第39話「幸せの歩き方」

スマホを開いた瞬間、目に飛び込んできたのは、春日駿の名前だった。


『【密着】春日駿、パリ凱旋!ファンに神対応』

『春駿フェス第3弾決定、今年も聖地・代々木で!』

『本人SNS更新、ファン歓喜の嵐!』


 


(あー……やっぱ、スターだわ)


思わずため息が漏れた。


たしかに、少し前に一緒に喫茶店で雨宿りした。でも、それって本当に現実だったんだろうか?ときどき、自分でも混乱する。


一歩間違えたら、「やばいOLの妄想ノート」になってる。


 


でも――その彼から、ふいにDMが届いた。


「こんにちは。この間のコーヒー、ほんとに美味しかったです。ありがとうございました」

「喫茶店の名前、覚えてたら教えてもらえませんか?また行きたいなって思って」


……。


震える指で画面をスクショし、保存フォルダに移動させた。


(なにこれ、記念品?)


頭がパニックになるのを必死で抑えながら、「もちろんです!」と返信。あくまで平常心を装って。


「おすすめは、あの席の窓側です。夕暮れの時間がいちばん素敵です」


「じゃあ次はその時間に行ってみます」


(次ってなに!?)


「その時間に行ったら、また桐谷さんと会えますか?」


(え、待って、待って)


「…私、たぶんその日は残業です(笑)」


ぎりぎりの理性で返信を終えた。画面を閉じ、スマホを両手で挟み込み、そのまま顔をうずめた。


 


***


 


次の日。


通勤電車の中。つい無意識で、彼のSNSを開いてしまった。


「おはようございます。今日もいい日になりますように」


そう投稿されたセルフィー。


髪を無造作にまとめて、パーカーを羽織っただけのラフな姿なのに、画面越しでも圧倒的な存在感。


(いや、イケメンすぎる)


画面を見つめたまま、思わず息を飲む。


その瞬間、自分の中の何かがごそっと動いた。


推し全盛期の記憶――ライブDVDを夜中にリピート再生し、ネットにあがった最新動画を隅から隅までチェックして、テレビの録画予約リストが「春日駿」で埋まってた、あの頃の自分。


(やばい、戻ってきてる……)


脳内でBGMが流れそうになるのを全力で遮断し、急いで画面を閉じた。


(もう卒業したと思ってたのに)


微笑みながら、ひとりごとのように呟いた。


電車の窓に映る自分の顔が、なんだかちょっと照れているように見えた。


 


***


 


週末。


晴れた空の下、ゆっくり散歩をしながら、ふと立ち寄ったパン屋で小さな袋を提げた帰り道。


道端で、しゃがみ込んでいる親子がいた。


「大丈夫ですか?」


思わず声をかけると、母親が申し訳なさそうに微笑んだ。


「すみません、子どもが靴脱げちゃって……」


「よかったら、押さえますね。よいしょっと」


子どもの足元を支え、靴を履かせるお手伝いをして、笑顔で別れた。


そのあとに残ったのは、じんわりとした温かさ。


 


ふと、頭の中で数字が浮かんだ。


《現在の数値:50/100》


あの頃は、数字が減るたびに絶望して、恐れて、逃げようとしていた。


でも今は、自然と誰かに手を差し伸べることができる。その行動に対して、数値がどうとか、もう気にしていない自分がいる。


少しずつ、でも確かに。


私は変わってきている。

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