勇者のその後

環槙一

『逗留』①

炎が赤々と燃え上がっている。広場の中心、夜空に向かって立ち昇る火柱を囲んで街の人々は酒を片手に話に花を咲かせ、楽団が陽気な音楽を奏でる。賑わいから離れたここからも炎に照らされる誰もが笑顔なのがよく見えた。

「――ねえ、聞いてる」

 ライは視線を街の人から隣に座るユーミィへと向けた。幼なじみとして村で育ち、旅に出て八年。最も長い付き合いの彼女の顔つきはいつの間にか少女から大人へと変わっていた。

「ぼんやりとしてた。何だって?」

 ユーミィは嘆息して「いいの」と首を振る。ふわりと茶色の髪の毛が揺れた。眉間に浮かんだ皺が不満の色を表していたが無理に聞き出そうとすれば頑なに話してくれないだろう。

 また話してくれるのを待つしか無いか、とライは追求せず代わりに気になっていたことを尋ねる。

「この祭りはいつから?」

「私たちが魔王を倒した日の夜からずっとですって。トウリとゴルドーが目覚めたのが三日目。私が五日。ライが目覚めた今日で倒してちょうど一週間になるけれど毎晩こんな感じ。町も、彼らも」

 ユーミィが指さした先に仲間の二人の姿があった。あちこちに包帯が巻かれているが不調はないらしく、すっかり打ち解けた様子で村人と酒を酌み交わしている。

「元気だなあ。しかしなんで僕より先に目覚めているんだ」

「生命力の塊みたいな筋肉バカの戦士と、用心深い魔力オバケの魔法使いだもの。多少の傷はなんてことないんじゃない」

「ユーミィは?」

「私には女神の加護のお陰で回復が早かっただけ。むしろ魔王と近接戦をして命を削るような戦い方をしたくせに、私が目覚めたときにはほぼ回復していたライが一番おかしいのよ

「おかしくないさ。何せ勇者なんだから」

 勇者という存在は不可能を可能にするものだ。

 勇者だからこそ天空にある城も不可能と言われた迷宮の攻略もできたし、一千年地上に君臨していた魔王を討つこともできた。死の間際の傷を負っても当然回復するはずだ。勇者なのだから。

 ユーミィは不服そうだったが目の前にやってのけた本人がいる以上何も言えないのか顔を賑わいの方へと向ける。

「お祭りはいつまで続くと思う? ライが目覚めたからってすぐには帰らせてくれないわよね」

「帰還を急かされるまで焦ることないさ。それに僕はまだ目覚めて粥しか食べてないんだ。少しくらいご馳走を堪能させてくれてもいいだろう」

 ライの鼻腔を肉が焼けるいい匂いが刺激する。

 街は人類の魔王軍討伐ための最前線――つまり人類の居住可能な範囲内で最も魔王城に近い場所だ。軍が魔族の動向を探るための長期の逗留がきっかけとなり栄えた街。幾人もの強者が魔王城へと向かい帰ってこなかった街。

 風向き一つで瘴気が流れ込むため土地は痩せ草木は僅かしか育たない。苦労して育てた家畜は喰われ、人も喰われる。ここで生まれ育った人々は歯を食いしばって耐え続けてきたのだ。喜びはひとしおだろう。

 わっ、と人が多く集まる一角で大きな歓声があがる。中心にいるのは仲間の二人だった。トウリが椅子の上に立っている。大きな身振り手振りで語っているのは武勇伝だろう。そのすぐ隣にいるゴルドーは指先から小さく魔法を繰り出して演出で盛り上げているらしい。

 訪れた平和な光景。しかしライは嬉しいはずなのに素直に喜べないでいる。

「浮かない顔をしてるわね」

 ユーミィの指摘に思わず苦笑を浮かべてしまう。

「魔王の言葉を気にしてるんでしょ」

 正解だった。ずっと頭から離れることのない魔王の最期の姿。

 下半身を失い、心臓に聖剣が突き刺さっていても魔王はすぐには息絶えなかった。残り僅かな命の灯火で口から出た言葉は怨嗟でも後悔でもない。

『我らの血が……、種族の違う人間と同じ色をしているのか、考えたことはあるか。同じ言葉を持つのか考えたことがあるか。我らなき世界を深く想像したことは、あるか。我が、我らが人類に害を成すという些末な理由で、滅ぼす浅慮を、悔いるがいい』

