ、二人が死ぬこともなかった」

 けど、とヨキは僅かに視線を落とす。

「あんたたちのお陰で母さんと妹を埋葬することができた。そこだけは感謝する」

「――決めた。ヨキ、君は僕たちについてきてもらう。ただし君が住む場所は王都じゃない。僕とユーミィの故郷だ。ここならなんの問題もないだろう」

「それはつまり、ライは帰還後は王都に留まらず故郷に帰るということですか」

「そうなるね」

 問いかけたゴルドーは口を開いて、閉じた。それはつまり王都で得るべき多くの報酬を反故にするということだ。

「いいかい?」

 ライの言葉はユーミィに向けたものだった。彼女はしばらく動かず、やがて静かに頷いた。

「ありがとう」

 ライは片膝をついて視線をヨキに合わせる。

「ヨキ。聞いていたとおりだ。君の家族が死んでしまったのも、街の人々が狂乱に走ったのも元を正せば僕の責任だ。人に復讐を望むならまず僕を殺すといい」

「嫌だと言ったら」

「死んでもらうしかない。約束した以上、何があっても街の人たちを危険にさらす訳にはいかない」

 ライとヨキの視線がはっきりと交わる。先に顔を逸らしたのはヨキだった。

「わかった。勇者のお前以上に強いやつはいない。街の人間はお前の後だ」

 よし、とライは立ち上がって三人の方に振り返る。

「悪いけれど三人は街に戻ってくれ。今日は僕がヨキと野宿をしよう。悪いんだけれどゴルドー、荷物を持ってきてくれないか」

「いいですけど……いいんですね?」

「構わないよ。僕はあの街に逗留する気になれそうもない。明日の朝、王都に向かうと伝えておいてくれ。トウリは悪いけれど僕の代わりに街の人たちに挨拶を」

「わかったよ。こんなことならもっと酒飲んで旨いものを食っとくんだった」

「次の町に行けばまた飲めるさ。それまでの辛抱だよ」

「ユーミィ、いいんですか」

「仕方ないわ。言い出したら聞かない人なんだから」

 ユーミィは自身に言い聞かせるように言葉を発し、ため息を一つ吐いた。

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