第40話「やさしい呪いの、終わり方」

駅前のベンチに腰かけ、コーヒー片手にぼーっとSNSを眺めていたら、春日駿からDMが届いた。


 


「昨日、例のミルクセーキの店に行ってきました」

「本当にあんな味がするとは……驚きました」

「甘くて、懐かしくて、なんだか落ち着く味でした」


 


画面を眺めながら、少し笑ってしまった。


(あの店、私も行ったことないのに)


以前、雨宿りのときに偶然入った、年季の入った喫茶店。駿がたまたま選んだミルクセーキを「美味しい」と言っていたのが印象的で、それをきっかけにやり取りが続くようになった。


SNSのDMでのやり取りは、他愛もない話ばかり。でも、それがちょうどいい距離感?…だった。


「ところで、あの店って昔からあるんですか?」


というメッセージには、


「すみません、私もあの日が初めてで……」


と素直に返した。


 


本当に、ふつうの会話だ。


だけど、ふつうじゃない人と交わしているという現実が、やっぱりどこか不思議だった。


 


***


 


その夜、布団の中でスマホを見ながら、ふと駿のアカウントに飛ぶ。


最新の投稿は、あの店のミルクセーキの写真だった。


 


『レトロな喫茶店で一息。おすすめされたので行ってみました』


 


(いや、私、勧めてないんだけどな)


そんなツッコミを心の中で入れながら、思わず画面をズームして見てしまう。


パフェグラスに注がれたミルクセーキと、その向こうに映る、どこか柔らかい表情の彼。


(……イケメンすぎる)


見た瞬間、全盛期の推し活モードが蘇った。


「あああ、これライブMCの時の笑い方じゃん……」


口元を手で押さえて、必死で理性を保つ。


(卒業したんじゃなかったの、私)


 


思わず小さく笑って、ひとりごとのように呟く。


「……ほんと、しょうがないな」


 


***


 


翌週、仕事帰りに近所のコンビニでアイスを買った帰り道。道端で、泣いてる小学生の男の子に出くわした。


「どうしたの?」


しゃがんで声をかけると、どうやら転んで膝を擦りむいてしまったらしい。


「ちょっと待っててね」


持っていたウェットティッシュと絆創膏を出して、手早く手当てする。


「冷たいの持ってるよ、いる?」


アイスを差し出すと、男の子は目を丸くしてから、こくんとうなずいた。


「ありがとう、お姉ちゃん」


 


家に帰る頃には、アイスはもう一つ買い直さなきゃいけなくなっていたけれど。


それでも、心はなぜかすごく軽かった。


 


部屋に戻って、シャワーを浴びたあと、SNSを開いて、ぽつりと投稿する。


「今日は、ちょっと良い日だった」


数分後、ひとつのいいねと、見覚えのあるアイコンが通知欄に現れた。


春日駿。


 


その瞬間、少しだけ心臓が跳ねた。


でも、不思議と焦りやざわつきはなかった。


ただ、ああ、見てくれたんだ、と思っただけ。


ほんのりあたたかいものが胸に広がる。


 


***


 


週末。街を歩いていると、すれ違いざまにふと視界の端に入ったのは――見覚えのある、奇抜なファッションの女性だった。


鮮やかなスカーフ、重ねられたネックレス、指先にはたくさんの指輪。


足を止めて振り返る。


けれど、もうそこには誰もいなかった。


 


(……占い師さん?)


心臓がふっと冷たくなる。懐かしいような、少し怖いような、でも決して嫌ではない、あの記憶。


あの人がくれた“呪い”。


「善行を積まねば、パラメーターが減って死ぬ」


そんな馬鹿げた話に、あの頃の私は真剣に怯えていた。


でも今なら分かる。


あれは――呪いなんかじゃなかった。


 


ただ、不器用な私にくれた、優しくなるための呪文だったんだ。


 


***


 


夕暮れ。河川敷の道を歩く。


川の水面が夕日を受けて、金色に光っている。


その隣を、少し後ろから歩いてくる人の気配。


「こんな時間にひとり歩き、危ないんじゃないですか?」


振り返ると、帽子を目深にかぶった彼が立っていた。


「……春日さん、どうしてここに?」


「近くで仕事だったので、ちょっと散歩でもと思って」


「また偶然……?」


「もしかしたら、必然かもですよ?」


笑いながら並んで歩き始める。


しばらく沈黙が続いたあと、彼がぽつりと呟いた。


「桐谷さんって、なんか変わりましたよね」


「え?」


「最初に会ったときより、ずっと自然体というか。なんだろう、優しい感じになったなって」


その言葉に、少しだけ胸が熱くなった。


 


「ありがとう。でも、そうかも。ちょっとずつ、変わったのかもしれない」


 


沈む夕日が、空を赤く染めている。


この瞬間が、ずっと続いてくれたらいいのに――なんて、ちょっとだけ思った。


 


彼と私。


まるで住む世界が違う人と、同じ時間を過ごしている。


でももう、「無理だ」とも「ありえない」とも思わない。


少しずつでいい。私のペースで、進んでいけばいい。


 


そんなことを考えていたら、不意に彼が口を開いた。


「もしまたミルクセーキ飲みたくなったら、誘ってもいいですか?」


 


私は笑って、軽くうなずいた。


「……はい。でも、今度は私も行ったことあるお店で」


 


 


***


 


夜。部屋の中。


スマホを手に取り、SNSにひとつの投稿をする。


 


「#今日も推しが尊い #でも私も悪くない」


 


そう、私はもう“呪い”なんてものに縛られていない。


誰かに優しくすることも、自分が笑うことも、自分で選べる。


これは――私の“幸せの歩き方”。


そしてその始まりに、ほんの少しの魔法があったことを、きっと私は一生忘れない。

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良いことしないと不幸になりますと言われたので、打算的に善人やってたらアイドルに好かれました 御幸 塁 @famous777

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