 魔王がごぼっ、と大量の血を吐く。これは忠告。

『我を屠った今日この時より、お前の苦悩の道が始まる。愚かな人間共はお前に全てを委ね、お前の手によって滅びへの一歩を踏み出したのだ。お前もまた我らと同じ』

 ライは長い睡眠と短い覚醒の中で何度も繰り返した。

 人も魔族も神が創り出した存在。同じ血の色をしているのは同じ神が産み出した証拠だ。ただ人は言葉を交わして互いを理解しようとするが魔族は人の真似をし誑かし食い殺すために言葉を操る。

 魔族の危険性について誰もが同じことを教わるはずだ。元は聖典の一節ーー世界の成り立ちについて書かれた章にある。

「私は聖典に書かれていることが間違えているとは思ってない。神に遣える者として微塵の迷いもなく、ね。だから魔王の言葉だって戯れ言だっていう気持ちもある」

 ただ、とユーミィは言いづらそうに眉根を寄せる。

「死の間際に魔王が私たちを誑かそうとする理由がわからない。戯言というには真に迫った声だったでしょう。悔し紛れ、という顔でもなかった」

 死に瀕した魔王の顔に浮かんでいたのは愚かさに対する嘲笑だった。

「さっき聞こうとしてたのはそのことなの。ライがどう考えているのか。私だけじゃない、トウリもゴルドーも気にしてる。三人で話し合ってもなんだか空回りしてる気がして」

 僕は、とライが自分が感じたことを述べるよりも早く威勢のいい声が二人の耳に飛び込んできた。。

「どうしたどうした! 二人とも飯を食ってるか!」

 声の主はトウリだった。酒瓶を手にゴルドーと肩を組んでやってくる。暑くなったのか服を脱いだ上半身は筋骨逞しく、包帯の奥には歴戦の印といえる無数の傷跡がある。

「いいのかい二人とも。街の人たちと飲んでいたんだろう」

「やっとお前も目を覚ましたんだ。パーティ水入らずで飲みたいだろうってよ」

「体よく追い払われたんですよ。街の人たちはトウリの話に飽きてるんです。最初はいいんですが、途中からおんなじ話をぐるぐる繰り返してばかりだから」

「てめえの演出こそ同じじゃねえか」

「同じ話をしてるんですから当たり前でしょ。それにあの規模で使える魔法なんて限りがあるんです。ーーまあ知りませんよね。これだから魔力皆無の筋肉バカは」

「なんだとお」

 丸太のような太い腕がゴルドーの首に絡みつく。小枝とまではいかくとも長身痩躯のゴルドーの首はそれだけで折れてしまいそうだ。実際は常に防御魔法を身に纏っているから折れるどころか傷つけることすら難しいのだが。トウリもわかっているだけに容赦がない。傍目には心配だろうがライとユーミィには見慣れたじゃれ合いだった。

「二人とも酔ったフリをするのはいい加減にしなさい」

 ユーミィが呆れた声で言う。

「ありゃバレてたのか」

「今回こそ完璧だと思ったんですけどね」

「当たり前でしょう。どれだけ一緒に旅してると思ってるのよ」

 ちぇ、とわざとらしい拗ねた声を出した二人はライの対面に座り込んだ。

「二人も気になっていたことを聞きにきたのかい」

「ライに話したんですか」

「ええ。今からどう思っているか聞こうとしたところ」

「なら聞き逃さなくて済んだってことだな」

 トウリの言葉を合図にするように一同はすっと静かになった。六つの瞳がまっすぐにライに向いている。

「僕の話の前に。二人は僕よりも魔族を知っているはずだろう。それでも魔王の言葉が気になるのかい」

 トウリは王都から出発する旅人の用心棒として。ゴルドーは王都にある魔法学院に飛び級で卒業した天才として。ライが出会う何年も前から魔族と戦ってきた。一方でライは勇者の神託を受けた日まで魔族と対峙したこともない。共に旅をしてきた時間が長いとはいえ、魔族に対する元々の理解度が違う。

 トウリが無精髭を撫でる。

「俺は戦ってばかりだったからな。旅人を喰おうとするから殺す。そのために俺は雇われていた。言っちまえば飯の種だ。魔族が存在する理由なんて考えたこともねえ」

「私は魔族が恐ろしいですよ。人では到達できない身体能力に備え持った魔力。真正面から戦って勝てると思えない生物としての圧倒的な差。だからこうして傷つけられないように魔法で防御し、安全圏で攻撃するために魔法を使う。できるだけ魔族に会わないために探知し調査してきました」

 ゴルドーは口端を僅かに上げて皮肉めいた笑みを浮かべる。その研鑽が比肩するもののいない魔法使いの高みにゴルドーを押し上げたのだ。

「ユーミィの意見はさっき聞いたね。さて僕の考えだけれど」

 ライは言葉を区切る。三人は口を挟むことなく静かに待っている。普段はまとまりがないように見えるパーティーだというのに、ここぞというときは決まってライの意見を待った。

