鬼と猫又

「闘鬼ぃ」

 闘鬼は窓際のソファに座って目を閉じている。眠っているのかどうかは分からない。

 何度呼んでも返事をしないし、ぴくりとも動かない。

 あたしは毛皮をぺろぺろと舐めた。ふわっとシャンプーの匂いがした。

 さっき闘鬼に風呂場でごしごしと洗われて、疲れてしまった。

 さっさと昼寝を決め込みたいけど、良太の事が気にかかる。あたしは闘鬼に救出してもらったけど、良太は自力で脱出できなかったみたいで、サキちゃんの所に戻ってこない。

 闘鬼は怒っているみたいだ。

「珠子」

 急に闘鬼がソファから身体を起してあたしを呼んだ。

「何?」

「お前、鬼の血の事を良太に話したな?」

 闘鬼が不機嫌な時特有の低い声で言った。

 あたしは闘鬼から離れたテーブルの上に飛び乗った。

「うん」

「誰にも言うなと言ったはずだ」

「だってあの時はしょうがなかったじゃん。あの作戦で結界から出られたんだもの。まあ、結局は闘鬼に助けてもらったけどさ……」

「……」

「そ、そんなに人に話したら具合が悪い話なの?」

「……」

「だったらあたしに鬼の血なんかくれなきゃよかったのに!」

 闘鬼はちらっとあたしを見て、少しばかりのため息をついた。闘鬼がため息をつくのは珍しい。この鬼が困っている所を見たのは初めてかもしれない。

「ねえ、でもどうして?」

「理由は二つある。お前は自分の中にある鬼の血をエサにした。鬼の血を持つお前を喰えば鬼の力が手に入るのは確かだ。お前はこれから鬼の血を狙う妖怪どもに狙われるという事だ」

「もう一つは?」

「教えてやらない」

「え~?」

「知らない方がいい」

「何よそれ~」

 闘鬼は立ち上がって、テーブルの上のあたしを抱き上げた。

「腹が減ったな飯でも食いに行くか」

「闘鬼、あの紅葉って女を止めなくていいの? 良太の話じゃ、闘鬼と戦って総大将の地位を奪うって息巻いてるらしいよ」

「紅葉か」

 闘鬼は薄ら笑いをした。そんな風に笑うのも珍しい。

「あの女と戦って勝てるの? 闘鬼よりも強いって言ってたけど」

「俺よりも強い鬼はこの世に存在しない」

「あ、そう」

 随分自信があるようなので、あたしはほっとした。猫は不安になるのが嫌いだ。何かに怯えて不安に思うのなんかまっぴらだ。

 でもいつも自信満々のこの鬼が慌てているとこも見てみたいような気がする。

 弱点がないから、あんまり困ったりしないんだろうな。あたしがどんなに我儘を言っても困らせても慌てたりしないし。

 鬼の血を持っていても、あたしにはたいした力がない。

 どこで手に入れるのか知らないけど、闘鬼は金を持っているから贅沢な暮らしをさせてくれる。妖怪なんて利己的なもんだ。正が邪かではなく、強いか弱いか損か得か。


 闘鬼があたしに人型になるよう言ったので、あたしは空中一回転して着地した。

 ご飯を食べさせてもらう時だけあたしは闘鬼の言う事を素直に聞く。人型になるのはあまり好きじゃないけど、猫のままだとお皿に残飯を盛られて、床に置かれる。今となってはそれはちょっと屈辱的だ。人型になっていろんなレストランを食べ歩くのは大好きだ。

 人間でも妖怪でも食事は大切だもの。

 マンションの一階にお洒落なイタリアンレストランがあって、あたし達はよくそこで食事をする。闘鬼はいつもワインを飲んで、あたしはパスタを食べる。

 鬼なんだから日本酒を飲むのかと思えばそうでもない。いや、これは勝手な思い込みだ。 日本の鬼には日本酒が似合うような気がするだけ。西洋の吸血鬼にはワインが似合うように。闘鬼は酒好きで、何でも飲む。前に喧嘩したときに「鬼ころし」を買ってきて机に置いたら、あっという間に飲み干してしまった。

