第32話「善行をやめた日」
「……こんなに気楽でいいんだっけ?」
ベッドの上で伸びをしながら、沙織は自問した。
病院から退院して数日、何もせずにぼーっと過ごしている。
誰かの役に立つことも、親切な行いも、あえてしていない。
なんなら昨日、スーパーで割り込みされたけどスルーした。
「罪悪感……ゼロではないけど……」
でも、不思議と数値は動かない。
スマホで確認するたび、表示されるのは《現在の数値:50/100》。
善行をしていないのに、不幸にもなっていない。雷も落ちてこない。
(……じゃあ、試してみてもいいかな?)
ふと思いついて、バッグの中を漁る。
出てきたのは、だいぶ前に“自分のご褒美用”に買って封印していたクーポン券。
「パフェ……行っちゃう?」
決意したその足で、駅前のちょっとおしゃれなカフェへ向かった。
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「はぁ~~~~、しあわせぇ~~~~~~……」
思わず漏れたため息は、まるで温泉に浸かったようなトーンだった。
目の前には、クリームてんこ盛りのチョコレートパフェ。
それをスプーンですくって口に入れるたび、脳内に光が差し込む。
(ああ……これ、好きだったんだよね……)
かつては、こういう“贅沢”を避けていた。
幸せすぎると数値が減るから。
「そんなことしてる場合じゃない」と、無理に誰かに親切してた。
喜んでほしくて、報われたくて、それが“善行”だと信じてた。
でも今、誰のためでもなく、自分のために食べている。
そしてスマホで確認してみる。
《現在の数値:50/100》
「……変わってない……!」
目を見開く。
(善行してないし、むしろ“幸せ”なのに、減ってない!?)
それからの沙織は、実験モードに入った。
---
映画館でずっと観たかったファンタジー映画を鑑賞し、
帰り道でショッピングモールに寄って可愛い雑貨を衝動買い。
思い切って普段は買わない高めのパンをトレイに乗せ、
公園のベンチで食べながら春の風に当たる。
(やばい、幸せすぎる……)
そっとスマホを取り出し、数値を確認。
《現在の数値:50/100》
「……動かない……!」
動かないのに、心は動いていた。
“満たされる”ってこういうことだったのかもしれない。
そんなとき、隣のベンチに腰掛けたおばあさんが落とした小銭入れを拾って渡した。
「あら、ご親切にありがとねぇ」
「いえ、どういたしまして」
何気ない親切。でもそれすら、以前は「パラメーター稼がなきゃ!」と焦ってた。
今は違う。ただ、自然にやった。
「……ふつうに、嬉しいな」
その笑顔がじんわりと胸をあたためる。
またスマホを見る。数値は変わらず。
《現在の数値:50/100》
---
その夜、家でひと息つきながら、沙織はソファに沈み込んだ。
(ねえ、私……なんであんなに必死だったんだろ)
数値のため、他人のため、推しのため。
善行しなきゃ、認められなきゃ、優しくなきゃ、って。
「でもさ……」
ふと口に出す。
「頑張ってたよね、あれはあれで」
誰かの期待に応えようとしてた。
すり減りながらも、自分なりにベストを尽くしてた。
「……あの頃の私、けっこうすごいじゃん」
自分で自分に、そう言って笑った。
ほんの少し、涙が出たけど、それもやさしい気持ちだった。
「善行ガールだった私、お疲れさま」
スマホの画面に映る《現在の数値:50/100》を見て、
もう、数値に振り回されない自分がいることに気づく。
「ねえ……今なら、あの人にちゃんと会えるかな」
“あの人”の顔が頭をよぎる。春日駿――ずっと距離を置いていた推し。
(もう“ファン”としてじゃなくて、ひとりの人間として)
まだすぐには答えは出ないけど、でも、
「なんか、やっと……スタート地点に立てた気がする」
目を閉じると、今日一日で感じた幸せが、ふんわりと胸に広がった。
善行も呪いも関係ない。
自分の心が、ちゃんと「幸せ」って言ってる。
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