鬼神・闘鬼 4 アカナメ実況

 鬼道一族の大将がその手に真っ白い猫を抱いて立っていた。

「総大将、愚かなるわが娘。分かっておるがそれゆえに可愛さも一層にな」

 と鬼六老人は言った。

「老いたとはいえ、さすがに鬼道の頭領。鬼神・賢鬼と笑鬼を破ったか」

 闘鬼さんの声のトーンが変わった。

「総大将、この猫が可愛くば、紅葉に情けを」

 鬼六老人はすでに白旗を振っていたが、紅葉はそうではなかった。

「鬼六! 何を言うの! 私が闘鬼を殺して次の総大将になるのよ! いいからその猫又をさっさと縊り殺してしまってよ!」

 と紅葉が叫んだ。

 鬼六老人の腕の中で白い猫がぴくりと動いた。顔を上げて老人を見て、そして闘鬼さんを見てから、にゃーと鳴いた。

「珠子」

 と闘鬼さんが言った。

 それが一瞬の遅れになった。動いたのは紅葉が先だった。紅葉は老人の手から珠子さんを奪うと、白い猫の身体を高々と持ち上げた。真っ赤な爪が白い猫の腹に食い込む。

 激しい雨はまだ降り続いている。その水圧だけで珠子さんは苦しそうだった。

 闘鬼さんが手を上げた。それが合図のように雨がやんだ。

 珠子さんは紅葉の手の中で苦しそうにもがいた。

「珠子を離せ」

 と闘鬼さんが言った。

「そんなにこの猫が可愛いの?!」

 紅葉の手がぎゅっと珠子さんの白い身体を握ると、赤い爪が白い毛皮に食い込んだ。

 みるみるうちに珠子さんの身体に赤い染みが広がった。

「にゃー!」

 と珠子さんが鳴いた。その悲鳴に闘鬼さんが苦しそうな表情をしたのが、おいらには不思議だった。今まで闘鬼さんが誰かの為に困ったり、苦しんだりしたのを見た事がないからだ。

 この街の妖怪は誰だってそうだろう。人間界に住んでいても、闘鬼さんはどんな妖怪にも興味も関心もなかった。珠子さんを可愛がっているのは知っていたけれど、珠子さんの為に何かをしてあげるかどうかはあやしいだろうと思っていた。

 でも闘鬼さんは今、とても苦しそうだった。

「ほっほっほ! 闘鬼! 今すぐ自分で自分の首をかっ切りな! そしたらこの猫は許してあげるわ!」

 闘鬼さんの身体に妖気が広がった。鋭い目で紅葉を見つめている。

「俺を怒らせるつもりか」

「怒らせたらどうだと言うの? 猫又が可愛いんでしょ? いっそ一緒に死んでやれんばいいわ!」

「…………」

 闘鬼さんの妖気がまたさらに大きく広がった。

 壊れかけたこの巨大なホテルや、周囲の森や空を覆う程の大きな妖気だった。

 その妖気につつまれて、先にカラス天狗がばたばたと地に落ちた。その周囲にいた低級な鬼達も弱い者から次々に倒れていく。

 珠子さんが激しく動いて悲痛な声を上げた。

 その姿に闘鬼さんの目が鋭く光った。

「ほっほっほ……あぐっ……あげっ……」

 そして紅葉の高笑いが消えた。

「ど、どうして……闘鬼……」

 紅葉が闘鬼さんの方へ手を伸ばした。同族よりも猫又を守った闘鬼さんを疑うような目をしていて、その目はとても悲しそうだった。

 珠子さんの身体がするりと紅葉の手から落ちた。けれど珠子さんが地面に激突する前にふわりと浮いて、そのまま闘鬼さんの手の中に下りた。珠子さんにだけは影響がないように、彼女の身体は結界で守られている。

「大丈夫か?」

「さ、さいてー」

 珠子さんはぷいっと横をむいた。毛皮を舐めたいが、身体が痛くて動けない様子だ。

「どうしてあたしばっかりこんな目に合うのよ! 馬鹿! 最低!」

 と珠子さんが闘鬼さんの腕をがりっとひっかいいた。鬼の腕に白い傷が入った。

 おいらはその場面が一番ひやひやとした。闘鬼さんが怒って珠子さんを食べてしまったら、その瞬間を見てしまったらどうしよう。みんなに何て言えばいいだろう。この街の妖怪はみんな珠子さんが好きだったから。

 でも闘鬼さんは珠子さんを喰ったりしなかった。少し淋しそうに微笑んだだけだった。

 そして紅葉はまだ苦しんでいた。顔が土色になり、眼球が飛び出している。自分の手で首の辺りをかきむしるような素振りをしている。鬼六老人が慌てて紅葉の側に駆け寄ったが、もうどうにも出来なかった。

「総大将! どうか紅葉を許してくだされ!」

 老人が紅葉の身体にすがりつきながら叫んだ。

 けれど闘鬼さんは紅葉を許さなかった。

 鬼女紅葉は妖怪の中でも有名な鬼だった。艶やかな姿とその能力で一目置かれる華やかな存在だった。

 だがその最後は干からびて、スルメのようになってしまっていた。

 老人はしばらく紅葉の亡骸を抱いていたが、やがて立ち上がった。

 老人の怒りのボルテージが上がっていくのがおいらにも分かる。

 細いしなびた身体に妖気が充満する。

 それはみるみる屈強な筋肉となり、小さな老人の中に重厚で濃圧な妖気が凝縮されているのが分かる。おいらはその姿を見ただけで気分が悪くなってしまった。

「鬼道・鬼六。愚かだがそれでも愛娘、鬼女紅葉の仇、取らせていただく。鬼道一門、ここに集結!」

 と叫んだ。それは老人とも思えないほどの怒号だった。

 また鬼達が集結し始めた。鬼道だけでなく、鬼神一族も集まりだしたものだから、それはもう恐ろしい一場面だった。

 だけど、おいらはそれ以上鬼の戦いを見られなかった。

 そりゃ、そうだ。

 紅葉が死んでしまうほどの闘鬼さんの妖気だ。アカナメごときのおいらに影響がないはずがない。格好悪い事においらはその辺りで気を失ってしまったようだ。

 そしてその後の事は何も分からない。

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