 午後遅くのレストランは客が少なかった。ウエイトレスはあくびをして、ウエイターは暇そうに立っていた。大きな窓の外から野良猫があたしを見て、うらやましそうな声で呼びかけてきた。帰りに何か落して行ってくれたらありがたいんだが、とその猫が言った。

 人間に例えたら、見かけは駅前で寝ているホームレス風な汚い猫だ。だけど、彼はとても紳士的に、「差し支えなければ、お嬢さん」とあたしに言った。

 だからあたしはその紳士の為に白身のムニエルを注文して、冷めるまで置いてある。

 闘鬼は苦笑いして、

「あんまり味の濃いのは猫によくないんじゃないか?」

 と言った。

 足音がしたので振り返ると、四人の男が立っていた。

 二人は長身でなかなかの男前だったけど、後の二人は背が低く太っていた。そしてはげた頭もくるりとした目も瓜二つだった。双子なのかな?

「鬼道一族が動き出しました」

 先頭に立っていた銀縁の眼鏡の男が言った。黒いスーツを着て、サラリーマン風だ。

「鬼女紅葉を追って次々と出てきています。こんな場所で食事をしていたら、すぐに狙われますよ」

 そのすぐ後ろにいた四人の中で一番若そうな不良っぽい感じの男の子が、

「のんき過ぎる。どんだけ自分に自信があんねん。戦国時代や、言うてあちこちから鬼族が出て来てんねんで。この騒ぎに乗じて、闘鬼兄やんの命狙う輩がなんぼでもおんねん。必死んなって仲間集めて来てみたら、猫又とデートか」

 と文句を言った。こんな風に闘鬼に軽口をたたく人も珍しいので、あたしはその人を見た。茶髪にピアス、今時の人間の男の子そのもので、アイドルみたいな綺麗な顔をしていた。そしたら双子が、イケメンの頭をこづいた。

「凱鬼! 大将になんちゅう口きくねん!」

「次郎兄やん、そやかて……」

「凱鬼、お前が紅葉とやってみろ。勝ったら、総大将の地位はお前にくれてやる」

 と闘鬼が言った。

「いやや。面倒くさい。皆、言うてるで、総大将なんて名前だけや、揉め事ばっかり押しつけられてって。そんな地位に置かれるくらいやったら、あんま高い妖力もいらんて。今の世の中妖力強うても何の役にもたたんしな」

 あけすけに言う凱鬼という男の子に闘鬼が笑い、双子が慌てて彼を店の外に追い出した。

「凱鬼の言う事ももっともだ。人の世に生きるなら、妖力はいらないな」

 確かにその通りだ。人の世をうまく生きるのに妖力は関係ない。

 闘鬼のような圧倒的強さはいらない。逆に少しくらいたたかれたって笑われたって平気な顔が出来る方が有利だ。

 口八丁手八丁のインチキ説法で人間を騙して稼いでいる小雨坊のような妖怪が上手く生き抜いて行くだろう。

「どうしますか?」

 残った銀縁眼鏡がずれた眼鏡を直しながら聞いた。

「紅葉は滅してしまう。鬼道は残してやってもいい」

 と闘鬼が答えたので、銀縁眼鏡はこほんと咳払いをした。

「鬼女紅葉といえば有名どころですよ。いいんですか?」

「珠子の身体に鬼の血が入った事が紅葉にばれた。さぞかし頭にきているだろう。紅葉のことだ、珠子を殺すまでつけ狙うだろう。いっそ滅してしまおうと思う」

「鬼の血……それはもしかして……」

 闘鬼の目配せに銀縁眼鏡はそれ以上は言わなかったが、あたしをまじまと見た。

「そうですか。ではそのように。鬼道は我々が押さえましょう」

「ああ」

 銀縁眼鏡は闘鬼に会釈をして出て行った。

 あたしは白身のムニエルを紙ナプキンに包みながら、

「ね、鬼の血がどうしたの? あたしに鬼の血をくれたのがそんなにまずいの?」

 と聞いた。

「さあな」

 闘鬼は少し笑っただけだった。

 レストランを出てあたしがムニエルをあげると紳士猫は、

「お嬢さん、今夜は雷になりそうだ」

 と言った。

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