「前提として、僕は僕が絶対に正しいとは思っていない。それはわかってほしい」

「随分と念を置いた言葉だな」

「簡単な話じゃないってことさ、トウリ。特に君は怒るだろうからね。僕は魔王を殺したけれど、人に関わらないでくれれば良かったと思っている」

「それはどうして」

 ユーミィが問いかける。後悔しているのか、と目が言っている。ライは首を振る。

「相手は魔族だ。同じ血の色をしていても同じ言葉を持っていても倫理観が違う。ゴルドーの言う通り生物として人間よりも魔族の方が強い。自然の摂理として弱いものは獲物として見られる。ならそこに生まれる倫理観も全くの別物だ。彼らより強かった僕たちに関わるなは通じたかもしれないけれど、人類が魔族に襲われずに暮らしていくには魔王は殺さなくてはいけなかった」

「わかっていても関わらないでくれたらよかったと?」

 ゴルドーが首を傾げる。

「二人にはピンとこないだろうね。ユーミィは少しはわかるかもしれない。知っての通り僕は元々農民の子だろう」

 ライが勇者になったのは十六の時だった。それまでは村の教会で文字を習い、空いた時間は家業の畑を手伝い時々はユーミィや他の友だちと遊ぶというごく普通の生活を送っていた。

 のどかでいい村だったが魔族は当然現れる。特に魔族の中でも下級とされ動物に似た魔獣は、収穫時期の夜にやってきては実った作物を荒らし家畜を襲い肉を食い散らかす被害が多かった。たまたま出くわした村人が食べられたこともある。だから村は幾重にも教会考案の結界を張った。放牧には魔族除けの呪符が欠かせなかった。夜になれば皆外に出ることはせずレンガ造りの家に籠もることがずっと習わしになっていた。

「だから何だってんだ」

 焦れたようにトウリが口を開く。

「天災と同じなんだ。嵐の日があり、地震や火事が起こるように魔獣がやって来る日がある。魔獣でなくとも人や作物を狙う獣だっているだろう? 魔獣から身を守る術だって知っている。知性のある魔族だって基本は同じだ。」

「だから人に積極的に関わってこなけれいい、ということですか」

 ゴルドーが左手をさする。青白く細い手には幼い頃に魔獣に襲われた傷がはっきりと残っている。

「ならこの街はどうなる。みんな我慢して暮らすしかなかったんじゃねえのか」

「さっさと見捨てればよかったんだよ、この街を」

 気色ばんだトウリの手が座っていたライの胸元を掴んで引き寄せる。

「いくらなんでも言っていいことと悪いことがあるだろうが!」

「だから言っただろう。君は怒ると思うって」

 万力のように締め上げてくるトウリの太い腕を、ライは降参だとトントンと叩く。

「やめてトウリ。街の人たちがこっちを見てる」

 ライの胸ぐらを掴む腕をそっとユーミィが触れる。チッと舌打ちをしてトウリは手を離した。窺うように見ていた人々の方へライがなんでもないように手を振った。

「ライ、今のはさすがに仕方ないと思う」

「わかっているよ」とライはよれた胸元を伸ばす。

 怒ったトウリに胸ぐらを掴まれたのは何度目だろうか。初めてはまだ旅を始めて間もない頃だった。あの頃から自覚していても言葉の足りなさは改善されない。

「私はライの言っている事もわかりますよ」

 ゴルドーが手を挙げた。

「お前まで何を言ってんだ」

「この街がいつからあるのか知りませんが魔王の誕生より後のはずですよね。魔王は聖典に出てくるほど昔から存在しているわけですし」

「だから何だってんだ」

「魔族が襲ってこなければ、討伐しようとはならない。そうすればこんなところに街を作らなくてもよかったわけです。作物の乏しい街で歯を食いしばって生活する必要もなかったんですよ。実りの悪い土地から移り住むなんてザラにあるじゃないですか」

「そりゃあ、そうだけどよ」

「ライが言うように魔族が襲ってこなければ、あるいは人類が魔族に関わらなければ住み分けて生きていくことだってできたんです」

「とはいえ、だ」

 とライは努めて明るい声で言った。

「言った通り魔族は関わることをやめなかっただろう。だとしたら魔王を殺すしか方法はなかったのだから仕方がない。僕たちはやるべき事をやった。街の人たちは喜んでくれている。いや、世界中の人や精霊もだ。魔王の言葉がどんな意味を持つのかはこれから先にならないとわからない。ならひとまず胸を張って王都に帰ろうじゃないか」

