第25話 5th shot
ゼロのログが、リクの網膜を走る。
《アサインドブレイク──起動条件、全項目一致》
《代償発動:身体機能一部譲渡》
《対象部位:左眼》
その瞬間、リクの左目に灼熱の痛みが走った。
眼球の裏側を、何か異質な演算構造が貫いていく。
視神経が焼かれるような感覚。
網膜の像が急速に白く塗り潰され、同時に“別の視界”がそこに重なった。
「──がっ……!!」
リクは膝をついた。
左目に流れ込んでくるのは、自分のものではない照準。
神経を通して“演算情報そのもの”が直接送り込まれてくる。
ゼロの演算補助が、神経の奥まで侵食していく感覚。
彼の脳は、それを異物として認識しながらも、排除できなかった。
視界が上下反転し、座標情報と敵の反応予測が重なる。
ゼロが、左目を通して世界を見ている。
そして、動いた。
リクの腕が、意志とは無関係に動いた。
無駄のない動き。
完璧な呼吸と、滑らかな動作の連動。
筋肉の動きすら、リクのものではなかった。
(……これが、俺の動き……?)
全身の筋力が、ゼロの演算に従って再配列されていく。
反射神経の回路が強制的に書き換えられ、彼はただ“引き金を引かされる装置”と化していた。
ゼロが、リクの身体を使って“撃つ”。
その刹那。
リィドが視界に捉えられた。
いや、すでに補足されていた。
ゼロの演算によって、敵の0.001秒後の挙動までもが明示されている。
敵の全行動が“撃つ前に解析されている”。
矢が放たれた。
それは、リクの手が動かしたものではなかった。
けれど──
「……入った……?」
視界の中で、リィドの肩口が激しく弾けた。
その動きが、わずかに乱れる。
だが、倒れない。
演算補助のループが狂ったかのように、リィドの脚が空を蹴り、地を掻く。
先ほどまでの“完璧な回避”ではない。
だが、それでも彼は止まっていない。
ゼロのログが再び表示される。
《スキル使用記録保存完了》
《左眼視認権限──継続譲渡処理中》
《注意:譲渡部位の感覚および操作機能は使用者に戻りません》
視界の一部が、常に“ゼロの演算フィードバック”で埋め尽くされていた。
情報の流れが止まらない。
左目だけが、別の意志で世界を視ていた。
「……まだ……倒れてねぇ……のか」
リクは、崩れかけた身体を支えながら歯を食いしばった。
視界に映るのは、演算のノイズと、倒れきらない敵影。
リィドは、まだ立っていた。
肩口の装甲は破砕され、内部の演算機関が露出している。
反応ルーチンが狂っているのか、関節の動きはぎこちない。
それでも──彼は、こちらへ向かって一歩を踏み出した。
その一歩が、空間を裂くように重い。
地を踏む音が、断続的に響く。
誰が見ても、それは“限界を超えてなお戦おうとする兵士”だった。
ゼロが反応する。
《再制御提案:アサインドブレイク──最終制圧演算》
リクは、既に覚悟を決めていた。
「──やるぞ、ゼロ」
ゼロが身体を乗っ取る。
左目の視界が演算で塗り替えられる。
リィドが加速する。
最後の殺意を、演算構造ごと叩きつけてくる。
リクの指が動く。
狙いが定まり、ゼロの補助演算が軌道を描く。
矢が、放たれた。
それは、もはや人間の動作ではなかった。
制御を超えた、異常な精度。
神罰兵に対して、“人間と兵装の融合”が撃ち出した一矢。
リィドの胸部に、矢が突き刺さる。
演算核に直撃。
その瞬間、彼の全身が震え、内部から白熱の亀裂が走る。
ノイズが空間に充満し、リィドはその場で崩れた。
完全停止。
彼の演算は、もはや反応しなかった。
イリアの声が通信越しに届く。
「敵性目標、完全沈黙を確認……!」
それを聞いても、リクはすぐには矢を下ろせなかった。
身体が、まだゼロの制御下にある感覚を引きずっていた。
そして──左目は、今も演算の情報を送り続けていた。
ザイクが駆け寄ってきた。
「やったな、リク! お前の矢だ、間違いねぇ!」
リクは、ゆっくりと頷いた。
確かに動かしたのはゼロだった。
でも、最後に“引き金を引くことを許した”のは、俺だ。
「……ああ、俺たちの矢だ」
そう呟くと、ゼロがログを返す。
《共闘記録更新:対断絶兵 リィド戦》
《戦闘成果:必中成立──制御協調型狙撃》
《感情記録保存済》
淡々としたその表示の中に、ほんの僅かだが“温度”があった気がした。
空を見上げる。
左目に映るのは、数値化された雲の動きと、風速演算のグラフだった。
それでも、右目にはただ、青空があった。
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