アカナメと天邪鬼弟
「良太! 良太!」
良太が動いたような気がしたが、目を開けようとしない。
眠っているのか、死んでいるのかここからじゃ区別がつかない。
「良太! 良太!」
こつこつと窓をたたいてみた。
「アカナメ」
真っ青な顔色だったが、良太が目を開けておいらの名前を呼んだ。
「大丈夫か!」
「ああ、どうしてそんな所に?」
良太は少し微笑んだ。いつもはあんまり愛想もよくないのに、少しは安心したんだろう。
「このホテルはうちの顧客なんだ。窓の掃除をしていた仲間が良太が倒れてるって報告してきてびっくりさ!」
「ああ」
「逃げられないのかい?」
「ああ、部屋の中に強力な結界が張ってある」
「みんな心配してたんだぜ。サキちゃんもさ。おいら、みんなに知らせてくるから」
「ああ……頼む」
良太はそう言ってまた目を閉じた。結構やられているのかしれない。早く助けてやらないと。闘鬼さん達に知らせて助けてもらおう。良太が手におえない結界じゃ、おいらなんかは出る幕じゃない。
おいらは弟に闘鬼さんに知らせるように言いつけた。弟は慌ててポケットから携帯電話を取り出した。鎌鼬のバーに電話している。ここは結構遠い場所で、おいら達の住む街まで車で二時間もかかる。いくら闘鬼さんでも、初めて来る場所は飛んで来られないはずだ。
その間、良太が無事ならいいんだけど。
おいらは窓の掃除をしていた仲間を呼んで、良太のいる部屋の窓を見張らせた。
「何か変化があったらすぐに知らせるんだ」
「OK」
窓ふきをするふりをして、仲間は良太を見張っていたが、すぐに、
「社長! やばいっすよ。強そうな鬼が何人も良太君を囲んでます!」
とせっぱ詰まった声で報告が入った。
「やべえ」
おいらはない知恵を絞って考えた。良太に解けない結界なんだからおいらには絶対無理。
でも何とかしてあの部屋に入らないと……!!
おいらの仕事は信用第一だ。問題を起したら仕事に差し支える。このホテルは大きくていい客だったんだが……仕方ない!
おいらは仲間を選別して呼んだ。そして作戦を伝えた。
作戦を伝えられた仲間は不思議そうな顔をしたが、異議はなかった。
そして作戦が決行された。
おいらは影に隠れてその様子を窺っていた。相手は強力な鬼だ。おいらが妖怪だと知られたら、きっと妨害するだろう。おいらは出て行かない方がいいと思った。
仲間といっても妖怪仲間ではない。こう見えてもおいらは赤名目サービスの社長。いわゆる青年実業家ってやつだ。そして人間にも部下はいるんだ。
鬼どもも人間相手には手荒なことはしないだろう。
人間の部下達は良太が監禁されている部屋の前まで来た。清掃用品が乗っている大きなカートを押して、その廊下の掃除を始めた。そして、
「わ~大変だ~」
大きなバケツに入った液体を部屋の前でぶちまけた。液体は廊下からドアの隙間を通って部屋の中にまで侵入していく。
「すみません! すみません!」
部下はドアをどんどんと叩いて、鬼にドアを開けさせた。
「何じゃい!」
柄の悪い鬼が顔を出した。
「すいません、ワックスが部屋の中にまで流れ込んでいってるんです。申し訳ないですけど、お掃除させて下さい!」
と部下が言った。
「だ、駄目だ! 駄目だ! 今取り込み中だ!」
と鬼が言った。しかし、
「申し訳ないんですけど、すぐに掃除しないと、ほら、臭いでしょう?」
ワックスの原液にありとあらゆる薬品をぶち込んで作った特別製の液だ。
何かの化学反応を起しているんだろう。しみるような臭い匂いがする。
部下達はちゃんとマスクをしているから平気だが、鬼どもにはきついだろう。
鬼どもは咳き込んで、目を押さえているのもいる。
「しょ、しょうがねえ。さっさとしろよ!」
よほどに臭いんだろう。鬼どもは次々と部屋の中から飛び出して来た。
廊下にもつーんとした悪臭が漂い鬼どもが部屋から少し離れたので、おいらはマスクをして部屋の中に入った。
部下に掃除をさせておいて、おいらは良太が倒れている部屋に飛び込んだ。
思った通りだ。鬼が部屋から離れたせいで結界は弱まっている。
「良太! 大丈夫か!」
「ああ……この臭い、なんだ? くせえ。吐きそうだ」
「我慢、我慢」
良太はずいぶんと弱っていた。身体を起してやっても力が入らないようだ。
おいらは良太の身体を縛っている縄を外した。そして窓を開けた。
アカナメ一族は仲間が多く、結束が固いのが自慢だ。
ゴンドラで待機していた弟に良太を渡す。
「おっけ、兄ちゃん」
「気ぃつけてな。いちもくさんに逃げろよ」
「兄ちゃんは大丈夫か?」
「大丈夫だ。じゃ、いけ」
「あいよ!」
弟は良太を連れて、するすると降りていった。
なるべく時間を稼がなければならない。見つかったら良太もろとも弟達も危険だ。それにおいらを社長と慕ってくれる、人間の部下も守ってやらなければならない。
おいらはまだ掃除をしている仲間の所に戻った。
床はあらかたふき取れていた。掃除道具を片づけて、仲間達は顔を見合わせた。
「何だかよく分からないですけど、掃除は終わりましたよ。社長」
「ありがとう。これでいい。何もかもうまくいったから、引き上げよう」
おいらはワゴンを押して部屋の外に出た。
鬼どもは廊下のずいぶん向こうの方で煙草を吸っていた。おいらは仲間を先に行かせた。
車まで行ったらすぐにホテルから出るように指示をした。残ったおいらは仲間がエレベーターに乗って下まで行く時間を稼ごうと、部屋の前でまだモップを使ってごしごしと床を拭いた。仲間達の乗ったエレベーターが下にいった入れ違いにもう一台のエレベーターがチンと音をたてて止まった。
しゅっと開いて出てきたのは、思わず咳き込んでしまうほどの妖気を纏った女だった。
見た事があるぞ。あれは有名な鬼女紅葉だ。その後ろにも鬼がいた。確か鬼道一族の大将だ。白髪の老人に化けていたが、妖気の強さは肌で感じる。
やばい。おいらもさっさと退却だ。おいらは自分の妖気はなるべく押さえ、モップを持ってうつむいて廊下を進んで行った。煙草を吸っていた鬼どもが気づいたのか、声が聞こえる。
おいらは小走りに走った。あの角を曲がれば非常階段だ!