 三人は間の抜けた顔をする。

「もう、それじゃあこれまでの話はなんだったのよ」

 ユーミィが口元に笑みを浮かべて言った。笑っているのはユーミィだけではない。

「結局何も結論は出ませんでしたね」とゴルドーは笑いを堪えて落ち着こうとし、

「なら祝杯といくか。この街と俺たちの前途に」とトウリが持っていた酒瓶を掲げたーー時だった。

 広場を緊張が包みこんだのは。

 不穏なざわめきが漂い始め、何事かと四人は素早く戦闘態勢をとりながら広場へと駆け寄る。

 火柱の向こう、街から魔王城への出入り口の方から男たちが異様な殺気を漲らせてやって来た。手には鎌や剣といった武器を持っているのは今晩の警備当番だからだろう。魔王が討たれても全ての魔族が滅んだわけではないのだ。

「魔族か」

 トウリが目を凝らして呟く。

 男たちに取り囲まれ三人、いや三匹の魔族が姿が見える。子供ほどの背しかない魔族。母親だろうか女の姿をした魔族。そしてその手には生まれたばかりに見える赤子の魔族。広場のあちこちで悲鳴が上がった。

「気が付いた?」

 ユーミィは顔に困惑の色が浮かべている。問いかけられたゴルドーは眉間に皺を寄せて首を振る。

「全く。魔王が死んだことで魔族の力そのものが落ちているのかもしれません」

「魔王が魔族の力の源だったと?」

 ライは瞬き一つの隙も与えぬよう魔族に視線を固定したまま言った。

「恐らく。こうして姿が見えてやっと魔族だと察知ができるくらいですし。子供と女の魔族とはいえ暴れられれば手もつけられないはずですが、見ての通り手足も自由ですから。ユーミィはどうです」

 魔法で魔族を察知するゴルドーと違い、ユーミィは魔族が近づくと警告を受け取ることができる。

「全く何の警告もない。今あそこにいる魔族を天は人間の脅威として認識してない」

「今の魔族は僕たち人と大きな差はないということか」

 それでもライは警戒を解かない。魔力の操術に長けた魔族なら欺くこともできるだろう。

「お許しを……お許しを」

 女の魔族が出した声はか細く弱々しい。まだ赤子の魔族を庇うように抱きしめる姿は人と変わらず、ライは思わず警戒を解いた。眼の前にいるのは我が子を守る母親だ。

 だがそれが取り囲んだ街の人たち感情に火を点けた。

 一人の男が母親の髪を鷲掴みする。

「今更何を言ってやがる! 俺の嫁はお前たちに殺された! 息子の高熱をなんとかしてやりたいと薬草を摘みに出たところを喰い殺しやがって! 息子も熱が下がらずに死んじまった!」

「うちのじいさんも喰われた! 自分がどこにいるのかもわかんほどに弱っていたのにだ!」

「行商に出たあの人を喰い殺したくせに!」

「幼いうちの子を頭しか残さなかったのはお前たちだろう!」

「殺せ! 魔族を生かすな!」

「生かすな! 殺せ!」

「殺せ!」「殺せ!」「殺せ!」「殺せ!」「殺せ!」「殺せ!」「殺せ!」

 奪われ続けてきた恨みが膨れ上がり、人々は殺せと大合唱を始めた。平和を知らせるはずの火柱は殺意の大きさを表すように轟々と燃え盛っている。

「良くない流れじゃねえのか、これは」

 トウリの言葉にライは棒立ちのまま頷くこともできなかった。金棒で頭を殴られたような強く重い衝撃がライから思考を奪い身体を硬直させた。

 殺せという街の人の中にライに助けを求めた男の姿があった。涙を堪えて送り出してくれた女性の姿があった。共に酒を飲み交わした青年と老人の姿もあった。

 誰もが魔族を恐れていた。魔王を討ってほしいと、平和に暮らすことだけが望みだと言っていたはずだ。

 なら目の前で起こっていることはなんだろうか。命をかけて魔王を殺し手に入れた平和が、人々の殺意を目覚めさせたのだろうか。。

「俺たちは何もしない!」

 声を上げたのは子供の魔族だった。

「弟を産んだばかりで母さんは弱っているんだ。家に帰してくれ!」

 魔族特有のしゃがれた声に幼さからかガラスを引っ掻いたような高音が混じっている。子供は母親の髪を掴んでいる手を離そうと男にしがみついた。

「うるせえ! 知ったことか」

 男が拳を握り殴りつけると子供は簡単に引き剥がされ尻もちをついた。子供とはいえ魔族が人間に力で負ける姿はこれまで見たことがない。魔力以外も人と変わらない程度になってしまったのだろう。

