第6章 Breakpoint Assigned

第24話 断絶領域

 任務内容は、端的だった。


「第四地区演算特異域にて、断続的に高レベルの反応波を検出。

 残存する神罰兵由来の演算残骸、または敵対勢力による演算核利用の可能性あり。

 特別戦術班は現地に急行、状況の安定化および敵性排除を遂行せよ」


 地図上で指示されたのは、“断絶領域”と呼ばれる灰色のゾーン。

 かつて都市機能が集中していたこのエリアは、演算戦争末期における神罰兵の殲滅作戦により、空間演算構造ごと崩壊した。

 それ以来、完全復旧には至っていない。


 現地に到着して、全員が一瞬言葉を失った。


「これ……、まだ動いてるの?」


 ザイクが呟く。


 灰色の空間に、黒い縦縞のノイズが走っている。

 視界の隅にチカつく“断続する像”は、かつてそこにあった建物の演算イメージが不安定に再投影されている証だ。


 その中央に、ひとつの影が立っていた。


 細身。白銀の装甲。無音の動作。


 《断絶域のリィド》。

 記録上、十数回にわたる接敵が報告されているが、全ての任務で味方は一名以上の戦死者を出している。

 過去のログにはこう記されていた。


「彼は“撃った時点で遅い”」


 敵の視認よりも早く撃て。

 そう命じられた部隊が何人、死んだだろうか。


 戦闘が始まったのは、そのわずか十数秒後だった。


 警戒態勢を取っていた味方の前衛が、一人、唐突に崩れた。

 遅れて響いた音は、金属の断裂音だった。


「接近戦──いや、違う!」


 リリエンの叫びと共に、索敵用ドローンが前方に射出される。

 その視界に捉えられたのは、静かに踏み出す“だけ”の男の姿だった。


 だがその一歩が、すべてを断ち切る。

 動作が無駄なく、整いすぎている。

 無駄のなさが、逆に演算補助の解析を不可能にする。


「人間じゃない……」


 リクはそう呟いた。


 そのとき、リィドがこちらを向いた。

 正確には“すでに向いていた”のだろう。

 意識が視認に追いついた時点で、彼の行動は完了している。


 次の瞬間──


 視界が赤く染まった。


 ザイクの左肩が、跳ね飛んだ。

 血飛沫。

 演算による防御壁は、一瞬前に“破られた”後だった。


「待って、まだ反応できてない……!」


 イリアの制御補助が悲鳴を上げる。

 だがそのログが終わる前に、リクは矢をつがえていた。


 ゼロの演算が重い。

 解析が追いつかない。

 敵の挙動を視認する前に、すでにこちらが“過去”になっている。


(撃たなきゃ……!)


 そう思ったときには、ゼロが言った。


《必中不成立。対象行動軌道、現演算時間において予測不能》


 反応できない相手。

 狙えない距離。

 無駄撃ちすら許されない戦場。


 リクの目の前で、リィドがもう一歩、踏み込んできた。


 リィドの動きに、人間は反応できない。

 わかっていても、動けない。

 狙うことすら、成立しない。


 ゼロが矢をつがえたリクの背後で、演算警告を連続で点滅させていた。


《視認速度超過》《行動予測不能》

《発射リスク評価:98.1%》


 ザイクは片膝をついたまま、血で濡れた肩を押さえている。

 その後方に立つイリアが、通信補助を必死に繰り返していた。


「ゼロの演算が足りない……相手の反応速度が演算限界を超えてる……!」


 リクは口元を強く引き結ぶ。

 撃てない。

 でも、止まれない。


 そのとき。


 ゼロが静かに、ログを展開した。


《新規演算案提示》

《身体制御権限の一時移譲──スキル名:《アサインドブレイク》》


 瞬間、リクの中に走るのは、戦慄だった。


「……お前が、俺を……動かすのか」


 ゼロは応えない。

 ただ淡々と、次のログを表示する。


《使用条件:意志による明確な同意》《代償:身体機能一部譲渡》


 視界の中に、左目のシルエットが赤く点滅する。


《左眼の演算制御領域を引き渡すことで、視認および照準機能を最適化》


 ──左目。


 リクの片目に、微かな光が走った。

 そこにゼロのインターフェースが重なり、視界が“他者のもの”のように歪んだ。


 その瞬間、リクは思った。


 これが、本当に自分の視界か?

 この指は、自分で動かしているのか?


 ゼロがさらに一文を示す。


《命中保証──本制御下における演算照準は、対象回避速度を上回る》


 リィドが動く。


 ゼロが動く。


 そして、リクの指が、動いた。

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