おいらは走った。襲いかかって来る恐怖感を振り払いながら走った。今にも捕まって、身体をねじ切られるかもしれない。いちもくさんに階段を降りる。何段も飛ばして転がるように降りる。弟達や仲間が遠くへ逃げてくれてる事を祈りながらおいらは必死で階段を駆け下りた。よく考えたら良太がいた部屋は二十五階だった。やべえやべえやべえ。
ドゴッガラガラガラ!
「じょ、冗談だろ」
いきな目の前の壁が崩れた。大きな手が壁をつかみむしり取ったのだ。
銀色の爪はコンクリートの破片をむしり取って、握りつぶした。
「おい、天邪鬼をどこやった!」
ガラガラの声はおいらの耳を破るほどに大きな怒号だった。
「し、知らない」
「おーう、ふざけてんのか? 俺が嫌いなのは、一番に食う物がない事で二番目がおちょくられる事だ!」
「そ、そんな事言われても……」
鬼はおいらの胸ぐらをつかんだ。おいらの身体は宙に浮いて、息が詰まった。
「ちくしょうめ!」
あまり賢い鬼ではないようだった。怒りのあまりに良太の行方を追うよりもおいらを殺す事に必死になっているようだ。
おいらもこれまでか、と思った。
クチメに土産の饅頭を買って来てやるって約束したんだよなぁ。クチメは白あんの饅頭が大好きなんだよなぁとおいらが考えていると、目の前の空間がぐにゃりと歪んでまた手が出てきた。金色に光る爪を見たと思った瞬間に、おいらをつかんでいた鬼が吹っ飛んだ。もちろんおいらの身体もそいつについていく。おいらの身体は宙を飛んで、反対側の壁に激突して落ちた。
「闘鬼さん……」
ぎしぎしと痛む身体を必死で起してみれば、おいらを脅していた鬼が今度は反対に宙づりにされていた。闘鬼さんかと思ったが違った。闘鬼さんよりは少し小柄でまだ若い男だった。
「総大将の言いつけや。鬼道一族、滅するは鬼神・凱鬼や!」
と若い鬼が名乗りを上げた。自信満々のその姿はとても格好よかった。
「な、なんだと! が、凱鬼……鬼神四兄弟の凱鬼!」
「そうや、凱鬼様や。鬼道・巌鬼、うすのろい姿も今日限りや。そやけど俺様は親切な男や。遺言くらいはきいてやるで?」
そう言うと凱鬼さんは巌鬼を思い切り階段の後方に放り投げた。
すさまじい音をたてて、巌鬼は階段を何段も壊しながら飛んで行った。
「ま、待て、待ってくれ!」
凱鬼さんがゆっくりと階段を下りていく。おいらは恐々と下の方をのぞき込んだ。
巌鬼が凱鬼さんに許しをこうように大きな手をかざしたのが見えた。
「俺は、紅葉さんに……言われただけで……」
「そうか、そうか、鬼女・紅葉に殉ずるか。ええ覚悟や」
巌鬼は反撃もしなかった。恐ろしそうに凱鬼さんを見上げて、震える声で言った。
「違う! た、助けてくれ!」
「あかんな」
凱鬼さんはそう言って、巌鬼の頭に右手を置いた。
「さらばや」
巌鬼は必死で凱鬼さんに背中を向けて這って逃げ出した。
だが凱鬼さんの右手から発せられたとても大きな恐ろしい力は、巌鬼の頭どころか大きな身体を粉々に吹き飛ばした。
凱鬼さんはおいらの方に振り返って、
「アカナメやったな。鬼神・総大将の戦いが始まるでぇ。こんなおもろいもんはなかなか見えん。お前も見物していけや」
と言った。
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