 人が魔族に力で勝ったという事実が風船のように膨れ上がった殺意を破裂させた。

 取り囲んでいた男たちは手にしていた武器を魔族たちに向かって振り下ろし始めた。取り囲んでいた人々が「殺せ!」と連呼し、自分も、と焚き火用の薪を手に輪の中に入っていく。魔族の姿はあっという間に見えなくなった。

「やめてくれ! やめてくれ!」

 人と同じ言葉が聞こえて、人と変わらない鮮血が散る。血は男たちの服に付き、顔に付く。それでも振り上げた腕は止まらない。

「止めるぞ!」

 トウリとゴルドーが走り出す。だがライはやはり動けない。隣に立つユーミィの身体が小刻みに震えている。

 狂乱は終わらない。飛び出した二人は街の人々に押し返されて前に進めていない。その間も「殺せ」という言葉は響き続け、魔族の許しを乞う声がする。

 ライの目にはただ燃え盛る火柱が映っていた。

「うおおおおおおお」

 一際大きな歓声が上がった。人混みの向こうで天に向かって剣が突き上げられる。先端には首だけが刺さっている。半開きの口、虚空を見つめる目。傷つけられ、あらゆるところから血が流れ落ちる母親の首。。

 剣がもう一本。赤子の魔族が胴体を貫かれたまま持ち上げられる。人の赤子と変わらない小さな手足が痛みにから逃れようとしてなのか微かに動いて、ダラリと垂れ下がった。

「なんて非道い」

 ユーミィが口元に手をやり呟く。

 ライは駆けた。人の目では捕らえることの難しい超常の速さで走り、一気に人の輪を飛び越える。輪の中心では今まさに剣が子供の魔族に振り下ろされようとしているところだった。ライは宙を蹴ると両者の間に割り込みを剣を生身の肩で受けた。しかし刃はライの肉体を傷つけることなく折れる。ゴルドーが瞬間的に防御魔法をかけたのだが、人々の目にはライの肉体が鉄よりも硬いようにしか見えなかっただろう。

 突然の事態に人々は狂乱を忘れ静まり返った。

「もうやめないか」

 ライの声は波の引いた水面のように静かで、よく届いた。

 咄嗟にパーティの三人ーー遠くで震えていたユーミィも、人々をはねのけるように無理矢理にかき分けてライの前に出る。いざとなればライから街の人々を守るために。

 街の人々には冷静なように聞こえただろうが、共に旅をした三人にはライの怒りが頂点に達したと察したからだ。怒るほどライの声は静かに深くなっていく。

「勇者様! こいつは魔族です。この街の人を何度も食い殺した魔族の仲間だ! 生かしておけるわけがねえ!」

 言葉にライが大きく一つ息を吐く。それだけで取り囲んだ全ての人の肌が粟立つ。本能が恐怖を感じ動けなくなった。万が一に備え構えたゴルドーがトウリと目配せをする。まだライの理性が感情を抑えている。

 トウリは動くことのできなくなった人々から武器を奪っていく。ちらりとライが背後に目をやると魔族の子供は呆然と剣に貫かれた母の首と赤ん坊の姿を見ていて身動き一つとらなかった。

「ここまでだ。彼にはもう何もできないだろう。ここから先は僕が責任を持つと約束しよう」

「でも……」

「殺したところで皆の悲しみが癒えるわけでもないだろう」

「けど……」

「報復はさせない。それでも僕に任せられないというのなら僕を倒して覚悟を示すといい。もちろん抵抗はするけれど」

 冗談だ、と笑う者はいなかった。ライの目は笑っていない。

「待て待て。世界を救った勇者に何かあったら困る。先に俺が相手をしてやるよ」

 トウリが声を上げる。

「ならば私も手伝うのが道理でしょうね。ユーミィはどうしますか」

「もちろん私も相手をします」

 トウリに続いた二人の言葉で人々の狂乱の熱が急激に冷めていく。完全に納得はいかず悪くとも、魔王を討ったパーティを相手にしてまで魔族を殺そうと考える者は一人もいなかった。

「まあ勇者様が任せろと言うのなら」

「信じてほしい。さあ今日はもうお開きにしよう」

 ライの言葉を合図に一人、また一人と広場から去って行きやがて誰もいなくなった。いつの間にか燃え尽きて火柱も消えている。最悪の事態は免れたと安堵する三人に背を向けてライは魔族の子供に向かって言った。

「僕たちも行こう」

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